2016年9月5日月曜日

林 耕史 展 2016年9月4日(日曜日)

きょう、昼すぎに軽井沢を発って群馬県の中之条町に出かけた。花の駅「花楽の里で開かれている林耕史展を観るためである。

林先生は現在、群馬大学教育学部の教授であるが、私の息子が1年生から3年生になるまでの3年間、筑波大学附属小学校でクラス担任を務めてくれた。息子が4年生になったとき、助教授として群馬大学に赴任した。

群馬大学に赴任した後も、展覧会を開くときには、林先生は案内状を息子に送ってきてくれていた。そのため、私も東京で個展が開かれる際には、何度か会場に足を運んだことがあった。

きょう、軽井沢から会場までは、車で1時間あまりかかった。私と私の家内と息子の3人が会場に着いたときには、既に林先生自身による作品の説明が始まっていた。来場者のほとんどが20歳代の若い女性であった。皆、熱心に林先生の説明に聴きいっていた。ほとんどが林先生の教え子だろうと私は思ったが、後で確認すると、林先生の教え子は2人だけであった。

長年、林先生の作品のテーマは「漂泊」であった。舟の彫刻が多かった。しかしきょう展示されていた作品のテーマは、月と山であった。

林先生は、何故、月と山に関心を抱くようになったのかを来場者に説明した。そして、今回の展覧会のタイトルを「月が眠る山」とした理由についても述べた。来場者からの質問が多かったこともあり、林先生の話は40分以上に及んだ。

作品についての林先生の説明が終わったあと、私と家内は林先生に挨拶をした。林先生は作品の説明中に私が来場していることに気づいていたという。そして私の家内にも気づいていた。しかし、教え子である私の息子には気づいていなかった。

私の息子が林先生に近づいて挨拶をすると、林先生は「オーッ」と大声をあげた。無理もない。息子が林先生にお世話になったのはまだ8~9歳のときであった。林先生は決して小柄ではないが、私の息子は林先生よりも背が高くなっている。林先生は息子に「握手をしよう」と声をかけ、2人は握手を交わした。私たちは林先生としばらく歓談した。そして別れ際に息子と並んで写真を撮らせていただいた。

 


林先生は息子が高校3年生であることを知っていた。そして受験勉強は大変だろうと心配してくれたが、「どんな知らせでも先生は嬉しい」と言った。「どんな知らせでも先生は嬉しい」というのは、一流の大学に入らなくとも知らせをもらえればそれだけで嬉しいという意味と私は解釈した。本心であろう。師とはありがたい存在だと思った。

軽井沢には、往きと思じルートで戻った。運転しながら、久しぶりに心が晴れ晴れとしてているのを感じた。

(敬称と敬語表現は省かせていただきました。)

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