2007年6月7日木曜日

犬山城



5月29日から6月1日まで名古屋に行った。学会出席が目的であった。学会の合間を縫って6月1日の午前に犬山城を訪れた。名古屋駅から名鉄とタクシーを使って約35分。一人旅であった。

犬山城は織田信長の叔父にあたる小田信康が築いた城だ。1537年に築かれたという。

犬山城の天守閣に登ると南方に名古屋の街が見える。その手前に小高い山がある。犬山城の職員に尋ねるとその山の頂上に小牧城があるという。小牧といえば家康と秀吉が戦った場所だ。秀吉は犬山城に陣取った。小牧城には家康が陣を敷いた。

北西には岐阜城がある。残念ながら肉眼で岐阜城を確かめることはできなかった。岐阜条は10年ほど前に訪れた。やはり学会の期間中であった。「岐阜」という地名は信長が命名した。

犬山城から見渡す濃尾平野は、長かった戦国時代に終止符を打った数々の英雄を産んだ地だ。人間の情熱と欲望が煮えたぎった戦国の世の中心舞台となったこの平野を眺めながら、私はまたしても芭蕉の一句を思い浮かべていた。

夏草や
つわものどもが夢のあと

2007年6月5日火曜日

湯川ふるさと公園




中軽井沢を湯川という小さな川が流れている。この湯川を挟むように広大な緑が広がる。ここが湯川ふるさと公園だ。中軽井沢はよく訪れるが、こんな身近な場所にこれほどまでに広い公園があったとは・・・。全く気づかなかった。

川縁には樹木が生い茂っている。小川のせせらぎと小鳥のさえずりを聞きながら川縁を歩いていると釣り人に出会った。岩魚と山女を釣っているのだという。川を横切って向こう岸に行こうとしたが橋がない。結局、森を抜けて新幹線の線路近くまで出てやっと橋を渡ることができた。橋を渡るとたくさんの子供たちが滑り台やブランコで遊んでいる姿が見えた。

私たちは息子を遊ばせるために、これまで軽井沢でいろいろの公園を訪れた。しかしこれほどまでに広く美しい公園は他にない。旧軽井沢からも近い。大発見であった。

息子が遊んでいる間、私はひとりで川縁に降りていった。降りていく途中、イタドリを見つけた。そのイタドリを見つけた瞬間、私の頭の中には幼なかりし時代の思い出が次から次へと湧いてきた。川縁を散歩しながら、いつしか私は幼年時代を過ごした郷里のことばかり考えていた。

ワラビ、ゼンマイ。春になると、私は山菜を採るために学校から帰ると毎日のように裏山に駆け登った。少し生臭いような新緑の香りが鼻をついた。6月になると山桃採りにも行った。秋になると、アケビ採りと山芋掘り。アケビはほとんど種ばかりである。その種は噛むと苦い。しかしべとっとしたゼリー状の部分はわずかに甘みを持ち独特の香りを放つ。掘ってきた山芋は大根おろしで擦ってとろろ状にし、醤油をかけて生のままで食べる。手や口のまわりがかゆくなるが、まだ若かった私にはそんなことは一向に気にならなかった。冬は裏山にワナをしかけて鳥を捕まえる。学校から帰ると鳥が捕まっていないかどうかを見に行く。翼をばたつかせて逃げようともがいている鳥をぐっと両手でおさえながら自宅に帰ると、祖父がその鳥の名を教えてくれた。ツグミやヒヨが捕まることが多かった。メジロが捕まったこともあった。祖父が料ってくれた鳥の丸焼きに私は無心になってかぶりついた。焼かれた鳥がかわいそうにも思えたが、こおばしく実にうまかった。

私は根っからの野生児であった。そして今も、多分。

オナーズヒル軽井沢 その2

2週続けて週末を軽井沢で過ごした。オナーズヒル軽井沢に来るのも2週続けてとなった。

オナーズヒル軽井沢は国道18号線の追分の信号から南に車で10分弱下ったところにある。ここにあるレストランからは浅間山が見渡せる。今週はあいにくもやがかかっていて浅間山はぼんやりと見えるだけであったが、先週の日曜日には頂上までくっきり見えた。レストランの中は静かだ。訪れる客も少ない。料理も実においしい。店員の接客態度も気持ちがいい。

昼食を済ませた後、山道の散歩を楽しんだ。森の中はひんやりと寒い。鳥のさえずりを聞きながら曲がりくねった狭い山道を歩く。ところどころに設置された標識だけが頼りだ。

一汗かいたところで温泉につかる。ここには大きくはないが清潔な温泉もある。以前は温泉が湧いていたが、いまは小瀬温泉からのもらい湯であるという。喧噪から離れた山の奥でゆったりと昼食をとり散歩を楽しんだ後の入浴は最高である。

ここには宿泊施設もある。4部屋しかないが。いつかここに泊まってみたいと思っている。

2007年5月28日月曜日

ホナーズヒル軽井沢




国道18号線の追分の信号から車で10分足らず下ったところに「オナーズヒル軽井沢」という小さな温泉旅館がある。ここにはレストランもあり、浅間山を遠くに眺めながら食事をとることもできる。私たちがこの施設を訪れるのは昨日が初めてであった。

