私が幼い頃、我が家は貧乏のどん底にあった。私が生まれたのは終戦から10年あまりしか経っていない時期である。時代そのものが貧しかった。しかし日本全体が貧しい中でも、我が家は特に貧しいのだと私は両親からいいきかされていた。
両親はいつも仕事をしていた。毎晩、夜中の2時まで働いた。朝、私が目を覚ますと、母親は既に家事を始めていた。私には両親と一緒に寝た記憶がほとんどない。私は祖父と祖母の間に入って、祖父母と一緒に寝た。
私の祖父がかつて多大な借金をかかえていたことを知ったのは、祖父が亡くなってから10年以上経ってからであった。私が何年か前に実家に帰省した際、私の生家の近くに住む老婆が私に語ってくれた。祖父はある人の借金の保証人になっていたという。その人が急死した。保証人になっていた祖父は、その人に代って莫大な返済義務を負った。
私の祖父がその多大な借金を抱えたとき、近所の人たちは、これで私の祖父も終わりだとささやきあったという。しかし祖父は、長い年月をかけて誠実に借金を返済していったとその老婆は語った。そして我が家の今があるのは、私の祖父の人徳のおかげであるといって涙を浮かべながら私の祖父を褒めた。
今に至るも祖父が抱えた借金の話を家族の誰からも聞いたことはない。私も尋ねない。祖父はその苦労を自分の死とともにあの世に持ち去った。祖父は私の息子にとってはひじいちゃんになる。3代遡った自分の先祖の生きた道を私の息子は何一つ知らないまま一生を終えるであろう。私の息子がいささかでも私の祖父のことを思うのは、祖父の墓石のまえで意味もわからないまま手を合わせるときだけである。
夏草や つわものどもが夢のあと
温厚な人柄とは裏腹に、祖父は厳しい時代を生きた。生き抜いた。
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