<?xml version='1.0' encoding='UTF-8'?><?xml-stylesheet href="http://www.blogger.com/styles/atom.css" type="text/css"?><feed xmlns='http://www.w3.org/2005/Atom' xmlns:openSearch='http://a9.com/-/spec/opensearchrss/1.0/' xmlns:georss='http://www.georss.org/georss' xmlns:gd='http://schemas.google.com/g/2005' xmlns:thr='http://purl.org/syndication/thread/1.0'><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748</id><updated>2012-02-13T14:06:05.446+09:00</updated><title type='text'>私と家族</title><subtitle type='html'></subtitle><link rel='http://schemas.google.com/g/2005#feed' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/posts/default'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default?max-results=100'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/'/><link rel='hub' href='http://pubsubhubbub.appspot.com/'/><link rel='next' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default?start-index=101&amp;max-results=100'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><generator version='7.00' uri='http://www.blogger.com'>Blogger</generator><openSearch:totalResults>140</openSearch:totalResults><openSearch:startIndex>1</openSearch:startIndex><openSearch:itemsPerPage>100</openSearch:itemsPerPage><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-5225390764104809792</id><published>2011-12-11T13:03:00.000+09:00</published><updated>2012-02-08T11:20:32.462+09:00</updated><title type='text'>従姉</title><content type='html'>&lt;div style="text-align: left;"&gt;一昨日、外来診療中にショートメールが届いた。絵文字入りであった。以下のような文面であった。&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;「元気ですか。何年ぶりかな。裕子から聞いてびっくりしています。忙しい時間帯が分からんのでメールにしました。土曜日と日曜日は仕事休みです。啓子」」&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;「裕子」も「啓子」もよくある名であるある。私の知人にも「裕子」や「啓子」という名の女性がいる。しかし、上のメールの文面と結びつけられるような女性はいなかった。いたずらメールかなとも思った。&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;２～３分考えてから、恐る恐る「どなたでしょうか」という返事を返した。&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;すると、すぐに次のようなショートメールがまた届いた。&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;「わからない？　久礼の旧姓「國弘啓子」。今は「佐々木啓子」。子供の頃、よく遊んだね。」&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;やっとわかった。「啓子」というのは私の従姉であった。そして「裕子」は「友子」の誤りであった。「友子（ゆうこ）」は私の姉の名である。&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;子供の頃遊んだ友達の名は漢字で書けないことが珍しくない。私はその従姉をいつも「けいちゃん」と呼んでいた。本名が「けいこ」であるということも知っていた。しかし漢字でどう書くのかは知らなかった。&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;啓子には姉が一人、弟が一人いた。つまり三人姉弟であった。啓子は私より８歳年上。母親似であった。彼女の父親、つまり私の伯父一家は土佐の一本釣りで有名になった中土佐町久礼に住んでいた。祖父母が存命中、私は祖父母に連れられてよく伯父の家に泊まりに行った。伯父一家も墓参りの折りなどによく私の家にやってきた。伯父の家と私の家とは離れていた。だから彼女たちと私たち姉弟とが遊んだのは、このようにお互いの両親や祖父母に連れられてそれぞれの家を訪ねたときであった。&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;私が啓子に最後に会ったのは、私が小学校低学年の頃であったと思う。ほどなく、啓子は家を離れ、関西に行ったと聞いた。そして向うで結婚し、兵庫県に住んでいるということも聞かされていた。しかし、彼女が関西に行ってからは、本人と全く話す機会はなかった。年賀状のやりとりもなかった。ただ、私の両親から、彼女がいろいろと苦労しながら生活しているということは聞かされていた。&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;外来診療が終わった後、私は彼女に電話をかけた。40数年ぶりとは思えない、昔のままの声が聞こえてきた。&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;彼女の夫は７年前に亡くなり、今は末娘と二人で暮らしているということであった。孫も４人いるという。&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;彼女が長年、里帰りしなかった理由も初めて聞いた。私の両親は、昔から、親族間の軋轢についてはほとんど私に話したことがない。なぜ末っ子である私の父親が本家を嗣ぐことになったのか、私はずっと不思議に思っていたが、そのいきさつも聞かされたことがない。&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;彼女は私の両親が入院していることを私の姉から聞いていた。姉からいろいろのな愚痴や苦労話も聞かされたらしい。&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;彼女の父つまり私の伯父が亡くなってから、はや１０年経つこと、彼女の弟が死んでからでも７年経つことも彼女から&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;聞かされた。弟が死んでから彼女は、１年に何回か里帰りし、一人暮らししている母を介護しているという。&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;私の伯父と私の父親との間に繰り広げられた兄弟間のさまざまな確執。一家を長年苦しめた啓子の弟（私の従兄）の放蕩生活。伯父も死に、死の間際まで家族を悩ませ続けた従兄もすでにこの世にはない。&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;電話を切った後、彼女は現住所をショートメールで知らせてきた。人生のほんの始まりの時期に遠く離れてしまった従姉との交流が、二人が老年期にさしかかろうとする今、また始まる。&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="text-align: left;"&gt;生まれて初めて、この従姉に年賀状を書く。&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-5225390764104809792?