2020年5月24日日曜日

薬師丸ひろ子さん

最近、YouTubeをよく観る。音楽を聴くことも多い。YouTubeでは懐かしい懐メロがたくさん聴ける。私が若い頃の歌手の歌唱力に驚かされる。クラシック音楽の名演奏にも感動する。
 
私は歌謡曲を聴いてもほとんど歌詞には注意を払わなかった。メロディーにしか興味がなかった。しかし今注意しながら歌詞を追っていくと味わい深いものが少なくない。
 
どの歌手が特に好きということはない。ただ高音が伸びる歌手の歌声は素敵である。数年前に亡くなった尾崎紀世彦さんの歌唱力にも感動した。
 
ここでは薬師丸ひろ子さんの歌を紹介する。私は彼女が出演した映画もドラマも一切観たことがないが、彼女の澄んだ歌声は素晴らしい。多くのコメントにも書かれているが、彼女からは気品が伝わってくる。
 
 
 

西川史子さん

西川史子さんは医師・兼・毒舌タレントとして有名である。しかし、テレビで毒舌を吐いているときの高慢ちきな彼女の顔が私はとても嫌いであった。なぜあのような発言がマスコミでもてはやされるのか、私には理解できなかった。

私は数年前からテレビをほとんど観なくなった。だから、彼女のここ数年間の発言を聞いたことがなかった。彼女の高慢な毒舌がマスコミを騒がせること自体がなかったのかもしれない。

コロナ騒動以来、自宅で過ごすことが多くなった私はYouTubeを観ることが多くなった。昨晩、布団のなかで、偶然、最近の彼女のスピーチ動画をYouTubeで見つけた。以前ならスルーしていたであろう。しかしカバー画像の彼女の表情が以前と全く違っているのに驚き、その動画を観てみた。確かに彼女の表情は以前と全く異なっていた。口調も穏やかであった。スピーチの内容も素晴らしかった。結局、布団のなかでそのスピーチを3回聴いた。

何一つ不自由のない環境の中で育てられた西川史子さんの半生は、貧しい家庭に生まれ育った私とは対照的である。しかしたどり着いた心境はよく似ている。

「背伸びして生きるのは止めよう。」「シンプルに生きよう。」「会いたくない人と会うのはやめよう。」

身体と心が求めている生き方をしてこなかった自分に彼女は自分自身の病気を通じて気がついたのだ。

もう十数年前の話になるが、私の友人が「これからはやりたいことだけをやって生きる。やりたくないことはやらない」と言った。彼の母親の突然の交通事故死の直後に彼が言った言葉であった。彼のこの言葉はその後の私の人生を大きく変えた。

YouTube 動画
「キャラに食い殺された私」

2020年5月10日日曜日

コロナウイルス騒動

コロナウイルス騒動も少し落ち着いてきたか。それにしてもPCR検査を国民に幅広く受けさせるべきだというマスコミの論調にはうんざりさせられた。純粋に医学的に考えれば、国民全員がPCR検査を受けることにはメリットよりもはるかにデメリットが大きい。なぜこれほどまでにマスコミは誤った意見を主張し政府を批判し続けるのであろうか。まるでマスコミは正義であり政府は悪魔であるかのごとき勢いである。私はめったにテレビを観ないが、今後はますますテレビから遠ざかるであろう。
 
臨床の場で行なわれる検査では、常に感受性と特異性が問題となる。PCR検査の感受性は高く見積もってもせいぜい70%だという。ということは、10000人の患者にPCR検査を行なえば、3000人が陰性と判定されることになる。特異性がどれほど高いといっても100%ではない。99%だと仮定しても、健常な日本人10000人が検査を受ければ100人が誤って陽性と判定される。1億人が検査を受けた場合には、なんと100万人が誤ってPCR検査陽性と判定され、隔離されることになる。
 
こんなことが許されようか。もう一度、計算してみる。
 
日本では1000人に1人が感染していると仮定すると、日本の人口が1億人として、感染者数は10万人、非感染者数は9990万人ということになる。そして感染者10万人のなかで3万人は感染なしと判断され、逆に非感染者9990万人のうちの99万9千人が誤って感染者として判定される。つまり7万人の感染者を見つけるために、健常な日本人の100万人近くが隔離されることになる。しかも3万人の感染者が見落とされる。
 
医学は万能ではない。いかなる検査にも限界がある。政府が設けたPCR検査を行なう基準はあながち的外れではない。マスコミの論調には辟易させられる。

2020年5月2日土曜日

文旦

私は毎年春、高知に住む知人に頼んで、お世話になっている方々に文旦を送る。今年も20数箱送った。この方々からはお礼のメールをもらうことが多いが、中には手書きで丁寧な文面の礼状を送ってくれる家族もある。私は、こうしてわざわざ礼状を送ってくれるご夫妻を尊敬している。生き方に気品があると思う。これらの礼状のなかに思わず吹き出してしまう面白い葉書が毎年1通混じっている。今年もそうであった。文旦を送って1ヶ月以上経過していたので、帰宅してその葉書を見た瞬間には何なのかがわからなかった。よく見ると私が3月上旬に送った文旦に対する礼状であった。礼状の表面(おもてめん)には、奥様手書きの丁寧なお礼の文面もしたためられていた。この家族は一家で生きることを心から楽しんでいるのだろうと感じ、毎回、礼状をもらうたびに心が和む。「品格」とはこのような生き方を指すのであろう。
 
 
 

母親

私はこのブログの中で母親の最晩年のことをほとんど書いてこなかった。理由は、書きたくないからである。母親が自宅で転倒して脊椎を骨折して入院し、そして亡くなるまでの2年間をつぶさに見た私は、母親の最晩年を思い出すたびに胸が苦しくなる。
 
私は、生涯、姉(池友子)と姉の長女を許さないであろう。

人の死

今週、ふたりの同窓会員が亡くなった。ひとりは私よりも2歳ほど若い。早すぎる死であった。
 
人の生は小さな石ころのようなものである。そして死も小石が水面にポトンと落ちるような小さな出来事である。最近そう思うようになった。彼らの親しかった友人や知人、そして深い悲しみに包まれた家族もいつかは死ぬ。これらの人たちの死とともに、ふたりの同窓会員の記憶もこの世から消し去られていく。