2009年2月25日水曜日

少子化

日本の国民の最大の関心事は失業問題、年金、医療であろう。失業は国際的な不況が最大の原因である。しかし外需依存の日本の産業構造が先進国で最悪のGDPの低下を招いた誘因となっていることも事実であろう。

内需が伸びない理由は何であろうか。私は経済については全くの素人であるが、最も大きな原因は少子化だと思っている。年金問題も医療問題も少子化によってもたらされたものだと私は考えている。就労、年金、医療などといった国民の基本的生存権に関わる問題の根本的解決法は子供を増やすこと以外にない。

私には一人息子がいる。いま10歳。これまでは親である私が期待するとおりの成長をしてくれた。このことには大きな喜びを感じる。しかし、子はこの息子一人。子に対しても社会に対しても罪悪感を抱いている。だから息子には早く結婚し沢山の子をもうけてもらいたいと願う。子沢山は幸福の代名詞である。

私は、独身の男女と話す機会があれば、いつも早く結婚すべきだと話す。幸い、彼らの中に生涯独身主義者はいない。「いい人」がいれば結婚しようと思っている。

いい人・・・。この言葉を聞くといつも私は考え込んでしまう。私がいい人と思っても彼らもいい人と感じる保証はない。先ず彼らが直接相手と会ってみる以外には確かめる手立てはないではないか。

彼らは相手の家系、出身校、勤め先、背の高さなどを指定する。それらが自分の希望に添わないときには会おうともしない。私は悲しくなる。その本人に会ってみなければわからないことがたくさんあるではないか。なぜ最初から全ての可能性を否定するのか。

作家の曾野綾子氏は次のように語る(「夫婦、この不思議な関係」 WAC BUNKO)。

「・・・つまり、これは、人間というものが説明しきれないような複雑な理由で惹かれ合うことがあるという可能性に対する最初からの拒絶である。いかに毎日1時間ずつトイレの掃除をしなければなかろうと、私がもっと相手に惚れていたら、それも致し方ないと思っただろう。外国に住むのはいやだと思っていても、「この人に引っぱられていやいや30年、ついに地球の反対側に住んでしまいました」などという科白を、人間はにこにこしながら言える場合もある。

夫婦というものは、当然、出会いから始まるのだが、その場合、条件を優先させる人を見ると、私はどうも不思議な気がしてならない。・・・・こういう人は、どうも自己本位で、それだけ自分に目をかけているわりには自分が見えていないのではないだろうか、という気がする。」

同感である。

数年前、ある女性に、高知に住む男性を紹介しようとした。彼女は話にならないという口調でその男性に会うのを断った。彼女はこう言った。「だって、高知には台風が来るじゃないですか。」

その1年後、彼女より15歳年上の男性を紹介したときには、「想像すらできない」と言われた。その男性に関する説明すら聞いてもらえなかった。

彼女はいまも独身である。そして生涯独身率を上げる一人となった。
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2009年2月24日火曜日

辿りきて

昨日の午前中、名古屋に住む友人から電話がかかってきた。東京に出てきたので会わないかという誘いであった。彼からは上京する旨のメールを1週間ほど前にもらっていたが、雑事に追われて返事を書かないままになっていた。

彼とは昨年暮れにも高知で顔を合わせたばかりだった。高校時代の友人との同窓会の席であった。

東京で彼と会うのはいつも神田の讃岐うどんの店。彼は香川大学出身だということもあって讃岐うどんが大好物だ。彼が帰りの新幹線に乗るまでの2時間ほどこの店で讃岐うどんを食べながら語り合った。

彼がいつも話すのは自分の親のこと。彼の母は数年前に交通事故で亡くなった。即死であった。彼の父親が運転する車が交通事故を起こしたのだ。当時の出来事は既にこのブログに書いた。

彼は一人暮らしとなった父の世話をするため1か月に2回ほど高知に帰る。しかし高知空港に降り立ったときの寂しさは今もこたえるという。事故の前はいつも、彼が飛行機で帰省するときには、彼のお父さんが出迎えにきてくれた。そして「もんたかよ」と言って喜んでくれたという。「もんたかよ」というのは土佐弁である。「帰った?」という意味であるが、この言葉には独特のぬくもりがある。このぬくもりは高知で育った人にしかわからない。

