2021年6月29日火曜日

みずほ銀行

内幸町にあるみずほ銀行健康開発センターが閉鎖されることになった。きょうはみずほ銀行を訪問する最後の日であった。みずほ銀行にお世話になるようになったのは平成16年7月のことであった。ちょうど17年になる。

みずほ銀行では楽しく仕事をさせていただいた。患者さんは皆、みずほ銀行員と関連企業の社員ばかりであった。私がここに勤めるようになった当初は、受診する患者さんは例外なく疲れ果てていた。銀行員の激務や心労がひしひしと伝わってきた。日本では、優秀な者は大企業就職を目指す。大企業の社員は勝者でありエリートであると思われている。しかしみずほ銀行の社員の方々から話を聞かされるにつれて、大企業に対する幻想は次第に失せていった。

私が勤務している間、みずほ銀行では不祥事が相次いで起きた。みずほ銀行は三大メガバンクの落ちこぼれであった。トラブルが起きるたびに社員には多大な負担がかかっていたのではなかろうか。ただ、私は、勤める期間が長くなるに比例して、みずほ銀行の社員に対する愛着は深まっていった。

全ての事柄には終わりがある。どんな長寿番組であろうといずれは終わるように。きょうは健康開発センターの人たちに笑顔で別れを告げることができた。17年間、皆、私に親切に接してくれた。楽しかった17年間の思い出をしっかり胸にしまっておこうと思う。




2021年6月27日日曜日

寺内タケシ 死去

6月18日に寺内タケシさんが82歳で亡くなったという。

私が小学校5年生か6年生のとき、クラスメートに誘われて、高知県民ホールで開かれた寺内タケシとブルージーンズのコンサートに行ったことがあった。私はそのときまで寺内タケシというエレキギター奏者のことを全く知らなかった。コンサートの最中、彼は非常に興奮していた。私はエレキギターの澄んだ音色に感動した。生演奏の素晴らしさを知ったのもそのときであった。

コンサートのあと、友人は、親戚の家に行くと言って私と別れた。ひとりになった私は心細かったが、高知市内でバスに乗ってなんとか帰宅することができた。

以来、寺内タケシというエレキギター演奏の名手の名前を忘れたことはなかった。しかし寺内氏の演奏を耳にすることはなかった。寺内氏の訃報に接し、YouTubeで寺内タケシとブルージーンズの演奏を何曲か聴いてみた。確かに寺内タケシ氏の演奏は素晴らしかった。しかしYouTubeでは、氏の人間的な魅力に触れることはできなかった。

2021年5月5日水曜日

御巣鷹山 慰霊登山

一昨日の午前、御巣鷹山に慰霊登山した。今回も私と家内だけであった。息子を連れてきたいと思っているが、なかなか機会がない。

軽井沢に出かけてくると、毎年、私たちは引き寄せられるように御巣鷹山に登る。山を登っていく途中で私が想いを馳せるのは、いつも残された遺族のことである。この飛行機事故では520名の尊い命が奪われた。そしてその何倍もの人たちの人生を大きく変えた。登山途中で一組のご夫婦とすれ違った。ご遺族であった。毎年、最低3回は御巣鷹山を訪れるという。親しい肉親を失った悲しみは生涯消えないのであろう。事故が起きたのは1985年であった。今年の8月には37回忌の式典が盛大に執り行われるはずである。

人は皆、必ず死ぬ。私も20年後には生きていないであろう。私の祖父は88歳で亡くなった。祖父の死を知らされたとき、私はわっと涙が噴き出した。しかしその一方、心の中で祖父の88年の人生を誉め称えた。

私が死んだとき、家族から「あっぱれだった」と言ってもらうことができるであろうか。












2021年4月21日水曜日

「医療崩壊」(小松秀樹 著)のはしがきより抜粋一部改編

医療が進歩するにしたがって医療に対する社会の要求が強くなった。患者は医療にはすべてのことが可能であり、生命は永遠であると思うようになった。患者が死亡すれば医療過誤があったのではないかと猜疑の目でみるようになった。医療が進歩するほど紛争が増えるという皮肉な状況になっている。 特に小児科や産科では、 医療の結果が期待通りでないとき、死や障害が受け入れられない。悲しみが医療への恨み、さらに、ときとして攻撃につながる。患者側からの攻撃の強い小児救急や紛争の多い産科診療など脆弱な部分から医療が崩壊し始めた。 更に2002年前後より医療事故を警察が取り締まることが多くなり、善意の看護師、医師が犯罪の被疑者として扱われ、運が悪いと犯罪者の烙印を捺されるようになった。刑事事件と民事事件の境界がなくなり、これまで民事事件として扱われてきた事件が刑事事件として扱われるようになった。 こうした中、医療従事者の勤労意欲が低下し、彼らは病院勤務、特に業務の過酷な急性期病院から離れ始めた。現状はきわめて深刻である。医療機関の外から思われているよりはるかに危機的である。

2021年3月28日日曜日

軽井沢で

3月25日から2泊3日で軽井沢に出かけた。昨夜遅く東京の自宅に帰り着いた。軽井沢は暖かく天候にも恵まれ、家族でゆっくりと過ごすことができた。別荘にも変化はなかった。

