一昨日の午前、御巣鷹山に慰霊登山した。今回も私と家内だけであった。息子を連れてきたいと思っているが、なかなか機会がない。
軽井沢に出かけてくると、毎年、私たちは引き寄せられるように御巣鷹山に登る。山を登っていく途中で私が想いを馳せるのは、いつも残された遺族のことである。この飛行機事故では520名の尊い命が奪われた。そしてその何倍もの人たちの人生を大きく変えた。登山途中で一組のご夫婦とすれ違った。ご遺族であった。毎年、最低3回は御巣鷹山を訪れるという。親しい肉親を失った悲しみは生涯消えないのであろう。事故が起きたのは1985年であった。今年の8月には37回忌の式典が盛大に執り行われるはずである。
人は皆、必ず死ぬ。私も20年後には生きていないであろう。私の祖父は88歳で亡くなった。祖父の死を知らされたとき、私はわっと涙が噴き出した。しかしその一方、心の中で祖父の88年の人生を誉め称えた。
私が死んだとき、家族から「あっぱれだった」と言ってもらうことができるであろうか。
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