こんな彼も別の友人には羨ましがられるという。親が1人生きているだけでもいいではないかと。

親が死ぬというのは心の拠り所を失うことだと彼は言う。「この世の中で無条件に自分を支持し支えてくれるのは親しかいない。たった2人だけだ。」彼は言葉を噛みしめるように私にそう言った。私の両親はまだ健在である。しかし遠からず私も彼らと同じ寂しさを味わうことになろう。

10年前までは親のことが私たちの間で話題に上ることはなかった。親は私たちの関心事ではなかったのだ。親が元気でいることは私たちにとって当たり前のことであった。

彼と私が出会ってから40年経つ。中学校1年生のときであった。何回かクラス替えはあったが、私たちは6年間一緒に過ごした。最も多感な思春期を共にした。この6年間が私たちの友情を育て、その後の私たちの人生を決定づけたと彼は言う。そして中学高校一貫教育を受けたことを人生のなかで最も幸運なことであったと言う。

私たちが6年間通ったのは高知市内にある私立の学校であった。高知県内では進学校と考えられているが、全国的には全く無名である。

しかしこの学校は今も私たちのアイデンティティそのものである。誇りの源である。

私たちは夜9時過ぎに店を出た。そしてJR神田駅の改札口で別れた。

別れた後、新幹線のなかからメールが届いた。

「今日はすみません。ありがとうございました。今、新幹線に乗りました。勝手に呼び出して勘定まで払わせる、こんなこと、出来る人は少ないですよね。そんなことが嬉しく思います。その意味では学芸のおかげかも。また、宜しく。ありがとうございました。」

「学芸」とは、私が卒業した高知学芸中学・高等学校のことである。

2009年2月23日月曜日

鞄の中身

一日の仕事が一段落して自分の席に戻る。溜まっている残業を片付けようと思う。しかしどっと疲れが出る。帰宅に帰って続きの仕事をしようと思う。重い書類を抱えて帰宅する。通勤時間は片道45分。電車のなかでもほとんど立ちっぱなしである。帰宅すると同時にもっと強い疲労感が襲ってくる。家族もいる。そして翌朝。何も手がつかなかった書類をまた職場に持ち帰る。残るのは虚しさだけである。

こんな経験をしているのは私だけであろうか。そうかもしれない。私は人一倍ぐうたらである。ずぼらである。そして三日坊主である。

こんな悪循環の解決策はないものか。ひとつの解決方法は時差出勤。もうひとつは車での出勤。

しかし電車のなかで座るためには朝6時過ぎには家を出なければならない。これは家族の生活のリズムを狂わせる。車での出勤も精神的に疲れる。つい数日前にも通勤途中、スクールゾーンに進入して警察に捕まってしまった。その通りはこれまで7年間、幾度となく車で走ったところだ。それなのに時間によって車の進入が禁止になることを知らなかった。その日は、職場について駐車場に車を停める際にも電柱に車をぶつけてしまった。挙げ句の果てに、さあ帰宅しようと思って駐車場に来たまではよかったが、エンジンがかからない。バッテリーがあがってしまっていたのだ。泣きっ面に蜂である。家内のアドバイスもあり、当分、車の運転はしないことにした。

結局、通勤・移動の疲れを少なくするために私が始めたのは手荷物を軽くすること。そのために軽いノートパソコンを購入した。このことだけでも荷物が1キロ以上軽くなった。パソコンの電源は切らない。したがってパソコンを開けばいつでも作業を再開することができる。パソコンの付属品も必要最小限のものだけを鞄に入れておけば重さが苦になることもない。この他、鞄の中に入れるのは、携帯電話、メモ帳、ボールペン、そしてわずかの書類だけである。

確かに通勤の疲れは少なくなった。

2009年2月22日日曜日

エキナカ

「エキナカ」というのは「駅中」のことであろうか。ここ数年、東京ではJRの駅中には商店が建ち並び多くの人で賑わっている。私が毎日通勤に利用する駅でも再開発が進んでいる。

こんなエキナカの店のなかで私がよく利用するのは書店とパン屋である。「パン屋」と聞くと奇異に思われるかもしれないが、私の目的はパンを買って家に持ち帰ることではない。パン屋のなかのテーブルに座ってパンをかじりコーヒーを飲みながらくつろぐためである。一人でぼーっとする一時は私にとって至福の時間である。周りには大勢の人がいる。しかし誰一人として知る人はいない。一人きりでいるのと気分は同じである。

