誰でもひとつやふたつ二度と思い出したくない恥ずかしい記憶があるであろう。これから私が書こうとしていることもそんな思い出である。
私の医師1年目のことであった。研修医になったばかりの私を大先輩(当時、専任講師)が食事に連れて行ってくれた。場所は記憶にないが居酒屋風の店であった。ただし案内されたのは個室(座敷)であった。
その大先輩と私と2人で食事するわけではないことを席に着いたあと私は初めて聞かされた。私たちが雑談を交わしながらお酒を飲み始めた直後、ふすまがすっと開き、2人の女性が現れた。一人は年齢50歳程度、もう一人はうら若い色白の女性であった。その若い女性は鮮やかなブルーのスーツを着ていた。(彼女はブーツを履いていたので、この出来事は秋頃のことであったのかもしれない。)黒髪の美しい色白の美人であった。当時まだうぶであった私はまばゆいばかりのその美しさにどぎまぎしたのであろう、彼女を顔を正視することができなかった。したがって面長で色白の美人という印象しか残っていない。
その若い女性は私と同じ病院に勤務する薬剤師であるということであった。そして50歳前後と思われた女性は彼女の上司であった。私の大先輩とは親友であるらしかった。
その若い女性と私とはほとんど聞き役であった。彼女を意識したという理由だけではなかったが、緊張して私はほとんど口を開くことがなかった。彼女も同様にじっと大先輩2人の話に耳を傾けていた。私の大先輩と彼女の上司とはずっと前からの知人であったようだ。実に楽しそうに話をしていた。が...。
毎日忙しい研修医生活を送っていた私は少しお酒が入ったこともあって急に睡魔に襲われた。そしていつしか眠ってしまった。
「おい、起きろ! 帰るぞ」
という大先輩の声で私は目覚めた。1時間以上眠っていたのであろうか。
ところがである。私はなんと口角から少し涎を垂らしていたのだ。気づかない振りをしながら手でその涎を拭った。その若い女性は気づいてか気づかずか私の方をじっと見ることはなかった。表情も変えなかった。しかしすでに後の祭りであった。
いま振り返ると、あれはやはり非公式なお見合いであったと思う。
「私の部下にとてもいいお嬢さんがいるんだけど、お婿さんに誰かいい男性はいない?」
「おお、そうか。じゃあ、今度食事するときにうちの若いのをひとり連れて行くよ」
そんな話のなかでセッティングされた場であったに違いない。
上品でスタイルのいいうら若い女性。そして鮮やかなブルーのスーツ。今も鮮明に記憶に残っている。
これらと私の涎とを結びつけるものは単に単に恥ずかしさだけである。懺悔
(この話はすべて事実である。作り話ではない。またこの話に出てくる大先輩は後々まで私をかわいがってくれた。この大先輩は私の留学中に亡くなった。15年前のことである。留学前にこの大先輩の病室を訪れたとき、倒れる直前にこの大先輩が私のことをとても心配してくださっていたことを奥様から聞かされた。その話を聞き、私は病室の前の廊下で泣き崩れた。大粒の涙を流しながら大声で泣いた。奥様もいっしょに泣いていた。生涯忘れることのできない悲しい出来事であった。私がこの大先輩の墓参にでかけたのは3周忌のときであった。私はかけがえのない心の支えを失ったことに気づかされた。大きな支えを失ったのは奥様だけではなかった。)
2008年3月22日土曜日
バレンタインデー
私の年齢の多くの男性ににとってバレンタインデーはもはや興味の対象ではないであろう。私も当事者としてバレンタインデーに興味を持つことはない。しかし第三者としては興味がないことはない。
女性が自分の恋心を男性に告白する日。その恋心と一緒に男性に贈るチョコレートは「ラブチョコ」と呼ばれる。(「ラブチョコ」などという言葉は聞いたことがないとついさっき知人から叱られてしまったが。)
私の高校時代、女性に実によくもてる男が何人かいた。バレンタインデーに彼らはいろいろな女性から籠一杯のラブチョコをもらい、重そうに抱えながら自宅に持って帰っていた。なかには、食べきれないからと、もらったチョコレートをクラスメートに分け与えている者もいた。当の私は、中学・高校の6年間の間に一個たりともラブチョコなるものをもらったことがない。
高校2年生のときであったと思う。バレンタインデーの日の午後のこと。私は校舎と校舎とをつなぐ渡り廊下にぼんやりと立っていた。すると、ある女性が恥ずかしそうに私に近寄ってきた。彼女はしばらくの間もじもじしていた。私は何のことかわからない。彼女はしょうがないと意を決したのか、申し訳なさそうな表情を浮かべながら次のように私に言った。
「あの、ちょこっとこの場所を空けてくれますか。」
ふと左側を振り向くと私に背を向けながひとりの男が立っていた。クラスメートであった。元の方向に視線を戻すと彼女の数メートル後方に別の女性が真っ赤に顔を染めて恥ずかしそうに立っているのが目に入った。私のすぐ目の前に立っている女性は、自分の女友だちのために今回の仲介役を果たそうとしていたのだ。やっと私にも事情が理解できた。
