3月25日から2泊3日で軽井沢に出かけた。昨夜遅く東京の自宅に帰り着いた。軽井沢は暖かく天候にも恵まれ、家族でゆっくりと過ごすことができた。別荘にも変化はなかった。
ただ、私たちが別荘に着いたとき、見慣れぬ車が数台隣家の駐車場に停まっていた。隣家は喫茶店であったが営業しているようには見えなかった。軽井沢では冬場は営業していない店が多い。まだ営業を始めていないのかもしれないと思っていた。ただ、夜になっても隣家の駐車場に停まっているのは軽自動車1台だけであった。いつも2台の車を停めていた。
謎が解けたのは翌日の昼であった。見知らぬ壮年の男性が別荘を訪ねてきた。隣家で新しくレストランを営業することになったとの挨拶であった。隣家で喫茶店を経営していたご夫婦が離婚して喫茶店をたたみ、東京に帰っていったとのことであった。そこを買い取ったのだという。
喫茶店は20年近く営業していた。東京でガソリンスタンドを経営していたが、軽井沢が気に入ってガソリンスタンドを売り払い、軽井沢に移住したと聞かされていた。開店当時は連日、溢れんばかりの客で賑わっていた。当時、別荘と隣家との間には柵はなく、喫茶店を訪れる客は我が家の別荘の敷地にも車を停めていた。客ばかりでなく隣家の夫婦も我が家の別荘の敷地を我が物顔で使っていたらしい。軽井沢の住人からそう聞かされた。我が家の別荘の庭には深い轍ができており、地中に埋められている下水管を覆う鉄板は大きく曲がっていた。私たちが別荘に滞在している時ですら、車で出かけて戻ってくると客の車が別荘の敷地に停められていた。しかし喫茶店の経営者である隣家の夫婦は客に注意しなかった。それどころか、私たちが別荘に戻って客の自動車を別荘の敷地の外に出してくれうように依頼しても、「客が勝手に停めているのだから私たちは注意できない」と言い返してくる有り様であった。
隣家と我が家の別荘との間に柵を設置することになったのはこのような事情からであった。この話し合いをするにあたっては、当時、別荘の所有者であった義母(家内の母親)と隣家の夫婦との間にはいざこざがあったらしい。以来、義母はこの別荘を訪れることがなくなった。私たちも隣家の夫婦とはほとんど言葉を交わさなくなった。今、別荘は私の息子の名義になっている。
隣家の夫婦が軽井沢に引っ越してきた当時、夫婦はまだ30歳そこそこであったのではなかったか。開店当初、喫茶店は大繁盛。夏場には猫の手も借りたかったようで、この時期にはパートの従業員を雇っていた。またご主人の実母も応援に駆けつけた。この実母から、夫婦はわずか1年で借金を返済したと聞かされた。しかし歳を追うごとに客足は遠ざかり、我が家の別荘と隣家との間に柵を設けてから喫茶店を訪れる客が激減した。
迷信と笑われるかもしれないが、喫茶店の客が急減したのも隣家の夫婦の仲が悪くなったのも、風水と関係があるのであろうか。柵の設置と客の急減とは同時であった。
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