こんなとき、ときにノートパソコンを開き、キーボードを叩くこともある。メールを書いたり、ブログを書いたり、急ぎの原稿を書いたりと、することには事欠かない。真夏であっても店内は冷房が効いており涼しい。逆に冬は寒さがしのげる。それに静かだ。パン屋という性格上、流れるBGMは穏やかなものが多い。明るくて清潔感があるのもいい。煙草の煙も流れてこない。その代わり、長居するのは憚られる。また深夜まで営業している店は少ない。無線LANが使える店もない。

私は通勤途中にあるふたつのJRの駅のエキナカにあるパン屋を時々利用する。電車から降りてすぐに店に入れるので便利だ。それに駅前の雑踏を通り抜ける必要もないので疲れない。店内が混んできたら邪魔にならないように早めに店を出ることさえ心がければ、パソコンを開いて作業をすることがあっても許されるのではないかと私は勝手に考えている。

カラオケボックスやインターネットカフェを書斎代わりに利用することを勧める人もいるが、ずぼらな私は駅の構内を出るだけでも億劫である。エキナカのパン屋はこれからも私の憩いの場となろう。

デジタルカメラをメモ帳代わりに使う

私はずぼらである。そのうえ、物忘れが激しい。だからマメにメモをとるのかといえばそうではない。だから大切な事柄もすぐに忘れてしまう。思いついたアイデアも活かせない。たとえその場でメモをとってもそのメモをなくしてしまう。

こんな私がメモをとるために最近よく用いるのはデジタルカメラである。私はいつもデジタルカメラを持ち歩いている。メモ用紙に手書きで殴り書きした場合には、そのメモをデジタルカメラで撮影し、メモ用紙はその場で破り捨てる。だから小さなメモ用紙とボールペンも常に持ち歩く。メモは100円ショップで購入したものである。ボールペンは三色ボールペン。

どのようなメモ用紙を用いるべきかという点について書店に並ぶ本にはいろいろと書かれている。A4大のメモ用紙がいいとか、碁盤の目が入っているメモ用紙が入っているのがいいとか。私自身は左の手のひらに入る程度の大きさのものでいいのではないかと考えている。色も白で十分。白ならばどの色のオールペンで書いても鮮明に見える。デジタルカメラで撮影しても見やすい。ただし20~30枚程度はいつも持ち歩く必要があるだろう。メモ用紙を用途によって使い分けることはしない。ずぼらな私にはメモする事柄の内容によってメモ用紙をかえるといったことは到底できない。三日坊主になる種はできるかぎり取り除くことが私にとっては必須である。

字は大きく書く。急いでいるときでも必ず後で読めるように書かなければならない。要点だけをメモするが、そのメモに書かれた内容だけで理解できるように留意しながら記載する。

デジタルカメラで撮影した画像はiPhotoで取り込む。そしてiPhoto上で整理する。整理して不要となった写真は削除する。

iPhotoでは複数の写真を「イベント」にまとめることができる。また写真を内容によって「グループ」に分けることもできる。個々の写真にキーワードをつけることも可能である。

これならばずぼらな私でも物忘れを最小限に食い止めることができる。

ブログの作成には"MacJournal"が便利

私は2年あまりからブログを書くようになった。私がブログを書くようになったのは私には日記を書くという習慣がなかったからである。きょうから日記を書くぞと決めても長続きしたためしがない。私は何事につけても三日坊主である。ブログならば気が向いたときに書けばよい。そう思ったのだ。

ただし、私のブログは自分のために書いているのではない。また不特定多数の人のために書いているのでもない。10歳になる一人息子のためである。

私はまだ50歳代前半である。健康でもある。しかし何時何時死ぬかわからない。私が死ぬとき、息子に遺せる最も大きな遺産は父である私の思い出であろう。このブログを公開しておけば、いつか息子がこのブログを読むこともあろう。そんな思いから、私はこのブログを非公開とはしなかった。