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/5225390764104809792/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=5225390764104809792&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/5225390764104809792'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/5225390764104809792'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2011/12/blog-post.html' title='従姉'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-8480132959322836487</id><published>2011-08-20T10:44:00.001+09:00</published><updated>2011-08-20T12:44:00.705+09:00</updated><title type='text'>夏休み　軽井沢にて</title><content type='html'>&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/-GZkAENNH6QE/Tk8sPFvx5oI/AAAAAAAAAmc/XmLTPoQO05E/s1600/RIMG0287.JPG" onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://3.bp.blogspot.com/-GZkAENNH6QE/Tk8sPFvx5oI/AAAAAAAAAmc/XmLTPoQO05E/s320/RIMG0287.JPG" border="0" alt="" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5642777495870760578" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/-HXTq4HytYik/Tk8sO19NntI/AAAAAAAAAmU/yBMbL-AyGZY/s1600/RIMG0244.JPG" onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://2.bp.blogspot.com/-HXTq4HytYik/Tk8sO19NntI/AAAAAAAAAmU/yBMbL-AyGZY/s320/RIMG0244.JPG" border="0" alt="" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5642777491632135890" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/-MtTePkSW1Js/Tk8sOj8ii1I/AAAAAAAAAmM/_z7bp7roums/s1600/RIMG0088.JPG" onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 320px; height: 240px;" src="http://2.bp.blogspot.com/-MtTePkSW1Js/Tk8sOj8ii1I/AAAAAAAAAmM/_z7bp7roums/s320/RIMG0088.JPG" border="0" alt="" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5642777486797474642" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;お盆休みを家族と軽井沢で過ごしている。夏休みを軽井沢で過ごすのが恒例になった。義母が所有する別荘を使わせてもらっている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;今週の前半には日帰りであちこちにドライブに出かけた。白馬の栂池天狗原、蓼科に近いところにある白駒池、山梨県との県境に近い犬ころの滝、そして志賀高原。いずれの場所にも車で片道2時間～2時間半で行ける。幸い、前半は天気にも恵まれた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;週の後半には「軽井沢八月祭」が始まった。軽井沢八月祭は今年で5回目。軽井沢のあちこちで小さな演奏会が開かれる。ほとんどの演奏会は無料である。数年前には、一日中、軽井沢のあちこちでひらかれる演奏会巡りをしたこともあった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;しかし、今年の軽井沢八月祭はだいぶ規模が縮小されている。震災の影響でスポンサーが減ったのであろうか。軽井沢八月祭に引き続いて軽井沢国際音楽祭が開かれるためであろうか。今週の後半から天気が崩れたこともあり、私たちは教会で開かれた演奏会に一昨日と昨日でかけた。ただし、息子は別荘で留守番。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;息子はクラシック音楽には全く興味がない。音楽そのものに興味がない。演奏会会場ではいつも演奏が始まると同時に眠ってしまう。それでも昨年までは一緒に演奏会についてきた。しかし、今年からは一人で留守番すると言い始めた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;きょう（8月20日）も朝から雨。夜とこんな雨の日には別荘でのんびりと読書をする。昨年までは歴史小説ばかり読んでいたが、今年は普段読まない本ばかり近くの本屋で買ってきては読んだ。”それでも「日本は死なない」これだけの理由”（講談社）、”日本経済、復興と成長の戦略”（朝日新聞出版）、”3・11に勝つ日本経済”（PHP研究所）、”震災大不況にダマされるな”（徳間書店）、”世界でいちばん！ 日本経済の実力”（海竜社）、”2011年 ユーロ大炎上”（講談社）、”世界が感嘆する日本人”（宝島社新書）、そして”連合赤軍「あさま山荘事件」の真実”（ほおずき書籍）と”無縁社会”（文芸春秋）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「あさま山荘事件」は、40年経過した今も私の頭には鮮明な記憶が残っている。この事件はこの軽井沢で起きた事件であった。当時まだ中学生であった家内は、事件があった年の夏、家族とあさま山荘と見に行ったという。今、その「あさま山荘」の周囲にはうっそうと木が生い茂っており、建物の下の山道からはなかなか見通すことができない。改築もされ、一見しただけでは、かつての「あさま山荘」であったのかどうかすらわからない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;”連合赤軍「あさま山荘事件」の真実”のなかの「あさま山荘事件」をきっかけとして発覚した「リンチ殺人事件」の記述も生々しかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;今も世界では「正義」の名の下に数多くの殺人が行われている。今も世界のあちこちで続いている戦争のほとんどは宗教戦争である。当事者は「正義のため」としか言わない。しかしまぎれもない宗教戦争である。イスラム教徒キリスト教徒の紛争は将来もなくなることはないであろう。物事を善と悪の2つにしか分類できない一神教の宿命である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;“無縁社会”はNHKで放映された番組を本にまとめたものである。私は独身ではないし、一人だけではあるが息子もいる。姉や、姪、甥もいる。両親もまだ生きている。それでも将来、私も無縁社会のなかで孤独死するのではないかという不安感がないわけではない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;今、私の母親は入院しているが、残り少なくなった時間を自宅で過ごしたいと強く願っている。また、母親が自宅にもどれるかどうかはわからない。ただ、母親も、そして父親も孤独死することだけはない。「行旅死亡人」となることもない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;長くなった。明日の朝、東京に戻る。&lt;br /&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-8480132959322836487?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/8480132959322836487/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' 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width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-8043671808570369216</id><published>2011-07-26T08:33:00.000+09:00</published><updated>2011-07-26T09:44:29.144+09:00</updated><title type='text'>思春期</title><content type='html'>このブログを書き始めて何年経ったであろうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;本ブログを書き始めたのは、成長していく息子のその時々の姿を記録したいと思ったからであった。