昨年6月27日に父親が出血性脳梗塞で倒れた。その日のことについては、改めて詳しく書くこととする。
私は、両親と40年間離れて暮らしてきた。わが家ではすべてを父親が取り仕切っており、母親は自分の預金通帳すら持たせてもらえなかった。当然、母親は自分名義の預金がどれほどあるのかすら知らなかった。そのうえ、母親は長年にわたって慢性間接リウマチを患い、手も足も目を逸らしたくなるほど変形している。右肘には人工関節が入っている。また、頚椎を骨折し、四肢マヒになったこともある。当然、歩くこともままならない。
こんな母親を介護していた父親が倒れたのだ。私は途方に暮れた。
悪いことは重なるものである。なんと、父親が倒れて入院してから2ヶ月も経たない8月13日に、今度は母親が脊椎の圧迫骨折で緊急入院した。その日、高知では日本での最高気温を記録していた。猛暑で弱った母は、椅子から腰を滑らせてしまったのであった。その連絡を私は軽井沢で受けた。しかしお盆の真っ最中であり、軽井沢から高知まですぐにかけるけることはできなかった。私は親戚や近所の人たちに両親の世話を頼んだ。ありがたかったことに、いろいろな人たちが母親の世話をしてくれた。
私が帰省したのは、それから数日後であった。
我が家は空き家となった。もう父親も母親もこの家に住むことはない。誰もいないひっそりとした実家で、私は、昼間はひたすら書類の整理を急いだ。掃除や庭の草むしりもしなくてはならなかった。朝と夕方には別々の病院に入院している両親を見舞った。夜は高知市内のホテルにひとりで泊まった。しかし、夜中に何度もうなされて目が覚めた。
父親の容体は一日ごとに悪化した。母親の背中の痛みもなかなか和らがなかった。寝返りすら打てない日が続いた。
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