2012年5月3日木曜日

14回目の誕生日

きょう5月3日は憲法記念日。息子の誕生日である。息子はきょうで14歳になった。私たち一家は毎年、この日を軽井沢の別荘で過ごす。

息子が幼い頃は、この日に佐久の川べりで開かれる佐久バルーンフェスティバルを観によく出かけた。そして5月5日のこどもの日には、軽井沢や小諸で開催される子どものためのイベントに参加したものである。

息子が生まれた日のことは以前、このブログに書いた。

その日の朝5時すぎに私は家内の声で目を覚ました。私が目を開けると、暗い部屋のなかで私の布団の側に家内が立っていた。そして「お腹が痛くなったからこれから病院に行ってくるね」とささやくように小声で言った。家内は一人で病院に行くつもりであったらしい。家内は既に外出着に着替えていた。そして数日前からパッキングを済ませていたスーツケースを引いて部屋を出ようとした。私は慌てて起き上がり大急ぎで着替え、家内と一緒に家を出た。

当時、私たちは家内の実家に住まわせてもらっていた。家内の実家は三井記念病院の向かいにある。いつもタクシーが何台も並んでいた。しかし、その日は祭日であったためか、朝早かったためか、一台もタクシーが停まっていなかった。大通りまで走っていき、やっとタクシーの空車を止めることができた。霧雨が降っていた。

タクシーの運転手は、慶應病院までの道筋を知らなかった。私もそうであった。お腹の痛みをこらえながら家内がタクシーの運転手に指示をした。慶應病院に着いたのは午前7時であった。直ちに入院になった。

私は家内が陣痛室に向かった後、病室でずっとうとうとしていた。その日は一日中霧雨が降り、蒸し暑かった。しかし病室のエアーコンディショナーは故障していた。息子が生まれたことを知らせる分娩室からの電話で私は目を覚した。

私が分娩室に着いたとき、息子の体はすでにきれいに清められ産着に包まれていた。その息子を私は慣れない手つきで初めて抱いた。初めて見る息子は両目の間が離れており垂れ目であった。息子は、いまどこにいるのだろうというような表情を見せて目を左右にきょろきょろさせた。

その晩、家内は疲れのためぐっすり眠ったものとばかり私は思っていたが、安堵と喜びのために家内は興奮してなかなか寝つけなかったという。

息子が生まれた日のことは、まだ昨日のことのように鮮明に思い出すことができる。私にとっても長い長い一日であった。

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