しかし、書きためたブログを読み直してみると、息子の成長を綴った文章は少なく、ほとんどは私自身の心象の描写であった。男親というのはこんなものであろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;さて、今、息子は13歳。思春期を迎えた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;息子の思春期の芽生えを私が感じたのは、息子が10歳のときであった。今からちょうど3年前のこと。「暑い！」といって寝室のある2階から1階のリビングに降りていき、その晩、そこに置いてあるソファーの上で眠ったのだ。その夏、息子がリビングのソファーで独り寝をしたことがもう1回あった。いま振り返っても、やはりこのときが息子の思春期の始まりであったのだと思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;もう息子は決して親といっしょに寝ようとはしない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;家内は、息子の行動のひとつひとつにとまどっているようだ。思春期の変化は男と女では大きく異なる。母親と娘にとって思春期は、親子関係から同性の親友関係への変化の時期なのかもしれない。しかし男にとって思春期は、精神的自立の時期である。特に、親からの精神的自立の時期である。最も感受性の強い時代でもある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;これから高校を卒業するまで、息子は精神は激しい嵐のなかをさまようであろう。この嵐を抜けたとき、息子には精神的エネルギーにあふれた逞しい若者になっていてもらいたいと願う。どんなに秀才であっても、精神的エネルギーがなければ人生の荒波を乗り越えていくことはできない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;息子が高校生になったら、「学校を1年休学して、これから世界一周してくる」と言い出すことがあるかもしれない。私はこのようなことが起きるのを心配しながらも、その一方でこんな突拍子もないことを息子が言い出すのをひそかに期待している。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;これから息子がぶつかるであろう人生の荒波を乗り越えていく生きていく上で最も大切なものは、体全体からにじみ出る精神的エネルギーだと思う。粘り強い精神力である。もうひとつ重要なものがあるとすれば、それは作家の渡辺淳一氏が言う、「鈍感力」であろう。「鈍感力」は「楽観性」と言い換えることができよう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;鈍感力も一種の精神的エネルギーであろうが、いずれにしろ、これらを獲得する近道は、若い頃に多くの挫折を味わうことである。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-8043671808570369216?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/8043671808570369216/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' 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type='html'>昨日、日帰りで高知に帰省した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;一昨日、父親はリハビリテーション病院に転院した。転院手続を済ませただけですぐ母親と姉に連れられて帰宅した。したがって私が実家に帰ったときには両親が揃っていた。姉も夫（私の義兄）をひとり残したままずっと実家に泊まってくれている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;父親が落ち着いてリハビリテーションに取り組める環境を整えなくてはならない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私は帰宅すると、父親といっしょに大急ぎで所用を済ませた。そして父親を転院先のリハビリテーション病院に送り、その脚で空港に向かった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;父親が入院したリハビリテーション病院は高知市のはずれにある。まわりに広い田園が広がる。静かで空気も澄んでいる。病院は木造２階建て。父親の病室は2階の個室であった。十分な広さと設備。日当たりもよく、療養するには最高の環境であった。父親は疲れていた。したがって私は病棟の看護師の方々に挨拶を済ませるとすぐに病院を出た。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;レンタカーで病院から空港に向かう途中、私は父親の人生を振り返った。父親は、終戦後間もなく、中学校卒業と同時に一家の柱として懸命に働いてきた。そのため老後のお金には困っていない。しかし、もしリハビリテーションが終わった後も帰宅できなかったとしたら・・・。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;2週間前に会ったときと比較して、父親は明らかに物忘れがひどくなっていた。5分ごとに、これがない、あれがないと騒いでいた。これほど物忘れがひどくては一人で生活できるはずがない。ましてや母親の介護など無理である。かといって、父親を東京に連れてきても、私の生活が成り立たなくなる。家族が24時間、振り回されてしまう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;しかし、65年間一家を支え続けてきた父親を、家族と離れたままひとりぼっちで終わらせることになれば、あまりにもむごいではないか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;年をとれば人は病気になる。病気にならなくとも全ての人が必ず死ぬ。ある年齢に達したならば、誰もが自分の死に向けて心の準備を開始しなければならない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;人生最期の時期を家族に囲まれて自宅で過ごすこと。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;これがおそらく最も幸せな死の迎え方であろう。母親ははっきりと口に出して「住み慣れたわが家で残り少なくなった時間を過ごしたい」と言う。口には出さないが、父親もやはり同じことを一番強く望んでいるであろう。&lt;br /&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-58320666941125866?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/58320666941125866/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=58320666941125866&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/58320666941125866'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/58320666941125866'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2011/06/blog-post_7963.html' title='今月３度目の帰省'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-4271383746967758498</id><published>2011-06-13T19:12:00.005+09:00</published><updated>2011-06-14T22:42:38.576+09:00</updated><title type='text'>２週続けての帰省</title><content type='html'>&lt;p style="text-align: justify;"&gt;高知から東京に戻る飛行機の中でこの文章をしたためている。&lt;/p&gt;２週続けての帰省になった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div&gt;昨日は、高知空港でレンタカーを借り、姉の嫁ぎ先に立ち寄り、姉と一緒に父親が入院している病院に向かった。ちょうど姉の三女（私の姪）が帰省しており、その三女も同乗した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私の父親には孫が５人、ひ孫が２人いる。これらの孫やひ孫が可愛くて仕方がないらしい。父親は彼らの顔をみると心から嬉しそうな笑顔を浮かべる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;昨日、私たちが病院を訪れたのは、父親の病状に関する説明を主治医から直接聞くためであった。私が主治医に会うのは初めてであった。