2013年12月10日火曜日

帰省して

今年の6月末に父親が倒れてから、帰省することが急に増えた。しかし父親を見舞っても、父親の病状は私が病院を訪れるたびに悪化していく。父親と同じ病院に転院した母親の病状は落ち着いているが、回復は望めない。実家は空き家になっている。

誰も住んでいない実家に帰ると、両親の書類の整理。金庫を開け、箪笥の引き出しのなかの書類を取り出してはひとつひとつの書類に目を通す。最初は金庫の開け方すらわからず、とまどった。

驚いたことは、私と私の姉の通知簿が風呂敷に包まれて箪笥の引き出しのなかに大事に仕舞われていたことである。小学校1年生の通知簿からすべて揃っていた。私が大学に合格した際に大学から送られてきた書類も残されていた。

大切な書類が紛れていないか、実家の1階をくまなく探した。しかし、父親の運転免許証はどうしても見つからなかった。

書類に一通り目を通す作業だけに3か月を要した。その作業の合間に、自宅の掃除、庭の草むしり、倉庫の荷物の整理、そして墓掃除。天気がいい日には窓を開け布団を干さなければならない。あっという間に一日が終わった。

平日は、朝から銀行と役所回り。朝食も昼食もゆっくり食べる時間がなかった。車を運転しながらパンをかじった。

先祖代々の墓地も移さねばならなかった。この手続きにも莫大な時間をとられた。

何もかにもが初めての経験であった。と、同時に、両親が辿ってきたこれまでの人生を息子の目から見つめ直す貴重な機会でもあった。

2013年12月9日月曜日

久しぶりに

久しぶりに投稿する。

このブログを書くのを中断してからどれほど経ったであろうか。2年以上経つかもしれない。ブログを書かなくなった最も大きな理由は、息子が思春期を迎えたことであった。息子が変化していく姿を眺めていると自分自身の思春期の思い出が次々とよみがえってきた。中学・高校時代は、私の人生のなかで最も不幸な時期であった。思春期は多感な時期であるからといった理由だけで片づけることはできない。

ただ、息子はいつの間にか15歳になった。思春期の真っ最中である。幸い、友達にも恵まれ、毎日、楽しそうに学校に出かけていく。塾も楽しそうである。残念なことは、今年6月27日に父親が脳梗塞で倒れたことである。半身不随となったばかりでなく、会話もできない。8月13日には母親も胸椎骨折で入院した。二人ともまだ入院中である。退院のめどは立たない。それどころか、父親の病状は日々悪化していく。おそらく1年以内に亡くなってしまうであろう。

突然、両親の後見人を務めることになった私は、つい最近まで途方に暮れていた。両親と私は40年間離れて暮らしてきた。当然、家計も別々である。わからないことばかりであった。

最も苦労したのは父親が所有する不動産の始末であった。田舎の山奥の土地を欲しがる人などいない。いや、それ以前に、父親が所有する土地がどこにあるのかすらわからない。市役所に出向き、名寄帳と切り図をコピーしてもらった。それだけが父親の土地を見つけだす唯一の手がかりであった。雨の中、切り図だけを手がかりにいくつもの山をかけずり回った。孤独な作業であった。

幸運だったのは、実家の近所の人たちや親戚が助けてくれたことである。銀行に行っても、そこには必ず知人や高校時代の同級生がいて相談に乗ってくれた。ありがたいことであった。

父親が倒れて5か月余り。実に多くの親戚や隣人、知人と会って話した。彼らの印象は数十年前と全く変わっていなかった。

父親の人生をきちんと終ってあげなければならない。しかし父親の命はもう長くない。時間との競争である。数十年ぶりに故郷の土地・人びとと接しているうちに、少しずつではあるが私自身の青春時代を懐かしく振り返ることができるようになってきた。このことだけが唯一の救いである。