2021年8月11日水曜日

無葬社会

2日かけて「無葬社会」(鵜飼秀徳著、日経BP社)を読み終えた。この本は2年ほど前に自宅近くの書店で買ったが、冒頭の部分だけを読んだ後、書斎の本棚の中で眠っていた。軽井沢で時間があれば読もうと思って持ってきておいた。

東京と高知とを往復しながら両親を介護していたとき、私が願っていたことは、両親には尊厳ある死を迎えさせたいということであった。この世に生まれてきてよかったと思って死んでもらいたいと強く願った。

しかし私のその願いは、私に姉と姉の長女によって破壊された。

亡くなった両親が生き返ることはない。姉と姉の長女に対する私の憎しみは生涯消えないだろうと思う。

2021年8月9日月曜日

軽井沢において

4日前の8月5日に軽井沢に出かけてきた。今年は8月16日まで軽井沢に滞在する予定である。8月7日は母親の命日。8月12日は日航機墜落事故が起きた日。母親が自宅で倒れ救急車で病院に救急搬送されたのも8月12日であった。母親は結局、一度も退院できぬまま2年後に亡くなった。

両親とも亡くなった今、私がいつも考えるのは、両親は生前、幸せだっただろうかということである。両親は夫婦喧嘩が絶えなかった。すざまじい喧嘩であった。父親はすぐに暴力を振るった。母親の顔がアザだらけになったこともたびたびあった。

既に書いたことがあるが、母親が救急車で搬送される2週間ほど前に母親に尋ねたことがある。なぜ離婚しなかったのかと。母親は2つ理由を挙げた。この2つの理由も既に書いた。

私が死んだ後、私の一人息子が考えることもほぼ同じであろう。父親である私は幸せな人生を送ったであろうかと。


2021年7月6日火曜日

筒美京平

昨年、筒美京平氏が亡くなった。10月7日であったという。80歳であった。

私が初めて筒美京平氏の曲を聴いたのはヴィレッジシンガースのバラ色の雲であった。しかしつい最近まで、この曲が筒美京平氏の作曲だとは知らなかった。中学校1年生の時の夏合宿で私のクラスメートがブルーライトヨコハマを歌ったことを今も鮮明に憶えている。男である彼が女性の歌を歌うことが当時の私にはとても奇妙に感じられたからである。この曲も筒美京平氏が作曲したものであった。このこともつい最近知った。ブルーライトヨコハマを歌った同級生の名前は井上隆夫。

彼はおませであった。おませという表現は適切ではないかもしれない。中学1年といえば、既に思春期を迎えていてもおかしくない時期である。

井上とは親しかったわけではないが、次々と当時の彼の思い出が蘇ってくる。

2021年6月29日火曜日

みずほ銀行

内幸町にあるみずほ銀行健康開発センターが閉鎖されることになった。きょうはみずほ銀行を訪問する最後の日であった。みずほ銀行にお世話になるようになったのは平成16年7月のことであった。ちょうど17年になる。

みずほ銀行では楽しく仕事をさせていただいた。患者さんは皆、みずほ銀行員と関連企業の社員ばかりであった。私がここに勤めるようになった当初は、受診する患者さんは例外なく疲れ果てていた。銀行員の激務や心労がひしひしと伝わってきた。日本では、優秀な者は大企業就職を目指す。大企業の社員は勝者でありエリートであると思われている。しかしみずほ銀行の社員の方々から話を聞かされるにつれて、大企業に対する幻想は次第に失せていった。

私が勤務している間、みずほ銀行では不祥事が相次いで起きた。みずほ銀行は三大メガバンクの落ちこぼれであった。トラブルが起きるたびに社員には多大な負担がかかっていたのではなかろうか。ただ、私は、勤める期間が長くなるに比例して、みずほ銀行の社員に対する愛着は深まっていった。

全ての事柄には終わりがある。どんな長寿番組であろうといずれは終わるように。きょうは健康開発センターの人たちに笑顔で別れを告げることができた。17年間、皆、私に親切に接してくれた。楽しかった17年間の思い出をしっかり胸にしまっておこうと思う。




2021年6月27日日曜日

寺内タケシ 死去

6月18日に寺内タケシさんが82歳で亡くなったという。

私が小学校5年生か6年生のとき、クラスメートに誘われて、高知県民ホールで開かれた寺内タケシとブルージーンズのコンサートに行ったことがあった。私はそのときまで寺内タケシというエレキギター奏者のことを全く知らなかった。コンサートの最中、彼は非常に興奮していた。私はエレキギターの澄んだ音色に感動した。生演奏の素晴らしさを知ったのもそのときであった。

コンサートのあと、友人は、親戚の家に行くと言って私と別れた。ひとりになった私は心細かったが、高知市内でバスに乗ってなんとか帰宅することができた。

以来、寺内タケシというエレキギター演奏の名手の名前を忘れたことはなかった。しかし寺内氏の演奏を耳にすることはなかった。寺内氏の訃報に接し、YouTubeで寺内タケシとブルージーンズの演奏を何曲か聴いてみた。確かに寺内タケシ氏の演奏は素晴らしかった。しかしYouTubeでは、氏の人間的な魅力に触れることはできなかった。

2021年5月5日水曜日

御巣鷹山 慰霊登山

一昨日の午前、御巣鷹山に慰霊登山した。今回も私と家内だけであった。息子を連れてきたいと思っているが、なかなか機会がない。

軽井沢に出かけてくると、毎年、私たちは引き寄せられるように御巣鷹山に登る。山を登っていく途中で私が想いを馳せるのは、いつも残された遺族のことである。この飛行機事故では520名の尊い命が奪われた。そしてその何倍もの人たちの人生を大きく変えた。登山途中で一組のご夫婦とすれ違った。ご遺族であった。毎年、最低3回は御巣鷹山を訪れるという。親しい肉親を失った悲しみは生涯消えないのであろう。事故が起きたのは1985年であった。今年の8月には37回忌の式典が盛大に執り行われるはずである。

人は皆、必ず死ぬ。私も20年後には生きていないであろう。私の祖父は88歳で亡くなった。祖父の死を知らされたとき、私はわっと涙が噴き出した。しかしその一方、心の中で祖父の88年の人生を誉め称えた。

私が死んだとき、家族から「あっぱれだった」と言ってもらうことができるであろうか。












2021年4月21日水曜日

「医療崩壊」(小松秀樹 著)のはしがきより抜粋一部改編

医療が進歩するにしたがって医療に対する社会の要求が強くなった。患者は医療にはすべてのことが可能であり、生命は永遠であると思うようになった。患者が死亡すれば医療過誤があったのではないかと猜疑の目でみるようになった。医療が進歩するほど紛争が増えるという皮肉な状況になっている。 特に小児科や産科では、 医療の結果が期待通りでないとき、死や障害が受け入れられない。悲しみが医療への恨み、さらに、ときとして攻撃につながる。患者側からの攻撃の強い小児救急や紛争の多い産科診療など脆弱な部分から医療が崩壊し始めた。 更に2002年前後より医療事故を警察が取り締まることが多くなり、善意の看護師、医師が犯罪の被疑者として扱われ、運が悪いと犯罪者の烙印を捺されるようになった。刑事事件と民事事件の境界がなくなり、これまで民事事件として扱われてきた事件が刑事事件として扱われるようになった。 こうした中、医療従事者の勤労意欲が低下し、彼らは病院勤務、特に業務の過酷な急性期病院から離れ始めた。現状はきわめて深刻である。医療機関の外から思われているよりはるかに危機的である。