説明は簡単であった。医師である私にとって、父親の脳MRIを見せてもらえればほとんどなんの説明も要らなかった。これからの父親に必要なのは、脳梗塞の再発を防ぐための治療とリハビリテーションであった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;リハビリテーションによって父親の失語症が完全によくなるとは思えない。しかし、できる限りの治療を受けさせる必要がある。父親は仕事や自宅にいる私の母親のことをしきりに心配している。まずは父親のこれらの心配事を取り除いてあげなくてはいけない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;昨夜は実家に帰り、母親と夜遅くまで話した。母親とふたりきりでこんなに長時間話すことはなかった。今まで聞いたことのない話もいくつか聞くことができた。たわいのない話が多かったが。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そんなたわいのない話の中のひとつ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;だいぶ前のことであろうが、私の父親が近所の人に「うちの嫁は地味で」話したことがあるという。その時、その隣人は「亭主（つまり私）の稼ぎが少ないからよ！」と言ってあざ笑ったという。また、実家の近くの別の老婦人からは「息子を医者にしたのに役に立たんねえ」と言われたこともあるらしい。母親が地元の病院で入退院を繰り返していたことに対する嫌みであったようだ。また、父親は父親で更に別の老夫人から、「おまん（土佐弁：あなた）の頭は大したことがないのに、お孫さんができるのはどうしてじゃろうね」と言われたことがあるという。父親はその言葉に対して「ワシはこればあの人間じゃけんど（私はこの程度の人間であるが）、孫がようやってくれるけ（孫がよく勉強してくれるので）、幸せじゃ」と言い返したという。それ以来、その老婦人は父親に対して嫌みを言うのをやめたらしい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;これは余談。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;母親と私が寝たのは午後１１時３０分を過ぎていた。私は母親の寝室の隣の居間で電気炬燵に潜って寝た。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;翌朝、私は７時３０分に目覚まし時計の音で目覚めた。起きると急いで身支度を整え病院にでかけた。きょうはいくつかの書類手続きを進めるつもりであった。父親と一緒に市役所や銀行に出向き、所要を済ませた。そして病院に戻り、公証人立ち会いのもと、「任意後見契約」の手続きを済ませた。父親の病状が悪化した際、父親が尊厳を失わず、かつお世話になった人たちに対して義理を欠かずに死を迎えられるよう、今から準備を進めておかなくてはいけない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;人は誰も死から逃れられない。私の父親にも、自分の人生の最期をどのように締めくくるのかを真剣に考え、そして直ちに実行に移すべき時が到来した。幸い、病状は比較的軽かったが、そんなに長い時間が残されているわけではない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-4271383746967758498?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/4271383746967758498/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=4271383746967758498&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/4271383746967758498'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/4271383746967758498'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2011/06/blog-post_13.html' title='２週続けての帰省'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-2723380915643073549</id><published>2011-06-10T00:33:00.008+09:00</published><updated>2011-06-10T06:47:35.145+09:00</updated><title type='text'>無題</title><content type='html'>私が幼なかった頃、我が家では祖母と父親との言い争いが絕えたことがなかった。怒ると父親は祖母に対して暴力を振るった。そんなとき、祖父母は私の父親の暴カから逃れるため、我が家で「鳥小屋」と呼ばれていた小さな離れに逃げた。私も祖父母を追いかけ、その「鳥小屋」の中で祖父母の間に入り込んで寝た。なぜその離れを我が家で「鳥小屋」と呼んでいたのか私は知らない。私が生まれる前か物心つく前にその離れで鶏を飼っていたのであろう。家が吹きぬける、広さが四畳半ほどの粗末な小屋であった。&lt;div&gt;&lt;div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;まだ幼なかった私には、なぜ祖母と父親との間にけんかが絕えないのかがわからなかった。その理由を私が知ったのはごく最近のことであった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;当時、我が家は貧乏のどん底にあった。中学校を卒業後ほどなく一家の柱となった父親はなんとか貧困生活から抜け出そうと必死であった。その方策をめぐっての意見の対立が２人のけんかの原因であった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;父親は五人兄弟（男３人、女２人）の末っ子。一番上の兄は戦死していた。上の姉は肺結核で死んでいた。私が生まれたとき、私の父親の兄弟としては兄１人と姉１人が残っているだけであった。その２番目の兄は何故か生家である我が家を継がず別に所帯を持っていた。つまり、父親は末っ子でありながら家を継いでいた。貧乏も一緒に引き継いだのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;父親は深夜まで休まず働いた。母親も一緒であった。両親がいつ寝、いつ起きているのか、私にはわからなかった。しかしその代償として、私が幼い頃、我が家には一家団欒の時は皆無であった。食事中も父親が私や私の姉に話しかけることはなかった。父親は食事中ですら気むずかしい顔をしながら仕事のことを延々と話し続けた。一家揃っての食事が楽しく感じられたことはなかった。幼かった頃の私は、父親が仕事先から帰宅する車の音にすらおびえた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;父親と祖母との争いが絕えないことに勘えかねた祖父が「正義（まさよし）のところへ出ていく！」と怒り出したことがあったということを、つい先日、母親から聞かされた。「正義」というのは父親の二番目の兄の名である。祖父はきわめて温厚であった。私は祖父が怒ったのを見たことがない。父親と祖母との言い争いは、私の記憶よりもはるかにひどかったのであろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;祖父が家を出ていくと怒ったとき、私の母親は「こういう状況ですからやむを得ないでしょう」と言ったという。すると祖父は「やむを得ないとはどういうことか」と今度は母親に対して怒り始めた。母親はまだ２０歲になったばかりの新妻であった。そんなに若い母親が祖父に対して「どうか家にいてください」と言い直して謝まり、祖父母が出ていくことを思い止まらせたという。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;こんな我が家の状況を見るに見かねて、母親の２人の姉は離婚して実家に戻るようにと勧めたらしい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;しかし母親は実家に戻らなかった。なぜ母親が離婚に踏み切らなかったのか、私は知らない。既に私の姉が生まれていたので子のために離婚を思い止まったのであろうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ただ、当時の母親にも全く救いがなかったわけではなかった。祖母の存在であった。姑である私の祖母は嫁である母親を何かにつけて褒め、近所の人たちにも自慢して廻ったという。祖母が母親を叱ったことは一度もなかったらしい。当時の母親にとって大きな心の支えになったようだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;祖母は６３歲のとき脳出血で倒れた。２週間後に死ぬまでの間、母親は自宅で献身的に祖母の看病をした。まだ８歲にしかすぎなかった当時の私にも、母親のその献身的な看病は神々しいとすら感じられた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;祖母は祖父とは対照的に気牲が荒く口も悪かった。