私は「すみませんでした」と言っていそいそとその場を立ち去った。立ち去り際にちらっと後方を振り向くと、赤面し恥ずかしそうにしながら彼女は私のクラスメートにチョコレートの箱を渡していた。彼がその日受け取ったチョコレートは紛れもなくラブチョコであった。しかし彼女とは対照的に彼は全く無表情であった。
女性が自分の恋心を男性に告白する日。その恋心と一緒に男性に贈るチョコレートは「ラブチョコ」と呼ばれる。(「ラブチョコ」などという言葉は聞いたことがないとついさっき知人から叱られてしまったが。)
私の高校時代、女性に実によくもてる男が何人かいた。バレンタインデーに彼らはいろいろな女性から籠一杯のラブチョコをもらい、重そうに抱えながら自宅に持って帰っていた。なかには、食べきれないからと、もらったチョコレートをクラスメートに分け与えている者もいた。当の私は、中学・高校の6年間の間に一個たりともラブチョコなるものをもらったことがない。
高校2年生のときであったと思う。バレンタインデーの日の午後のこと。私は校舎と校舎とをつなぐ渡り廊下にぼんやりと立っていた。すると、ある女性が恥ずかしそうに私に近寄ってきた。彼女はしばらくの間もじもじしていた。私は何のことかわからない。彼女はしょうがないと意を決したのか、申し訳なさそうな表情を浮かべながら次のように私に言った。
「あの、ちょこっとこの場所を空けてくれますか。」
ふと左側を振り向くと私に背を向けながひとりの男が立っていた。クラスメートであった。元の方向に視線を戻すと彼女の数メートル後方に別の女性が真っ赤に顔を染めて恥ずかしそうに立っているのが目に入った。私のすぐ目の前に立っている女性は、自分の女友だちのために今回の仲介役を果たそうとしていたのだ。やっと私にも事情が理解できた。
私は「すみませんでした」と言っていそいそとその場を立ち去った。立ち去り際にちらっと後方を振り向くと、赤面し恥ずかしそうにしながら彼女は私のクラスメートにチョコレートの箱を渡していた。彼がその日受け取ったチョコレートは紛れもなくラブチョコであった。しかし彼女とは対照的に彼は全く無表情であった。
私のクラスメートとその女性とのつきあいがそれをきっかけとして始まったという話は私の耳には入らず終いであった。私から誰かにふたりの関係について尋ねることもなかった。そのクラスメートは女性によくもてた。女性はクラスが違ったが、彼女も男子生徒にとても人気があった。したがって私にはふたりが結び合っていかないのが不思議であった。だが、いずれにしろ私からは遠い世界のできごとであった。当時の私にとってはふたりの関係がどうなろうと羨望の対象にも嫉妬の対象にもなりようがなかった。
この出来事は今も鮮明な記憶として残っている。このことを思い出すたびに私は今でもただただ恥ずかしくなるばかりである。たとえ偶然とはいえ、ふたりの「密会」の場所に出くわしてしまったのだ。土足で他人の家に上がり込んだようなものである。
この出来事は今も鮮明な記憶として残っている。このことを思い出すたびに私は今でもただただ恥ずかしくなるばかりである。たとえ偶然とはいえ、ふたりの「密会」の場所に出くわしてしまったのだ。土足で他人の家に上がり込んだようなものである。
2008年3月1日土曜日
終業式の季節
きょうは土曜日である。しかし息子は昼前に学校にでかけるという。午後1時から開かれる算数の公開授業に参加するらしい。この授業を担当するのは算数を教えてくださっている坪田先生だと聞いた。
坪田先生という名前を私は初めて耳にした。この先生は教育界では算数の教育者として名を知らない人はいないらしい。この坪田先生が今年を最後に定年退職される。きょう開かれるのはその記念授業なのだという。
なぜ息子のクラスが記念授業の対象に選ばれたたのか私は知らない。しかし家内は、息子のクラスは算数がよくできるからだと勝手に思い込んでいるようだ。
確かに息子は算数がよくできる。息子はまだ3年生であるが私は計算能力ではもうかなわない。息子の算数の宿題は私よりも息子の方が早く解ける。
先日、「ジャマイカ」という算数のゲームを息子とやってみたが、私はほとんど勝つことができなかった。先日、8対1で4年生を負かしたと聞いたが、確かにそうだろうと思った。数字が表示されるとたちどころに息子は答えを見つける。私は何分もかかる。
3年間のうちに心身ともに大きく成長した息子の姿は、まだ幼くひ弱だった小学校入学の頃の面影をほとんど残さない。
写真は、息子の小学校入学式の当日撮影したものである。校庭には桜の花びらが舞い散っていた。
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