私の高校時代の3年後輩が歌を送ってきた。「地質館に集ひし人に見守られ宇宙桜は定植を待つ」という歌である。地元紙である高知新聞の歌壇に投稿したところ入選したという。彼がこの歌を詠んだきっかけも書かれていた。彼は連歌の世界ではかなり有名らしい。
彼は、私が高校時代に寮生活を送っていた時期に1年間同室で過ごした。当時からとてもユニークな発想をする男であった。彼からの年賀状には、毎回、へんてこな歌が下手な字で書かれてくる。そして、今回のように時折、メールでも自慢の歌を送ってくる。
彼はまだ独身。今後も結婚しそうにない。何年か前に彼に結婚しないのかと尋ねたことがあるが、生活力がないので結婚はあきらめていると彼は答えた。以来、私は彼の前で結婚話をするのは控えている。
確かに、彼には生活力がない。彼が勤めていた小さな新聞社(従業員、わずか2名)は何年か前に潰れた。そして彼は失業した。生まれ故郷である高知に職を求め、彼は東京を去った。高知に帰って職を得ることはできたようだ。しかし彼が収入に結びつくことに自分の時間と精神力を費やしているようには見えない。相変わらず道楽三昧の生活のようだ。もちろん彼は歌を詠むことを道楽だと考えてはいまいが。連歌は彼にとってとても大切なものであるからだ。
彼は社交的である。知人も多い。彼は彼なりに自分の人生を楽しみ、生き甲斐を感じている。そして周りの人たちも楽しませている。
彼と話をすると、私はいつも高校時代の私に戻ってしまう。彼にはいつも命令口調で話すのだ。土佐弁丸出しで。「おい、○○、これをしちょいてや」と。連歌の世界で大御所となった彼にこのように横柄な口をきいている私はきっと無礼なのであろう。しかし若い時代にでき上がった上下関係は何十年経とうと崩せないものである。私が通った高校では、先輩は後輩よりも偉いのだ。後輩は先輩を「さん」付けで呼ぶ。先輩は後輩を呼び捨てる。
追記:
このブログを読んだ彼から返事が来た。「会社は潰れていない。社長ひとりで頑張っている」ということであった。上に書いた「おい、○○、これをしちょいてや」というのは、私の父が所有する山林の管理をやってくれないかと彼に頼んだのだ。帰省のたびに私の父親は私を山に連れていくが、私は境界を覚えられない。いや、山林の場所すら覚えられない。「高知県の森林組合の総務部長と知り合いになっています。不在山主ツアーをしかけられますので、東京で仲間を募ってください???!」というのが彼からの返事である。
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