8月7日は母親の命日であった。母親が亡くなってちょうど1年経った。きょうの午後、家内と息子を連れ、墓参りに行ってきた。一周忌の法要は行わなかった。3人で墓掃除をし、花を供え、墓前で祈っただけであった。
私は無神論者ではない。大した根拠はないが、死後の世界は存在すると信じている。ただ、私の母親とは全く面識もない僧侶のお経によって母親の魂が救われると私には思えないのだ。私と私の家内と私の息子の祈りによってのみ母親の魂は清められると私は思っている。
私は、父親が亡くなる直前に先祖代々の墓を東京に移した。わが家の代々の墓は、実家の裏山にあった。50年前に亡くなった祖母も30年前に亡くなった祖父も土葬であった。改葬にあたって江戸時代からの墓をひとつひとつ掘り起こしたが、遺骨が残っていたのは祖父と祖母の遺骨だけであった。他の先祖は、遺骨代わり墓石の下の土だけを丸めて東京に運んだ。
私は無神論者ではない。大した根拠はないが、死後の世界は存在すると信じている。ただ、私の母親とは全く面識もない僧侶のお経によって母親の魂が救われると私には思えないのだ。私と私の家内と私の息子の祈りによってのみ母親の魂は清められると私は思っている。
私は、父親が亡くなる直前に先祖代々の墓を東京に移した。わが家の代々の墓は、実家の裏山にあった。50年前に亡くなった祖母も30年前に亡くなった祖父も土葬であった。改葬にあたって江戸時代からの墓をひとつひとつ掘り起こしたが、遺骨が残っていたのは祖父と祖母の遺骨だけであった。他の先祖は、遺骨代わり墓石の下の土だけを丸めて東京に運んだ。
母親の生前、我が家の墓地を東京に移したいことを母親に話すと、母親は喜んでくれた。母親は生前は頑として東京に住むことに応じなかったが、自分の死後は息子たちの傍にいたいと願っていたのであろうと思う。父親も母親も懸命に生きた。あっぱれであったと讃えようと思う。