父親との言い争いが絕えなかったひとつの原因もここにあったのではないかと思う。しかし、人と人との感情の機微は家族の間でも理解しきれない。祖父母と両親の４人の間の心の綾を私が正確に理解できるはずがない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-2723380915643073549?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/2723380915643073549/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=2723380915643073549&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/2723380915643073549'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/2723380915643073549'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2011/06/blog-post_10.html' title='無題'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-6302274312331626181</id><published>2011-06-07T09:52:00.000+09:00</published><updated>2011-06-09T19:30:52.470+09:00</updated><title type='text'>最後の上京</title><content type='html'>昨年、私の母親は３回、私が勤務する慶應病院に入院した。その度に父親が付き添ってきた。両親が利用するのはいつも夜行バスであった。高知ー東京間は１１時間かかる。長旅である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;両親が住む高知では、東京では当たり前と思える治療を受けることができない。医療水準が低い。よりによって私の母親は高度の医療技術を必要とする病気に何度も罹患した。どうにも困ってしまって慶應病院で治療を受けることになったこともある。数年前には整形外科に３回ほど入院。そして昨年は泌尿器科に入院した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;昨年の夏、母親が退院し高知に帰る際、私は両親を夜行バスの停留所まで送っていった。母親は歩行器なしでは歩けない。私は停留所のすぐ傍に車を停めて父親とふたりで母親を後部座席から降ろした。そして急いで運転席に戻り、車を駐車場に停めた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;悲しかったのは、母親を車の後部座席から降ろしている最中、小田急バスの交通整理係の若者から「ここは駐車禁止です。車をどけてください」と大声で注意され続けたことだ。母親の姿を見ればその場所に車を停めざるをえないことは一目瞭然ではないか。それに私が車を停めた場所にバスが入ろうとしていたわけでもなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;駐車場に車を停めて停留所に急いで戻ると、母親は地下道への入口のコンクリートに座り込んでいた。冬ではなかったので腰が冷えることはなかったであろうが、身体が不自由な年老いた母親が腰を丸めながら屋外でバスの到着を待つ姿を見るのは、息子の私にとって辛いことであった。私が幼い頃、母親はよく私と私の姉の二人を同時に背負ってくれた。もう５０年も前のことである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;高知行きのバスが到着した。両親は乗客の列の最後尾に並んだ。やっと立っている母親を私と父親が支えた。「どうぞお先に」と行ってくれる乗客はいなかった。両親は最後にバスに乗り込んだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;母親は脚をあげることができない。私は母親の足首を両手で左右交互につかんで一歩一歩バスの階段を上らせた。上体は父親が抱えた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;なんとか母親をバスに乗せることができた。そして私だけバスから降りた。振り返り、両親の姿を探そうとバスを見上げた瞬間、私はなんとも表現できない悲しみに襲われた。両親が上京するのはこれが最後だろうという思いが急に込み上げてきたのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;バスは静かに出発した。そして間もなく新宿駅前の雑踏の中に消えた。バスが見えなくなった後も私はしばらく停留所にぼうっとしながら立っていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「両親が上京するのはこれが最後」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ちょうど１週間前に父親が脳梗塞になり、私のこの予感は現実のものとなった。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-6302274312331626181?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/6302274312331626181/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=6302274312331626181&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/6302274312331626181'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/6302274312331626181'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2011/06/blog-post_07.html' title='最後の上京'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-6861423214020299290</id><published>2011-06-06T07:34:00.000+09:00</published><updated>2011-06-07T11:33:01.473+09:00</updated><title type='text'>帰省と介護</title><content type='html'>６日前（先週の火曜日）の昼、私は汐留のオフィスに勤めている友人と新橋駅前で会って話をしていた。彼との話はいつも家族や親戚のこと、そして高校時代の友人の近況。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そろそろ席を立とうかと思い携帯電話を見ると、父親からの電話の着信履歴があった。２回かかってきていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私は喫茶店から道路に出て父親に電話をかけた。すぐに父親は電話に出た。父親が病院に来ていることはわかった。しかし要領を得ない。代わって出てきたのは姉であった。父親の具合がわるくなり診察を受けていたところ、突然、診察医の目の前で訳がわからなくなったという。「訳がわからなくなる」ということの意味は不明であったが、おそらく頭が朦朧としたのだろうと推測した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;短時間ではあったが父親と話し、父親が失語症になっていることはわかった。脳梗塞が起きたのだろうと推測した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;学会があったため私は直ちに帰省することができなかった。結局、金曜日の夕方、学会会場から直接羽田空港に向かうことになった。学会会場から羽田空港までは徳島に住む友人がいっしょであった。早めについたので彼のお勧めの喫茶室でお茶をしながら時間を潰した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そうこうしているうちに上述の友人も羽田空港に到着。その徳島の友人と別れ、彼といっしょに高知に帰ってきた。彼は入院している父親の看病のために２週間に１回、東京から高知に帰省している。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;いつもは高知空港まで父親が迎えに来てくれる。しかし今回は誰も迎えに来てくれない。彼も然り。私たちは１台のレンタカーを借りることにしていた。まず、彼の家に行くことにした。彼の家は国道から分かれて狭いつづら折りの道を登った山の中腹の寒村にある。車で山を登る途中、小さな温泉があり光が見えた。しかし光はそれだけであった。彼の家の両隣には民家があるが、いずれの家からも光は漏れてこなかった。１軒の家は既に空家になっているということであった。あたりは真暗。私は彼が家の玄関の電灯をつけるまで待った。