きょうは土曜日であるが、息子は朝早く、学校に出かけていった。きょうの午前中、息子が通う小学校の卒業式があるということであった。5年生になった息子の同級生全員がこの卒業式に出席して卒業生を見送る。
私は、自分自身が小学校を卒業するときの卒業式のことをほとんど憶えていない。ただ、「仰げば尊し」を歌わなかったということだけは鮮明に記憶している。この歌は、当時、卒業式で歌われる定番ともいえる曲であった。この曲のなかの「わが師の恩」という部分を教員が嫌ったのが、私たちが「仰げば尊し」が選ばれない理由であった。このことは担任の先生から直接聞いたように思う。
私は地元の中学校には通わなかった。中学校受験をして高知市内にある私立に進学した。そこで6年間一貫教育を受けた。
小学校の卒業式と中学校への入学試験のどちらが先であったのか記憶がないが、小学校を卒業するにあたってさほどの感慨はなかった。だから、卒業式の日には、すでに入学試験に合格していたのかもしれない。
小学校を卒業したあと、私は小学校の同級生とは全く交流がなくなった。私ばかりではない。私と同じ中学校に進学した他の2名も同じであった。そして別の私立の中学校に進学した2名も。つまり、地元の中学校に進学しなかった私を含む5名全員が、小学校の同期生との接触が中学校進学後とだえてしまった。
「私立の中学校に進学した同期生は同窓会に招かない」というのは地元の中学校の不文律であったらしい。私の姉は地元の中学校に通ったが、やはり私立の中学校に進学した同期生は同窓会に招かないということであった。
私と同じ中学校に進学したひとりの同期生(女性)は私の又従兄弟にあたった。彼女は、小学校の同期生のひとりに、なぜ私たちを同窓会に招いてくれないのかを尋ねたという。帰ってきた返事は、「だって、生意気じゃない」というものであったと、彼女から聞かされた。
ところが、「だって、生意気じゃない」と答えた小学校の同期生も、自分の子は私立の中学校に進学させようと必死になっていた。そして私と同じ中学校に進学させた。その子は一流の国立大学を卒業した。その同期生は自分の子を近所に自慢して回った。
話を戻す。
私の息子が通う小学校では、1クラスが40人編成である。この40人のうち、7人が中学校への進学を拒否されるという。もちろん、このなかにはもっとレベルの高い中学校に進学する子供も含まれるので、7人全員が不幸というわけではない。しかし、自ら希望して他の中学校を希望する子供が少なかった場合には、成績下位のものから順番に落とされていく。
きょうの朝、息子が卒業式に出席することを聞いた際に私の頭をよぎったのは、それらの切り捨てられていく6年生たちのことであった。彼らは小学校に入学したときは「勝ち組」であった。しかし、6年後のきょう、彼らは「負け組」として母校を去っていく。
彼らの人生は長い。彼らのこれからの長い人生を思えば、この挫折はほんの小さな出来事にしかすぎない。私はそう思う。でも、この挫折が小さなものであったと彼らが自ら納得できるようになるまでは、きっと数十年を要するに違いない。
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