やんしゅう先生の奥様が私の勤務先にいらしてくださった。私も奥様も随分と白髪が増えた。奥様は75歳。やんしゅう先生とは20歳前後年齢が離れていらっしゃったので、もしやんしゅう先生がまだ生きていらっしゃったならば、90歳代ということになる。
やんしゅう先生ご夫妻と知り合ったのは私の20歳代半ば。もう40年近くになる。
やんしゅう先生ご夫妻に懇意にしていただいたのは私だけではない。私の両親もたいそうよくしてもらった。私の両親がまだ元気だった頃、群馬県太田市のやんしゅう先生の奥様のご実家を両親と一緒に訪ねたこともあった。やんしゅう先生の奥様のご両親もその頃はお元気であった。奥様のご実家でのこと。隣の部屋から私の両親と奥様のご両親の賑やかな笑い声が聞こえてきた。何だろうと思って覗いてみると、なんと4人がお互いにお灸をすえあっていた。
やんしゅう先生は、私と二人だけのときは実に朗らかであった。しかし奥様のご実家ではいつも物静かであった。「物静か」というよりも無言であった。私に対しても何も話しかけなかった。私は何度か奥様の実家にうかがったが、奥様のご実家ではやんしゅう先生の話し声を耳にしたことがなかった。年末に奥様のご実家にうかがったとき、うつむいて黙々と年賀状を書いていらっしゃったやんしゅう先生の姿が今も目に浮かぶ。
やんしゅう先生は奥様とふたりで自宅にいらっしゃったときも寡黙であったのではないかと思われる。「仕事をキチンとやり社会的地位もあるのにねえ」と奥様が私に何回かおっしゃったのはそのことを指していたのではないだろうか。やんしゅう先生は奥様のことを私にはよく自慢した。しかし、その分、奥様に気後れしていたようだ。
奥様のお父様も書道の師範であった。姿勢がよく、かくしゃくとしていらっしゃった。目を細めながら時折見せる笑顔が魅力的であった。奥様も書道の師範であり、ご実家では絶えず筆を握って練習していらっしゃった。
奥様のお母様は対照的に温厚で心優しい方であった。私と二人きりになると、「ふたりに子がないことが気がかりで」と小声でおっしゃったことが何度かあった。奥様は一人っ子であった。奥様に子がないと家が絶える。このことをお母様はいつも気に病んでいらっしゃった。
30数年前の思い出である。奥様の両親は既に亡い。私の両親も亡くなった。
下は奥様が昨日お送りくださったご自宅の近くの写真である。川は隅田川。隅田川花火の日には何度かご自宅に招待していただき、ご自宅から花火を楽しませていただいた。