2009年2月24日火曜日

辿りきて

昨日の午前中、名古屋に住む友人から電話がかかってきた。東京に出てきたので会わないかという誘いであった。彼からは上京する旨のメールを1週間ほど前にもらっていたが、雑事に追われて返事を書かないままになっていた。

彼とは昨年暮れにも高知で顔を合わせたばかりだった。高校時代の友人との同窓会の席であった。

東京で彼と会うのはいつも神田の讃岐うどんの店。彼は香川大学出身だということもあって讃岐うどんが大好物だ。彼が帰りの新幹線に乗るまでの2時間ほどこの店で讃岐うどんを食べながら語り合った。

彼がいつも話すのは自分の親のこと。彼の母は数年前に交通事故で亡くなった。即死であった。彼の父親が運転する車が交通事故を起こしたのだ。当時の出来事は既にこのブログに書いた。

彼は一人暮らしとなった父の世話をするため1か月に2回ほど高知に帰る。しかし高知空港に降り立ったときの寂しさは今もこたえるという。事故の前はいつも、彼が飛行機で帰省するときには、彼のお父さんが出迎えにきてくれた。そして「もんたかよ」と言って喜んでくれたという。「もんたかよ」というのは土佐弁である。「帰った?」という意味であるが、この言葉には独特のぬくもりがある。このぬくもりは高知で育った人にしかわからない。

こんな彼も別の友人には羨ましがられるという。親が1人生きているだけでもいいではないかと。

親が死ぬというのは心の拠り所を失うことだと彼は言う。「この世の中で無条件に自分を支持し支えてくれるのは親しかいない。たった2人だけだ。」彼は言葉を噛みしめるように私にそう言った。私の両親はまだ健在である。しかし遠からず私も彼らと同じ寂しさを味わうことになろう。

10年前までは親のことが私たちの間で話題に上ることはなかった。親は私たちの関心事ではなかったのだ。親が元気でいることは私たちにとって当たり前のことであった。

彼と私が出会ってから40年経つ。中学校1年生のときであった。何回かクラス替えはあったが、私たちは6年間一緒に過ごした。最も多感な思春期を共にした。この6年間が私たちの友情を育て、その後の私たちの人生を決定づけたと彼は言う。そして中学高校一貫教育を受けたことを人生のなかで最も幸運なことであったと言う。

私たちが6年間通ったのは高知市内にある私立の学校であった。高知県内では進学校と考えられているが、全国的には全く無名である。

しかしこの学校は今も私たちのアイデンティティそのものである。誇りの源である。

私たちは夜9時過ぎに店を出た。そしてJR神田駅の改札口で別れた。

別れた後、新幹線のなかからメールが届いた。

「今日はすみません。ありがとうございました。今、新幹線に乗りました。勝手に呼び出して勘定まで払わせる、こんなこと、出来る人は少ないですよね。そんなことが嬉しく思います。その意味では学芸のおかげかも。また、宜しく。ありがとうございました。」

「学芸」とは、私が卒業した高知学芸中学・高等学校のことである。

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