家が明るくなるのを確認して彼の家の前を離れた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;実家に着いたのは午後１０時を過ぎていた。家にはまだ電燈が灯っていた。玄関のドアを開けて「ただいま」と言うと、「おかえり」という女性の声が返ってきた。しかし聞きなれない声であった。姉であった。姉とは数年間会っていなかったが、声が低くなっていた。私はてっきり父親と母親しかいないものと思っていたが、父親が病気になった日からずっと実家に泊まってくれていたのであった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私の母親は長年、慢性関節リウマチを患い、手も足も大きく変形している。右の肘関節には人工関節が入っている。数年前には頚椎骨折のため四肢麻痺になるとともに意識も朦朧となり生死をさまよった。歩行器を使えばなんとか歩くことができるまでには回復したが、これ以上の回復は望めない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;こんな母親の介護は年老いた父親がすべてやってくれていた。その父親が脳梗塞になった。四肢の麻痺はないが、自分の名前すら書くことができない。このような状態では銀行から預金を引き出すことも自分ひとりではできない。運転も医師から禁じられた。田舎では車がないと何もできない。食べ物さえ買いにいけない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;こんな両親を置いたまま、私はきょうの午後、東京に戻らなければならない。当座は県内にすむ姉と姉の長女（私の両親の外孫）がなんとかしてくれると思うが、長期的な介護をどうするか。母親はこの家からは出たくないと言う。「頚の骨が折れた時になぜ死ななかったのだろう。あの時に死んでいればよかった。」この言葉を何度母親から聞かされたことか。身体の自由が利かず一日ごとに年老い、将来への希望を持たない高齢者に共通する心の中からの叫びかもしれない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-6861423214020299290?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/6861423214020299290/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=6861423214020299290&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/6861423214020299290'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/6861423214020299290'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2011/06/blog-post.html' title='帰省と介護'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-1192096857343479736</id><published>2011-05-15T18:07:00.000+09:00</published><updated>2011-05-15T23:22:59.349+09:00</updated><title type='text'>幼友達の死</title><content type='html'>ちょうど一週間前の朝、父親から電話がかかってきた。私の実家の西隣に住む幼友達が亡くなったという知らせであった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;彼は長い間、肝硬変を患っていた。アルコール性の肝硬変であった。数年前には危篤状態に陥ったこともあった。なんとか持ち直したものの、ほとんど家から出ることはなかった。だから昨年の正月、実家近くの氏神様に初詣でに出かけた際に彼の姿を見かけ驚いた。なんと彼は同じ部落に住む人たちと酒を酌み交わしていた。彼は私に向かって笑いながら「もう死なんで！」と言った。私は彼に「お酒は飲まん方がえいで」と忠告したが、彼は私の忠告を気に留めようともしなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;それから１年後。今年の正月に彼の家に新年の挨拶に行った。彼は笑顔で私を迎えてくれた。短時間話しただけであったが、元気そうに見えた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;この幼友達は私の隣に住んでいたこともあり、私が中学校に進学するまではよく一緒に遊んだ。当時、彼はめったに笑顔を崩すことがなかった。いつもにこにこしていた。彼の姉は自己主張と自己顕示欲が強かったから、彼の人柄は一層温厚に思われた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私はこの幼友達を羨んでいた。まず、彼の家庭は私の家庭よりもはるかに裕福であった。少なくとも私の目にはそう見えた。そして彼は父親によく遊んでもらえた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;しかし、成人した後の彼の人生は幸福には見えなかった。彼は地元の工業高校を卒業したあと就職したが、定職についてじっくりと仕事をすることはほとんどなかったように思う。彼の父親も若くして交通事故で亡くなった。結婚生活にも恵まれず、離婚。子もいなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;彼がアルコール漬けの生活を送るようになったのも無理からぬところがあったと思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;彼の家には年老いた彼の母親ひとりが残された。彼の家は遠からず廃屋になる。私の実家の東隣は既に昨年から空家になっている。我が家も両親が亡くなれば廃屋になるであろう。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-1192096857343479736?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/1192096857343479736/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=1192096857343479736&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/1192096857343479736'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/1192096857343479736'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2011/05/blog-post_15.html' title='幼友達の死'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-6705675882471604627</id><published>2011-05-01T22:56:00.011+09:00</published><updated>2011-06-14T11:47:13.732+09:00</updated><title type='text'>軽井沢</title><content type='html'>&lt;p style="text-align: justify"&gt;今年初めて軽井沢に出かけた。10数年前から、ゴールデンウイークには、私は家族と一緒に必ず軽井沢にでかける。&lt;/p&gt;&lt;p style="text-align: justify"&gt;自宅を出たのは4月29日の午後10時過ぎであった。着いたのは30日の午前0時10分。高速道路の渋滞に巻き込まれることなく、ちょうど2時間で軽井沢に到着した。気温は2℃。東京よりも15度以上気温が低かった。電気毛布を敷いて、その晩は、すぐに寝た。&lt;/p&gt;&lt;div&gt;翌朝目覚めたのは午前7時。家族が起きぬ間にと思って7時30分に起き出し、締切が過ぎている依頼原稿の執筆にとりかかった。4月29日の昼間にほぼ原稿は書き上げていたが、一晩寝ると気分が変わっており、結局、大幅に書き直すことになった。昨年秋に新しく開店した、私たちの別荘近くのレストランで昼食。その後、再び執筆作業にとりかかった。原稿が仕上がったのは午後4時。直ちにメールで出版社に原稿を送った。約1万2千字。原稿用紙30枚。曇天であったこともあり、すでに外は薄暗くなり始めていた。私は息子と一緒に近くの書店に出かけて40分ほどその店で過ごした。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;夕食はチゲ鍋。料理に手間がかからないから軽井沢では毎日のようにチゲ鍋ばかり作る。夕食を済ませた後は、アイススケートの世界選手権をテレビで観戦。安藤美姫は気合いのこもった演技で金メダル。しかし浅田真央の演技には全く精彩ががなかった。上の空で滑っているように見えた。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;きょうの午前中はテレビ。日曜日の午前中は、毎週、NHKの将棋講座とNHK杯を観る。NHK杯の対局が終局に近づいたとき、iPhoneが鳴った。