宿泊のための部屋はわずかに4部屋。しかし建物は新しく清潔で、職員の応対もいい。私たちはここで昼食をとり、30分ほど山歩きをした後、温泉につかった。ゆっくりと心身の疲れを癒すことができた。おそらくこれからはたびたびこの施設を訪れることになろう。

2007年5月25日金曜日

息子が生まれた日

今朝6時過ぎに鳴った電話の音で目が覚めた。きょう予定されていた息子の遠足が天候が悪いために中止になったという父兄からの連絡であった。まだ雨は降っていなかった。電話を切った後、家内はぼやいた。「ゆうべ遅くまで折角準備を整えたのに・・・。」しかし、その30分後に雨が降り始めた。間もなく本格的な雨になった。

息子が生まれた日もきょうのようにはっきりしない天候であった。もう9年前になる。その日の朝5時過ぎに私は家内のささやき声で起こされた。これから病院に一人で行ってくるという。家内はその数日前から入院の支度を整えていた。

私はすぐに起き上がり、急いで身支度をした。そしてタクシーを拾うために家の外に飛び出した。当時、私たちが住んでいた家の向いは病院であった。したがって常時タクシーが停っていた。しかしそのときに限っては1台のタクシーも停っていなかった。午前5過ぎという時刻もタクシーを最も拾いにくい時間帯であった。またその日はちょうど祭日でもあった。私は走って大通りまで出た。しかしタクシーがなかなか来ない。

やっとタクシーを拾ってそのタクシーに飛び乗り、自宅の前にタクシーを着けたのは、15分ほど後であった。

そのタクシーの運転手は病院までの道順を知らなかった。地方育ちの私も都内の道路はほとんどわからなかった。お腹をかかえながら家内がナビゲートしていった。

病院に着いたのはちょうど午前7時であった。病院の救急外来は静かであった。産科の当直医がほどなく診察をしてくれ、すぐに入院ということになった。

案内された病室はいつ建てられたのかもわからない古い病棟の4階にあった。部屋に入ると湿気のためにむっとした。エアコンをつけようとしたが壊れていた。家内はすぐに陣痛室に移動した。残された私は蒸し暑く狭い病室のなかでじっと時間が経つのを待った。外は曇り空であった。時折、霧雨が降った。

午後4時頃であっただろうか。家内が分娩室に移ったとの連絡があった。男である私には出産に対する現実的な感覚が全くなかった。その報告を聞くと間もなく眠りに落ちた。

どれほどの時間、眠っていただろうか。電話の鳴る音で目が覚めた。分娩室からの電話であった。子供が生まれたという。私は急いで5階にある分娩室に駆け上がった。

分娩台にはまだ家内が横たわっていた。しかし苦渋の表情はなかった。傍にいた助産婦がタオルケットにくるんだ生まれたばかりの赤子を私に手渡した。男の子であった。私はぎこちない手つきで息子を受け取った。息子は私の手に移ると泣くことなく、いったいどこにいるのだろうという表情を浮かべてキョロッ、キョロッと左右に目を動かせた。「目と目が離れたずいぶん垂れ目の赤子だなあ」というのが私の第一印象であった。

2007年5月21日月曜日

ちんどん屋




私の自宅の近くにある巣鴨地蔵通商店街は、週末は大勢の人手で賑わっている。きのうの日曜日、この商店街で巣鴨商人祭りが開かれていた。天気がよかったので息子と一緒に祭りに出かけた。

息子の目的はスタンプラリーであった。商店街の7か所に設置された中継所でスタンプをもらうとともにクジを引く。当たりクジを引くとそれぞれの中継所で記念品がもらえる。スタンプが7つになると最も高価な記念品が用意されているクジを引くことができる。

商店街を息子とゆっくり歩いていると前方から奇妙な音楽が流れてきた。太鼓とトランペットの音色が聞こえる。ちんどん屋であった。彼らは巣鴨商人祭りの宣伝用のプラカードを胸から下げていた。

この辺り一帯は戦災を免れたのであろうか。古い街並みが今も残る。まだ街全体が生きている。人情もある。車の通りの激しい白山通りのすぐ裏で日本の伝統が生き続けている。

2007年5月17日木曜日

いい言葉

1週間ほど前、大学時代のクラスメートに電話をかけた。ちょっと頼みたい用件があったのだ。大学では彼女と私とは出席番号が近いこともあってグループで国家試験の勉強を一緒にしたこともあった。

その日は用件だけ告げてすぐに電話を切るつもりであった。しかし思わず話がはずみ長電話となった。彼女とは数年前からたまに話すことがあったが、近況を簡単に告げる程度であった。

私は、大学卒業後、彼女がどのような人生を歩んできたのかほとんど知らなかった。その日、彼女が経験してきたいくつかの挫折を聞かされて驚いた。人生は過酷だ。男女を問わず、次から次へと新たな試練が襲ってくる。

その日、彼女の話し方はいつになく穏やかであった。

電話を切る直前、彼女は次のようなフレーズを私に告げ、「いい言葉でしょう」と笑った。

"When one door closes, the door on the other side opens."

彼女は海外留学のために旅立つ飛行機の中でこのフレーズを目にしたという。