このブログを書き始めて何年経ったであろうか。
本ブログを書き始めたのは、成長していく息子のその時々の姿を記録したいと思ったからであった。しかし、書きためたブログを読み直してみると、息子の成長を綴った文章は少なく、ほとんどは私自身の心象の描写であった。男親というのはこんなものであろう。
さて、今、息子は13歳。思春期を迎えた。
息子の思春期の芽生えを私が感じたのは、息子が10歳のときであった。今からちょうど3年前のこと。「暑い!」といって寝室のある2階から1階のリビングに降りていき、その晩、そこに置いてあるソファーの上で眠ったのだ。その夏、息子がリビングのソファーで独り寝をしたことがもう1回あった。いま振り返っても、やはりこのときが息子の思春期の始まりであったのだと思う。
もう息子は決して親といっしょに寝ようとはしない。
家内は、息子の行動のひとつひとつにとまどっているようだ。思春期の変化は男と女では大きく異なる。母親と娘にとって思春期は、親子関係から同性の親友関係への変化の時期なのかもしれない。しかし男にとって思春期は、精神的自立の時期である。特に、親からの精神的自立の時期である。最も感受性の強い時代でもある。
これから高校を卒業するまで、息子は精神は激しい嵐のなかをさまようであろう。この嵐を抜けたとき、息子には精神的エネルギーにあふれた逞しい若者になっていてもらいたいと願う。どんなに秀才であっても、精神的エネルギーがなければ人生の荒波を乗り越えていくことはできない。
息子が高校生になったら、「学校を1年休学して、これから世界一周してくる」と言い出すことがあるかもしれない。私はこのようなことが起きるのを心配しながらも、その一方でこんな突拍子もないことを息子が言い出すのをひそかに期待している。
これから息子がぶつかるであろう人生の荒波を乗り越えていく生きていく上で最も大切なものは、体全体からにじみ出る精神的エネルギーだと思う。粘り強い精神力である。もうひとつ重要なものがあるとすれば、それは作家の渡辺淳一氏が言う、「鈍感力」であろう。「鈍感力」は「楽観性」と言い換えることができよう。
鈍感力も一種の精神的エネルギーであろうが、いずれにしろ、これらを獲得する近道は、若い頃に多くの挫折を味わうことである。