高知県高岡郡中土佐町にある久礼八幡宮(くれはちまんぐう)は海の守護神として古来より漁業関係者に崇敬されている。この神社の秋季例大祭である久礼八幡宮大祭は、土佐の三大祭りの一つとなっており、県内外から多くの観光客が訪れる。
祖父母の存命中、私は祖父母に連れられて、毎年この祭りに出かけた。久礼には伯父(祖父母の次男)一家が住んでいた。祖父母にとっては息子家族と会うのも目的であったと思う。
私の楽しみはいか焼を食べることであった。その祭りにはイカ焼の店が必ず出ていた。炭火で焼いたばかりの、タレが滴り落ちるイカの美味しさは格別であった。私はマグロのトロよりもイカの刺身や握りが好きであるが、当時から既に「イカ好き」であったのであろう。
祭りが開かれる2日間、八幡宮の境内には所狭しと数多くの店が並んだ。当然、おもちゃの店もあった。おもちゃ屋の前で力(かたな)を見つけた私は、無性にその刀が欲しくなり、買ってくれと祖父母にねだったことがあった。値段は300円であった。今の物価に換算するといくらになるであろうか。当時の私の小遣いは1日5円~10円であった。
いずれにしろ、我が家の生活レベルから考えると、法外に高かったに違いない。祖父母は直ぐには私の希望を聞き入れてくれなかった。翌日も私は刀を買ってくれとその店の前で強くせがんだ。そしてやっとのことで私の希望を聞き入れてもらった。その刀は何年間か私の宝物になった。
このときのことは祖父の頭の中に長く残ったようであった。「あの刀は高かった」と後々まで祖父は感慨深げに私に語った。
私が小学校2年生のときに祖母が亡くなった。以来、その祭りに行くことはめっきり減った。
当時、伯父の家は堤防の直ぐ内側にあった。今もその堤防は残っているが、数十メートル沖に新たに堤防が築かれ、辺りの気色はすっかり変わった。伯父の家も最近、空き家となった。
数年前に父親が倒れて以来帰省することが多くなった私は、久礼の町を度々訪れるようになった。しかし何度久礼の町に来ても、頭に思い浮ぶのは祖父母も叔父も両親も元気だった頃の思い出ばかりである。