北尾まどかさんからのMMSであった。四国で開かれる催し物に招待されて東京を発つと書かれていた。彼女の活動がある雑誌に掲載されることも、添えられていた写真から知った。彼女は将棋の女流プロ二段。一昨年、NHKの将棋講座のアシスタントを務めていた。どうぶつしょうぎの発明者でもある。彼女の夫は、同じく将棋プロの片上大輔六段。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;私の大学時代の後輩が、片上六段と北尾女流二段のサポータになっている。私も彼に頼まれて、一昨年の暮れ、北尾女流二段を応援する会の会員になった。以来、片上・北尾ご夫妻とは1年に何回か話す機会がある。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;昨年の夏には、この私の大学時代の後輩が所有する御代田のマンションにお二人やその友人が集まった。その際に、私も家内と一緒にそのマンションを訪れ、一緒にバーベキューを囲んだ。片上六段と北尾女流二段はなかなかお似合いのカップルである。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;きょう私は、午後3時から開かれる小さな演奏会を聴きに家族とでかけることにしていた。場所は私たちの別荘から車で20分ほどの場所にある「オナーズヒル」という店。ここは小高い山の頂上近くにあり、浅間山がよく見える。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;ここで、まず昼食をとった。そして温泉にゆっくりつかりながら、演奏会が始まるのを待った。演奏会はレストランを利用して開かれた。観客は20名ほど。文字通り「小さな演奏会」であった。クラリネットとギターの二重奏。演奏は決して上手ではなかった。それでも、遠くにそびえる浅間山を背景にした静かな演奏会に、私はしばし時間が経つのを忘れた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;午後7時前に軽井沢を発ち、帰途についた。途中、事故や故障車のために高速道路は渋滞していた。しかし3時間半ほどで帰宅できた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;明日の夜、再度、家族と軽井沢にでかける。&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-6705675882471604627?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/6705675882471604627/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=6705675882471604627&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/6705675882471604627'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/6705675882471604627'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2011/05/blog-post.html' title='軽井沢'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-5971826119983909821</id><published>2011-03-26T00:18:00.000+09:00</published><updated>2011-03-26T00:30:29.320+09:00</updated><title type='text'>家族旅行</title><content type='html'>いま、羽田空港のロビーにいる。家内と息子も一緒だ。明日、午前1時20分発の飛行機でマレーシアのコタキナバルに向かう。コタキナバルに行くのは4年続けてとなった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;今年の家族旅行が例年と違うのは、今年は息子のクラスメートの一家と一緒であるということだ。一緒に行こうと相談してそうしたわけではない。偶然であった。その上、行きの飛行機まで同じであるとは。びっくりした。どうも、私の家内が、「コタキナバルはいい、コタキナバルはいい」と息子のクラスメートの母親たちにいつも話していたらしい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;驚いたことに、実は、コタキナバルにこの春休みに行くのは、いま一緒になった一家と私たちだけではない。もう一家族もほぼ同じ時期にコタキナバルに行くのだ。もちろん息子のクラスメート一家が。ただし、その家族は成田発のクアラルンプール経由だということだ。だから、現地では３家族がいっしょになる。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-5971826119983909821?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/5971826119983909821/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=5971826119983909821&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/5971826119983909821'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/5971826119983909821'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2011/03/blog-post_26.html' title='家族旅行'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-2353338913841593158</id><published>2011-03-23T17:48:00.021+09:00</published><updated>2011-03-29T18:52:37.320+09:00</updated><title type='text'>震災の後の卒業式</title><content type='html'>&lt;p style="text-align: justify"&gt;きょうの午前、息子の通う小学校で卒業式が開かれた。息子は今年卒業する。&lt;/p&gt;卒業式は講堂で開かれるはずであった。しかし3月11日の午後、息子たちが卒業式の練習をしている最中に例の地震に見舞われて講堂は一部損壊した。そのため、急遽、第二体育館で卒業式を行うことになった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;会場となった第二体育館のなかに入るのは、私は初めてであった。古い建物であった。講堂と比べると狭い。当然、暖房はない。しんしんと冷えた。前方には卒業生と来賓の座る椅子が、後方には父兄が座る椅子が並べられていた。その椅子の数から、在校生は今年の卒業式に参加しないことがわかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;式の初めに進行係から簡単な説明があった。椅子を並べるのも在校生ではなく教職員が行ったという。「卒業おめでとう」と書かれた飾りも教職員が自ら作ったのだということであった。非常口の場所の説明も行われた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;卒業式は、3月11日の地震で犠牲となった方々への黙祷で始まった。参加者数も少なくしんみりとした卒業式となった。最後まで笑いはなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;卒業式が終わったあと、卒業生、父兄、それに担任の先生がクラスごとに教室に集まった。最初に、担任の先生が改めてひとりひとりに対して卒業証書を手渡した。その後、引き続き教室で担任の先生へのささやかな感謝の会を開いた。子供たちは担任の先生への贈り物をいくつか用意していた。自分たちの思い出の写真を保存したフォトビューアー、文集、花束。そして出てきたのが担任の先生の写真を真ん中に貼った額縁。その先生の写真のまわりに一人ひとりの子供たちが順番に自分の顔写真を貼った。その額縁は子供たちが用意した最後の贈り物であった。担任の先生はそれまで笑顔を絶やすことがなかった。しかし、教室の周囲を取り囲んでいた父兄からの歌が流れ出すと、急にハンカチで涙をぬぐい始めた。結局、先生は涙に耐えきれず、子供たちへの挨拶を短く切り上げた。父兄たちが歌ったのは山口百恵の「さよならの向こう側」であった。ただし、歌詞が一部変えられていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;会が終わりに近づいた頃、廊下のスピーカーから学校中に「蛍の光」が流れ始めた。お別れ会終了の合図であった。ほんとうのお別れの時が近づいた。子供たちは、あらかじめ打ち合わせてあったのか、誰が声をかけるのでもなく自分たちの机と椅子を教室の片隅に移動し始めた。そして黒板の前に集合した。子供たち全員と先生との集合写真を撮るためであった。