2016年7月5日火曜日

盛岡にて

7月1日の夜から昨日(7月3日)の夜まで二泊三日で盛岡に行っていた。第36回日本口腔インプラント学会東北・北海道支部大会に出席するためである。

残念ながら、学会での演題の中に耳を傾ける価値のあるものはなかった。しかし多くの歯科医師の方々と知りあうことができたのは収穫であった。特に、奈良で歯科クリニックを営んでいる堀内啓敬氏とじっくり話ができ、今回の盛岡行きの目的はほぼ達成された。会津で開業されている渡部好造先生にもずいぶんとお世話になった。

観光もできた。一度は行ってみたいとずっと思っていた中尊寺にも足を伸ばすことができた。昨日はレンタカーを走らせて浄土ヶ浜にも行けた。

ただ、耳鼻咽喉科医と歯科医との垣根は高い。より質の高いインプラント治療を患者に提供するために耳鼻咽喉科医と歯科医とが手を携えることができるときが果たして来るであろうか。今回の旅行を終えて、この点に関してはきわめて悲観的な思いを抱くようになった。

2016年7月3日日曜日

訃報 2

彼から返事が来た。通夜は家族だけで営むという。もらった返事には、数年前、彼が私に紹介してきた患者のの手術を見学に来た晩、自宅でその手術ビデオを亡くなったお父様と一緒に観ながら楽しく語り合った思い出も書かれていた。彼のお父様も歯科医師であった。

親が亡くなると、あのときああしておけばよかった、こうしておけばよかったといった後悔ばかり思い出されることが多い。私の手術を見学したことが彼のお父様との懐かしい思い出として彼の記憶の中に残ることは、この上なく嬉しい。

2016年7月2日土曜日

訃報

昨夜、新幹線で盛岡にやってきた。きょうから盛岡で開かれる学会に出席するためである。昨夜遅くホテルにチェックインしたあとメールを確認すると,友人から訃報が届いていた。彼のお父様が亡くなったという。淡々と事実だけを伝える内容であった。

彼は早くお母様を亡くした。歯科医師であったお父様も脳梗塞で身体が不自由になった。彼が今の奥様と結婚した理由は、彼女が自分の父親と同居すると言ってくれたからであると,彼の口から直接聞いたことがある。彼には一人の妹さんがいるが、この妹さんも若くして脳出血で倒れ、ほとんど意識もない状態で病院に入院しているということである。

しかし彼は、暗い表情を見せたことはない。いつも前向きである。彼はお父様と同じ歯科医師であるが、手術がうまくなりたいというのが彼の口癖である。彼は勉強にお金を費やすことを厭わない。つい先日も奥様と一人のお子様を連れてニューヨークに勉強に行っていた。つい3日ほど前に帰国したばかりである。彼が帰国した直後にお父様が亡くなった。

彼にもし悔いがあるとすれば、わずか1週間程ではあるが、お父様が亡くなる直前にお父様の傍から離れたことであろう。

彼の妹さんにはほとんど意識がない今、彼のお父様の死を心から悲しむ人は彼しかいない。彼の奥様も悲しみはするであろうが、彼の悲しみほどではないであろう。まだ幼い彼のお子様は「おじいちゃんが亡くなった」ということの意味すら理解できないかもしれない。

そうではあっても親戚や友人が彼の悲しみを分かち合ってくれれば、いくばくかでも彼の悲しみは和らげられる。彼のお父様の葬儀に関する連絡はまだない。私が帰宅するのは明日の夜遅くになるが、なんとか時間の都合をつけて葬儀に参列したい。

私は、彼がいまどれほど自分の父親の死を悲しんでいるのかを想像できる。私自身が両親を亡くしたからである。私は両親を亡くしたあと、ずいぶんと人に対して優しくなったと思う。彼も両親を亡くした。彼が悲しみから立ち直ったとき。彼の心境にも何らかの変化が生じているにちがいない。