高校時代、私は多くの小説を読んだ。ほとんどは明治から昭和初期にかけての作家の作品であった。しかし有島武郎の作品はほとんど読んだことがない。その理由が最近になってやっとわかった。要するに読みづらいのだ。文体が翻訳調であるからである。
ただ、有島武郎の作品を全く読んだことがないわけではない。短編ではあるが、「小さき者へ」と「生まれいづる悩み」の2編は私の愛読書である。これらの作品は青空文庫としてネット上から手に入る。無料で読めるのだ。
今日の夕方、帰宅途中、青空文庫の中の「小さき者へ」を読み直してみた。次の一節は実に迫力があった。ここに引用する。
「お前たちの母親の遺言書の中で一番崇高な部分はお前たちに与えられた一節だった。若しこの書き物を読む時があったら、同時に母上の遺書も読んでみるがいい。母上は血の涙を泣きながら、賃でもお前たちに会わない決心を翻さなかった。それは病菌をお前たちに伝えるのを恐れたばかりではない。又お前たちを見る事によって自分の心の破れるのを恐れたばかりではない。お前たちの清い心に残酷な死の姿を見せて、お前たちの一生をいやが上にも暗くする事を恐れ、お前たちの伸び伸びて行かねばならぬ霊魂に少しでも大きな傷を残す事を恐れたのだ。幼児に死を知らせる事は無益であるばかりでなく有害だ。葬式の時は女中をお前たちにつけて楽しく一日を過ごさして貰いたい。そうお前たちの母親は書いている。」
この一節がなぜ今の私の心を捕えたのであろうか。繰り返しこの一節を読むと、さまざまな想いが私の心の中を駆け巡る。
私のふたりの知人も幼子を遺して死んだ。彼女たちが生前繰り返し叫んだ無念さがこの一節の中からも溢れ出てくる。