「うげる」は土佐弁である。「うげる」を東京で使われる言葉ひとつで置き換えることはできない。「久しく会わなかった知人や肉親の帰り・訪問を喜び、その喜びを言葉や態度で表す」ということであるが、こんな表現はなんともまどろこしい。東京では、単に「喜ぶ」という表現を用いるのであろうが、「喜ぶ」では「うげる」が持つニュアンスを伝えることができない。
言葉は文化である。生活を反映する。「うげる」ことも「うげてもらう」ことも、土佐に生れ育った者にとっては生活の一部である。
「もんたかえ」も同様。「もんたかえ」という土佐の表現は、直訳すると「戻りましたか」という意味である。しかし、この言葉は、自分の子や知人の帰省(や帰宅)に対する喜びを表す土佐の挨拶である。
何年か前のこと。交通事故で母親をなくした中学・高校時代の友人からメールが届いた。高知空港からであった。そのメールには「『もんたかえ』と言って自分を出迎えてくれる母親の姿がないことが悲しい」と書かれていた。
私の実家は高知県の土佐市にある。山村である。ここにはまだ両親が住んでいる。私がこの土地を離れ、当時通っていた高校の寮に住むようになったのは私が高校2年生のときであった。しかし中学校から高知市内の私立に通っていた私は、小学校を卒業した直後から既にこの生まれ故郷とは縁が薄くなっていた。
しかし、私が年末年始に帰省すると今でも近所の人たちが私をうげてくれる。そして「もんたかえ、幸伸」と言ってくれる。ありがたいことである。