きょうは8月15日。終戦記念日である。全国のあちこちで記念式典が開かれている。
幼い頃、この日に、私は毎年、祖父母に連れられて高知市内で開かれる慰霊祭に参列した。まだ小学生にもならない当時の私にこの式典の趣旨がわかろうはずはなかった。祖父母も何のために慰霊祭に毎年参列するのかについて私に何も話さなかった。式典は毎年、炎天下の下で開かれ、とても暑かったことは今も記憶に残っている。厳かな会であった。筵の上にじっと座って、当時の私には何のことかわからない行事が長時間にわたって続くことに私はじっと耐えていた。確か、正午であったと思う。鐘が鳴った。そのときは私もじっと目を閉じた。
私が小学校2年生のときの大晦日に祖母が亡くなった。以来、祖父も私も慰霊祭に参列することはなくなった。この式典が当時、高知市内のどこで開催されていたのか、わからない。また今も開催されているのかについても知らない。きっと開かれているに違いないが。慰霊祭というものが何のために行われるのかを私が知ったのは、ずっと後のことであった。祖父母がなぜ毎年慰霊祭に参列していたのかを知ったのもずっと後のことであった。
祖父母は長男(私の伯父)を戦争で亡くしていた。フィリピンのレイテ島で伯父は戦死した。終戦のわずか1ヶ月前であった。叔父の死は、遺された妻とひとりの幼子のその後の人生を大きく狂わした。叔父の墓には叔父の遺骨はなく、叔父の髪の毛と爪だけが埋葬されていると祖父からは聞かされていた。私の父親が亡くなる直前に行った改葬時に叔父の墓も掘り起こした。当然、何も出てこなかった。一握りの土を団子にし、東京に設けた新しい墓地に埋葬した。
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