2009年10月23日金曜日

父 その3

幼い頃、私が父親に遊んでもらったことがなかったことはこのブログのなかで既に書いた。しかし、当時、そのことに私が強い不満を抱いていたわけではない。私は、父親と遊ぶことを想像したことすらなかった。私の父親は私に無関心であるが、世の父親も皆、自分の子にはさほど興味を抱かないものだろうと思っていた。

こんな私であったが、私と同年代の子供たちが父親と楽しそうに遊んでいるのを見て羨ましいと感じたことがないわけではなかった。

実家の隣に1歳年下の男の子が住んでいた。私が中学生になるまで彼とはよく一緒に遊んだ。

彼の家の庭には卓球台があった。手作りの卓球台であった。薄い黄緑色のペンキで塗られていた。10枚ほどの板を組み合わせて作られており、板と板との間には隙間があった。その隙間にピンポン球が落ちるとイレギュラーバウンドした。誰が作った卓球台であるのかを聞いたことはなかったが、私はその男の子の父親が作ったのだろうと思った。

その男の子と私とはその卓球台でよく卓球をした。彼と私が卓球をしているときに彼の父親が帰宅すると、彼の父親はいつも彼の父親は私たちのそばに近寄ってきて私からラケットを取り上げ、自分の息子と卓球を始めた。その間、私は卓球台のそばに佇んで二人が楽しそうに卓球するのを眺めた。

二人の卓球は長く続いた。いつまでも終わることがなかった。二人は私がそばにいるのをすっかり忘れているかのように卓球に興じた。実に楽しそうであった。彼らが私の方を振り返ることも私に話しかけることもなかった。私はただ黙って二人が仲良く笑いながら卓球を楽しむ姿を眺めた。私には無限に続く時間のように思えた。

息子との卓球を満喫すると、彼の父親は私には一言も話しかけず、無造作にラケットを卓球台の上に置いて立ち去っていった。

彼の父親は息子を心からかわいがっているように思えた。自分の父親に遊んでもらった記憶のない当時の私は少し羨ましく思った。と同時に、私は彼の父親に敵意のような感情も抱いた。彼の父親は自分の息子と私とが卓球をしている姿を見つけると必ず割り込んできた。子供同士が楽しく卓球をしているときには子供だけで遊ばせてくれてもいいのではないのではないかと私は思った。

こんなこともあった。当時、私の家にはテレビがなかった。毎週、日曜日の午後6時からは、彼の家の茶の間に置いてあるテレビの前に座って私たちは「風のフジ丸」というアニメを観た。しかし、私たちがその番組を観ているときに彼の父親が帰宅すると、毎回、彼の父親は無言でテレビの電源を切って立ち去った。父親が立ち去った後、父親に切られたテレビの電源を彼がもう一度入れることはなかった。彼と私との間には数分間の沈黙が訪れた。

彼の父親は生前、正面から私の目を見たことすら一度もなかった。当然、私に話しかけることもなかった。小学校を卒業すると、私は地元の中学ではなく高知市内にある私立中学校に進学した。それと同時に私が彼と遊ぶことはなくなった。彼の父親と顔を合わせることもなくなった。

彼の父親は20年ほど前、交通事故で急死した。私の父親からその訃報がもたらされたとき、私は右手をじっと胸に当てて目を閉じた。なぜ無意識にそのような動作をしたのか自分でもわからなかった。

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