ただ、私たちが別荘に着いたとき、見慣れぬ車が数台隣家の駐車場に停まっていた。隣家は喫茶店であったが営業しているようには見えなかった。軽井沢では冬場は営業していない店が多い。まだ営業を始めていないのかもしれないと思っていた。ただ、夜になっても隣家の駐車場に停まっているのは軽自動車1台だけであった。いつも2台の車を停めていた。

謎が解けたのは翌日の昼であった。見知らぬ壮年の男性が別荘を訪ねてきた。隣家で新しくレストランを営業することになったとの挨拶であった。隣家で喫茶店を経営していたご夫婦が離婚して喫茶店をたたみ、東京に帰っていったとのことであった。そこを買い取ったのだという。

喫茶店は20年近く営業していた。東京でガソリンスタンドを経営していたが、軽井沢が気に入ってガソリンスタンドを売り払い、軽井沢に移住したと聞かされていた。開店当時は連日、溢れんばかりの客で賑わっていた。当時、別荘と隣家との間には柵はなく、喫茶店を訪れる客は我が家の別荘の敷地にも車を停めていた。客ばかりでなく隣家の夫婦も我が家の別荘の敷地を我が物顔で使っていたらしい。軽井沢の住人からそう聞かされた。我が家の別荘の庭には深い轍ができており、地中に埋められている下水管を覆う鉄板は大きく曲がっていた。私たちが別荘に滞在している時ですら、車で出かけて戻ってくると客の車が別荘の敷地に停められていた。しかし喫茶店の経営者である隣家の夫婦は客に注意しなかった。それどころか、私たちが別荘に戻って客の自動車を別荘の敷地の外に出してくれうように依頼しても、「客が勝手に停めているのだから私たちは注意できない」と言い返してくる有り様であった。

隣家と我が家の別荘との間に柵を設置することになったのはこのような事情からであった。この話し合いをするにあたっては、当時、別荘の所有者であった義母(家内の母親)と隣家の夫婦との間にはいざこざがあったらしい。以来、義母はこの別荘を訪れることがなくなった。私たちも隣家の夫婦とはほとんど言葉を交わさなくなった。今、別荘は私の息子の名義になっている。

隣家の夫婦が軽井沢に引っ越してきた当時、夫婦はまだ30歳そこそこであったのではなかったか。開店当初、喫茶店は大繁盛。夏場には猫の手も借りたかったようで、この時期にはパートの従業員を雇っていた。またご主人の実母も応援に駆けつけた。この実母から、夫婦はわずか1年で借金を返済したと聞かされた。しかし歳を追うごとに客足は遠ざかり、我が家の別荘と隣家との間に柵を設けてから喫茶店を訪れる客が激減した。

迷信と笑われるかもしれないが、喫茶店の客が急減したのも隣家の夫婦の仲が悪くなったのも、風水と関係があるのであろうか。柵の設置と客の急減とは同時であった。










2021年3月27日土曜日

House of Karuizawa

一昨日、家族で軽井沢に出かけてきた。こんなに早く軽井沢に出かけてくるのは初めてである。軽井沢で過ごすようになるのは、例年、ゴールデンウィーク。毎年3月には家族で海外旅行に出かけるが、今年はコロナウイルスのために海外に出かけられなかった。

今年、軽井沢は暖かい。

きょうのランチは「House of Karuizawa」で。このレストランは南原の静かな森林の中にある。私も私の家族も軽井沢で最も好きなレストランである。上品な奥様がいつも私たちを笑顔で迎えてくれる。店内は広く、ゆったりと食事をとることができる





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2021年3月25日木曜日

懇意にしている臨床心理士(心理カウンセラー)がいる。彼女は70歳代前半。前の職場で大変お世話になった。彼女は優れた技術を持っている。私は心理治療が必要と判断した患者は今でも全員彼女に治療を依頼する。

何年か彼女のご主人が東北地方のある県に単身赴任していた。ふたりのお嬢さんは既に嫁ぎ、ご主人の単身赴任中、彼女は自宅で東京で一人暮らしをしていた。彼女のご主人が東京に戻ってくることになったとき、彼女は急に落ち着きを失くした。一緒に暮らしたくないと彼女は言った。別に、特に夫婦仲が悪いからというわけではないと思った私は、誰であっても長期間一人暮らしすると人と共同生活できなくなるものだろうと、彼女の話を聞き流していた。

ところが彼女のご主人が東京に戻りふたりで暮らすようになってからも彼女はご主人と向かい合って食事ができないと私に話した。向かい合ってご主人と一緒に食事ができない彼女はどうしているのか。彼女はご主人と向かい合わないためにご主人の横に座って食事をしているということであった。面白いことにこのことを彼女は自分の患者や知人にも勧めていた。

私は、臨床心理士としての彼女の素晴らしさはここにあると思い、いたく感心した。そう、大きなストレス源と正面から向かい合ってはいけないのだ。逆にストレス源から目を背けてもいけない。

私の友人の4人が鬱に陥った。うち3人は仕事を辞めた。残りのひとりは子会社に転籍することによって鬱から脱した。