2010年5月11日火曜日

うげる

「うげる」は土佐弁である。「うげる」を東京で使われる言葉ひとつで置き換えることはできない。「久しく会わなかった知人や肉親の帰り・訪問を喜び、その喜びを言葉や態度で表す」ということであるが、こんな表現はなんともまどろこしい。東京では、単に「喜ぶ」という表現を用いるのであろうが、「喜ぶ」では「うげる」が持つニュアンスを伝えることができない。

言葉は文化である。生活を反映する。「うげる」ことも「うげてもらう」ことも、土佐に生れ育った者にとっては生活の一部である。

「もんたかえ」も同様。「もんたかえ」という土佐の表現は、直訳すると「戻りましたか」という意味である。しかし、この言葉は、自分の子や知人の帰省(や帰宅)に対する喜びを表す土佐の挨拶である。

何年か前のこと。交通事故で母親をなくした中学・高校時代の友人からメールが届いた。高知空港からであった。そのメールには「『もんたかえ』と言って自分を出迎えてくれる母親の姿がないことが悲しい」と書かれていた。

私の実家は高知県の土佐市にある。山村である。ここにはまだ両親が住んでいる。私がこの土地を離れ、当時通っていた高校の寮に住むようになったのは私が高校2年生のときであった。しかし中学校から高知市内の私立に通っていた私は、小学校を卒業した直後から既にこの生まれ故郷とは縁が薄くなっていた。

しかし、私が年末年始に帰省すると今でも近所の人たちが私をうげてくれる。そして「もんたかえ、幸伸」と言ってくれる。ありがたいことである。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

 突然失礼いたします。私は熊本で科学展という事業のお手伝いをしている者です。科学展が今年70回を迎えることから、この10年の功労者の足跡を調べていましたら、あなたのブログに行き当たりました。
 2009年の11月、熊本にいらっしゃった時のブログを見てコメントしました。
 話題に上がっていましたU先生は、昨年お亡くなりになっています。最後の勤務校は大津高校という学校で、亡くなられた経緯は良く存じませんが、誰に対しても威張らず、いつでも子どものように好奇心一杯で、学究肌の先生でした。先生がフィールドワークされたデータはウェブでも公開されて(今は閉鎖していますが)大学の先生方も参考にされる程でした。先生は、学校が嫌いだったり、勉強が苦手な生徒達を連れてよく岩石採集のフィールドワークに連れて行くなどされていました。生徒とそういう関わり方をずっとされてきた方でした。先生の教職生活の中で、あなたのような感じ方をしていただいた方がいらっしゃったということだけでも救われる思いがいたしました。