2010年3月27日土曜日

医療はサービス業か 1

このテーマはこのブログに書くべきではないかもしれない。私のもうひとつのブログである「医療と私」に書くべき内容であるように思う。

私は毎週金曜日の午前、私の勤務する病院の初診を担当している。その外来をある患者が受診した。2~3か月ぶりであった。症状が軽快したため終診としていた患者であった。

その患者を呼ぼうとしてカルテを開いたとき、私ははっとした。その患者は症状が再発したため、すでに数日前に当科を受診していた。時間外受診であった。その際には若い医師が診察していた。しかし、その患者はその若い医師の診察内容に不満があると苦情を申し立て、結局、医療費を払わないまま帰宅したことがカルテに記載されていた。その患者が請求されていた医療費は再診料だけであった。その患者は時間外に私の病院を受診して、担当医の診察に満足できないからという理由で再診料の支払いすら拒んだのだ。

私は暗澹とした気持ちに囚われた。私はその患者を診察室に呼び込む前に数十秒間瞑想した。その後、勇気を振り絞ってその患者の名を呼んだ。以前その患者が通院してきていた頃、私は常にその患者の治療に熱意を持って臨んだ。しかしその日はどうしても気分が乗らなかった。

なぜあのように暗澹とした気分に陥ったのであろうか。私は、診療が終わった後、その理由を考えた。

私が不愉快に思った最大の理由は、その患者が医療従事者であったということであった。その患者が勤務する職場も保険診療を行っている。つまりその患者は自分の職場では保険診療を提供する側にいるのだ。

保険診療では診療行為のひとつひとつに対して細かくコストが定められている。診療を提供する側が医療費を設定する自由は認められていない。経験豊富な医師が診察しても研修医が診察してもその診察行為に対する医療費に差はない。患者は担当医が誰であろうと、またその医師がどのような医療を行おうと、その結果や満足度がどうであっても定められた医療費を支払わなければならない。国民皆保険とはそのようなものである。

その患者は、私が勤務する病院では保険診療を行っていることを知っている。しかも自分自身が保険診療を行っている医療従事者である。しかるに自分が患者として受診した病院では国民皆保険の原則を踏みにじった。しかも緊急性のない疾患で診療時間外に病院を受診した上に。

ナースの話によると、数日前にその患者を診察した若い医師は、その患者のために私の外来の診察予約をとることに強く抵抗したという。しかしナースの強い説得に応じて、やむをえず私の外来に予約を入れた。

その若い医師は生真面目である。彼の診療態度が悪かったとは思えない。事実、患者自身も診療態度が悪かったとは言っていない。診療内容に不満があると訴えたのだ。しかし、その患者の症状は「不定愁訴」としか言いようのないものばかりであった。経験豊富な医師であってもその患者の診察には難渋するであろう。

自分自身が医療従事者であり、かつ自分の病状が緊急の治療を必要とするものではないということを知っているのにもかかわらずその患者は診療時間外に私の病院を受診した。そして当直医の診療内容に不満があると言って再診料すら支払わなかった。

その患者は、私の診療に対しても納得いかないと主張して、再度、医療費を支払わずに帰っていくのであろうか。その患者の診察に携わったナースや検査技師などの労力に対する対価を自分が勝手に決めるのであろうか。診察中、その患者に目を向けながらも、私はその患者に対する不信感を隠せない自分自身の心をじっと見つめていた。

2010年3月20日土曜日

卒業式

きょうは土曜日であるが、息子は朝早く、学校に出かけていった。きょうの午前中、息子が通う小学校の卒業式があるということであった。5年生になった息子の同級生全員がこの卒業式に出席して卒業生を見送る。

私は、自分自身が小学校を卒業するときの卒業式のことをほとんど憶えていない。ただ、「仰げば尊し」を歌わなかったということだけは鮮明に記憶している。この歌は、当時、卒業式で歌われる定番ともいえる曲であった。この曲のなかの「わが師の恩」という部分を教員が嫌ったのが、私たちが「仰げば尊し」が選ばれない理由であった。このことは担任の先生から直接聞いたように思う。

私は地元の中学校には通わなかった。中学校受験をして高知市内にある私立に進学した。そこで6年間一貫教育を受けた。

小学校の卒業式と中学校への入学試験のどちらが先であったのか記憶がないが、小学校を卒業するにあたってさほどの感慨はなかった。だから、卒業式の日には、すでに入学試験に合格していたのかもしれない。

小学校を卒業したあと、私は小学校の同級生とは全く交流がなくなった。私ばかりではない。私と同じ中学校に進学した他の2名も同じであった。そして別の私立の中学校に進学した2名も。つまり、地元の中学校に進学しなかった私を含む5名全員が、小学校の同期生との接触が中学校進学後とだえてしまった。

「私立の中学校に進学した同期生は同窓会に招かない」というのは地元の中学校の不文律であったらしい。私の姉は地元の中学校に通ったが、やはり私立の中学校に進学した同期生は同窓会に招かないということであった。

私と同じ中学校に進学したひとりの同期生(女性)は私の又従兄弟にあたった。彼女は、小学校の同期生のひとりに、なぜ私たちを同窓会に招いてくれないのかを尋ねたという。帰ってきた返事は、「だって、生意気じゃない」というものであったと、彼女から聞かされた。

ところが、「だって、生意気じゃない」と答えた小学校の同期生も、自分の子は私立の中学校に進学させようと必死になっていた。そして私と同じ中学校に進学させた。その子は一流の国立大学を卒業した。その同期生は自分の子を近所に自慢して回った。

話を戻す。

私の息子が通う小学校では、1クラスが40人編成である。この40人のうち、7人が中学校への進学を拒否されるという。もちろん、このなかにはもっとレベルの高い中学校に進学する子供も含まれるので、7人全員が不幸というわけではない。しかし、自ら希望して他の中学校を希望する子供が少なかった場合には、成績下位のものから順番に落とされていく。

きょうの朝、息子が卒業式に出席することを聞いた際に私の頭をよぎったのは、それらの切り捨てられていく6年生たちのことであった。彼らは小学校に入学したときは「勝ち組」であった。しかし、6年後のきょう、彼らは「負け組」として母校を去っていく。

彼らの人生は長い。彼らのこれからの長い人生を思えば、この挫折はほんの小さな出来事にしかすぎない。私はそう思う。でも、この挫折が小さなものであったと彼らが自ら納得できるようになるまでは、きっと数十年を要するに違いない。