ブログを書くにあたって、通常はブラウザを利用する。私もブラウザを用いて直接入力することが多い。しかし出先でブログを書こうと思い立つことがある。こんなときにはMacJounalというソフトを利用してブログを書く。このソフトを使用すれば複数のブログをまとめて管理することができる。ネットに繋げられたときにブログ用のサーバーにそのファイルをアップロードすればよい。原稿を校正しそれを再度アップロードすることによってブログを更新することもできる。MacJournalはMac OS X用のソフトウェアである。Windows用にはWinJounalというソフトウェアがある。ブログ用のソフトウェアにはいろいろのものがあろうが、私はこのほかにはiPhoneで使用できるものとしてiBloggerを利用しているだけである。ただしiBloggerでは画像のアップロードができない。

MacJournalの特長のひとつは、アップル社のMobileMeに加入していればMobileMeを利用したファイルの同期ができることである。したがって複数のコンピュータで同じファイルを共有できる。ただし、1ファイルあたり5MBを越す容量のファイルは同期できない。ファイルの中に画像を貼り付けるとすぐにファイルサイズが5MBを越してしまう。もっと大きなファイルの同期もできればいいのだが。

何か思いつくとノートパソコンを開く。電車の中で立ったままでパソコンを開くこともある。すぐに作業ができるように電源は常に入れたままである。私はMacBook Airを持ち歩いている。MacBook Airは軽いので用い歩いても苦にならない。昨年の暮れに型落ちしたものを40%引きで購入した。

このMacBook Airを購入する前、私はMacBookを持ち歩いていた。しかしMacBookは重い。出先で作業をしようと思ってMacBookを持っていっても、出先でどっと疲れが出てしまう。結局何もしないまま重いMacBookを持ち帰ることになる。長い間、こんなことの繰り返しであった。

MacBookの重さは1.3キロ。ディスプレイも文章を書くだけならば十分な広さがある。速さも十分。バッテリーも3時間以上もつので、長時間の移動をしない私には十分である。

最近はネットパソコンがよく売れるという。私もMacBook Airを購入する前にはネットパソコンの購入を真剣に考えていた。しかしバッテリーを挿入するとMacBook Airとほぼ同じ重さになる。しかもスペックはMacBook Airよりもはるかに低い。デザイン性にも劣る。

MacBook AirとMacJounalの組み合わせには満足している。

2009年2月16日月曜日

早寝と早起き

早起きは爽快である。この爽快さは何から来るのであろうか。出勤まで時間があることによる心の余裕もあろう。空気も新鮮である。それに静かである。家族も近所の人たちもまだ眠りの中だ。車の音も聞こえない。

ただ、ほんの少し眠い。テレビを観ようか。本を読もうか。それとも書き物をしようか。迷っているうちにどんどん時間が経つ。

テレビを観始める。すると出勤までずっとテレビに釘付けになってしまう。もし前の晩に読むべき本をテーブルの上に置いていたとしたらきっとまずその本を開くだろう。そうすれば出勤までに何ページかはその本を読み進めることができる。また翌朝書き物をしようとすれば、寝る前にコンピュータをテーブルの上に用意しておく。そしてどの書き物に手をつけるかをメモに書いておく。そうすれば起きてすぐに作業を始めることができる。怠け者である私には朝起きたらまず何をするかを前の晩に決めておくことが重要である。

書店には早朝の時間をいかに有効に使うかという点に関する書籍がたくさん並んでいる。私もその何冊かに目を通してみた。確かに早朝に作業をすると能率が上がる。したがって頭脳労働を朝するというのは合理的であると私も思う。ただ、早朝にするべき作業があまりに多いと朝を迎えても憂鬱である。過大なノルマを課さないことが私には大切なようだ。

朝早く起きれば当然、夜は早く眠くなる。最近は息子よりも早く寝床につくことが珍しくなくなった。

睡眠時間を削ることは効率化には役立たない。特に私は睡眠不足に弱い。睡眠不足だとぼーっとしたまま一日が過ぎてしまう。いくら焦っても頭も体も動かない。私はほんの一晩でも睡眠不足だとすぐに目にクマができる。昨年まではほとんど毎日目にクマがあった。非効率的な生活を送っていた証左である。

日没後、何をしようかと迷ったら、まず寝床に入ろう。そしてぐっすり眠ろう。爽やかな朝を迎えるために。今年に入ってそう決めた。おかげで最近は昼間眠くなることがほとんどなくなった。ぐうたらはぐうたららしく、まず寝るべし!