2007年5月16日水曜日

あきみ

私には「あきみ」という名の従兄がいた。私はこの従兄を「あきちゃん」と呼んでいた。「あきみ」と漢字でどのように書くのかは知らないままで終わった。この従兄は10年ほど前、膀胱ガンで亡くなった。

この従兄の父つまり私の伯父は、終戦の1か月前にフィリピンのレイテ島で戦死した。この伯父が出征したとき、この従兄は生後2週間にしかならなかったという。従兄には自分の父親の思い出は全くなかった。母は再婚し父が異なる妹がひとり生まれた。しかしその義理の父親もすぐに病死した。

この従兄は中学校を卒業すると同時に大阪に働きに出た。生まれ故郷に帰ってきたのは30歳近くになってからであった。そして結婚した。

いつだったか、この従兄が自分の妻と3人の娘を連れて私の実家を訪ねてきたことがある。そのとき5分ほどであったが立ち話をした。その際、その従兄は私に向かって次のようなことを言った。

「わしは子供のころひとりでさびしかったけんのう。ほんで子供を3人つくった。貧乏じゃけ3人の娘には何もしちゃれん。けんど親の愛情は子供に伝わるけんのう。」

こう話しながら、この従兄は自分の幼かりし昔を思い出したようであった。空を見やりながら心なしか涙ぐんでいるように見えた。

戦死した伯父の墓はわが家の墓地にある。この従兄は、私の家から10数キロ離れた、別の墓地に埋葬された。従兄の娘たちは県外に嫁いで皆ばらばらになった。従兄の母親はまだ存命。しかし従兄の母親が死ねば伯父の死を知る人は私の父親だけになる。私の父親の死とともに戦死した伯父の記憶はこの世から消え去る。永遠に。

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