2009年3月17日火曜日
土佐の森・救援隊
中学高校時代の3年後輩が吉祥寺に住んでいる。彼とは寮で1年間同室であった。彼は「土佐の一本釣り」で有名な高知県中土佐町久礼の出身。しかし漁師の持つ荒々しさは彼にはなかった。いつも控えめで笑みをたたえていた。彼が怒った顔を私は見たことがない。
彼と私とは私が高校を卒業してからは疎遠になった。時折、彼のことを思い出すことはあったが彼の所在も知ることはなかった。そんな彼から10年あまり前に思いもかけず連絡をもらった。ある雑誌で私の顔を見たのでびっくりして連絡を寄こしたということであった。私たちは渋谷のレストランで20年ぶりに顔を合わせた。
彼は多少髪が薄くなっていたが、そのほかは高校時代と変わりがなかった。彼は昔と同じように私の前に座るとどぎまぎしながらぽつりぽつりと近況を話した。
彼はまだ独身であった。社員は社長と彼だけというごくごく小さな業界紙の出版社に勤めているということであった。ただ私は彼の踏み込んだプライバシーについてはほとんど何も尋ねなかった。彼も積極的に自分の生活をしゃべろうとはしなかった。
彼と2度目に会ったのは新宿西口のインドネシア料理の店。私の他の知人も同席していた。そこでの話はほとんど何も憶えていない。
彼の趣味は連句。この世界では「市川千年」と名乗っているらしい。名刺ももらった。
私には連句というものがどのようなものであるかすらわからない。しかし彼から送られてくる歌にはいつもユーモアに溢れていた。「楽しそうだね」と私が話すと、連句の集まりを見学に来てくれと私に言う。1か月に1回、西荻窪に仲間が集まるそうだ。
文章には書く人の全てが表れる。このユーモアこそ彼の持ち味である。彼は決して経済的に裕福な生活をしているわけではないように感じる。しかしその貧しい生活を心から楽しんでいた。
そんな彼がつい数日前、私の自宅にやってきた。私の高校時代の友人が3月一杯で四国の丸亀に転勤になる。そのお別れの食事会に彼も誘ったのだ。
彼は今年3月いっぱいで出版社を辞め、あるボランティア活動に従事すると話した。彼が退職するということは昨年12月に電話で聞いて知っていた。しかし詳しい話は聞いていなかった。彼が私の家にやってきた日の午後、ボランティアの仲間を集めるための面接があったということであった。
この日は彼のこの活動で話が盛り上がった。
彼はこの活動からほとんど何の報酬も得られないことをつい最近まで知らなかったという。今月いっぱいで退職した後は6か月間、失業手当で暮らすという。彼らしい。
まさに「三つ子の魂百までも」。彼はいまも愛すべき好青年である。
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