子供たちにとって最後の集合写真であった。私も、何回も何回もカメラのシャッターを押した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;子供たちは終始、笑顔であった。息子のクラスメートのほとんどは、そのまま附属中学校に進学する。だから卒業は友達との別れではないのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;しかし、少数ではあったが、附属中学校への進学を希望したのにもかかわらず他の中学校に出ざるを得ない子もきょう集まった教室のなかにいるはずであった。もちろん、自ら希望して他の中学校に進学する者もいたが。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;解散した後、再度、全員が小学校の裏庭に集合した。そして子供たちは思い思いに担任の先生と並んで写真を撮ってもらった。息子はクラスメートと一緒のときには家では見ることができない表情をいつも見せる。とても優しい微笑みをたたえている。友達といっしょにいるのが嬉しくて仕方がないようだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;まだ皆がわいわいと賑わっている最中に、私は家内と息子を連れてひっそりと裏門を出た。そして息子が１日も休まず通った小学校を後にした。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;地震の影響を受けて何から何まで異例ずくめの卒業式になった。予定していた父兄と子供たちとの会食もなくなった。その後のボウリングも取りやめになった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;６年前の息子の入学式が開かれた日。その日、学校の裏庭の桜の花はすでに散りかけていた。その桜の木の下で息子の写真を撮った。当時、まだ息子は幼かった。背も低かった。制服も制帽もだぶだぶであった。きょう帰り際に裏門で家内と息子と３人で並んで撮ってもらった写真。いつの間にか息子は私よりも背が高くなっていた。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-2353338913841593158?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/2353338913841593158/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=2353338913841593158&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/2353338913841593158'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/2353338913841593158'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html' title='震災の後の卒業式'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-83100962663111437</id><published>2011-03-21T22:42:00.000+09:00</published><updated>2011-03-22T11:58:08.141+09:00</updated><title type='text'>宇宙桜</title><content type='html'>　私の高校時代の３年後輩が歌を送ってきた。「地質館に集ひし人に見守られ宇宙桜は定植を待つ」という歌である。地元紙である高知新聞の歌壇に投稿したところ入選したという。彼がこの歌を詠んだきっかけも書かれていた。彼は連歌の世界ではかなり有名らしい。&lt;br /&gt;　彼は、私が高校時代に寮生活を送っていた時期に１年間同室で過ごした。当時からとてもユニークな発想をする男であった。彼からの年賀状には、毎回、へんてこな歌が下手な字で書かれてくる。そして、今回のように時折、メールでも自慢の歌を送ってくる。&lt;br /&gt;　彼はまだ独身。今後も結婚しそうにない。何年か前に彼に結婚しないのかと尋ねたことがあるが、生活力がないので結婚はあきらめていると彼は答えた。以来、私は彼の前で結婚話をするのは控えている。&lt;br /&gt;　確かに、彼には生活力がない。彼が勤めていた小さな新聞社（従業員、わずか２名）は何年か前に潰れた。そして彼は失業した。生まれ故郷である高知に職を求め、彼は東京を去った。高知に帰って職を得ることはできたようだ。しかし彼が収入に結びつくことに自分の時間と精神力を費やしているようには見えない。相変わらず道楽三昧の生活のようだ。もちろん彼は歌を詠むことを道楽だと考えてはいまいが。連歌は彼にとってとても大切なものであるからだ。&lt;br /&gt;　彼は社交的である。知人も多い。彼は彼なりに自分の人生を楽しみ、生き甲斐を感じている。そして周りの人たちも楽しませている。&lt;br /&gt;　彼と話をすると、私はいつも高校時代の私に戻ってしまう。彼にはいつも命令口調で話すのだ。土佐弁丸出しで。「おい、○○、これをしちょいてや」と。連歌の世界で大御所となった彼にこのように横柄な口をきいている私はきっと無礼なのであろう。しかし若い時代にでき上がった上下関係は何十年経とうと崩せないものである。私が通った高校では、先輩は後輩よりも偉いのだ。後輩は先輩を「さん」付けで呼ぶ。先輩は後輩を呼び捨てる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;追記：&lt;br /&gt;　このブログを読んだ彼から返事が来た。「会社は潰れていない。社長ひとりで頑張っている」ということであった。上に書いた「おい、○○、これをしちょいてや」というのは、私の父が所有する山林の管理をやってくれないかと彼に頼んだのだ。帰省のたびに私の父親は私を山に連れていくが、私は境界を覚えられない。いや、山林の場所すら覚えられない。「高知県の森林組合の総務部長と知り合いになっています。不在山主ツアーをしかけられますので、東京で仲間を募ってください？？？！」というのが彼からの返事である。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-83100962663111437?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/83100962663111437/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=83100962663111437&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/83100962663111437'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/83100962663111437'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2011/03/blog-post_9028.html' title='宇宙桜'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-330503913622041604</id><published>2011-03-21T10:59:00.000+09:00</published><updated>2011-03-22T18:29:49.408+09:00</updated><title type='text'>東北関東大震災 ２</title><content type='html'>　東北関東大震災は天災なのであろうか、人災なのであろうか。人々が落ち着きを取り戻せば、きっと「今回の震災は人災である」という声が出てくるだろうと思う。特に東京電力は指弾されることであろう。何者かをスケープゴートにしなければ気が済まない輩が世の中には必ずいるものだ。&lt;br /&gt;　しかし、生きることは危険と向かい合うことだ。私たちは常に死と向かいあいながら生きている。人類は自然というお釈迦様の手のひらの中で踊らされているにすぎないのではなかろうか。そもそも、これまで人類が築いてきた文明など自然の前には全く無力なのだ。今回の騒ぎが一段落したならば、いろいろな反省点が見つかるであろう。ただ、私は、どのように我々が知恵を働かせ努力しようとも、この種の犠牲者は今後もなくならないだろうと思う。原発をなくせば被害がなくなるという単純なものではないであろう。水力発電に頼ればダムの決壊を恐れなくてはならなくなる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　下に掲載したのは昨日いただいたメールの続きである。私の方で文章の一部を削除するとともに手直しした。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　被災地の検死会場は修羅場でした。感情を殺して作業しました。昨日の朝、帰宅しましたが、軽いＰＴＳＤ状態になり眠れず、お酒を飲みながら涙を流しました。しかし夜、家族と食事をしたあと一晩ぐっすり眠ると気持ちが落ち着いてきました。&lt;br /&gt;　東京はガソリン不足になっていますが、被災地と対比するとなんと静かで平和なんだろうと感じます。被災地の人々のことを思うと心が痛みます。&lt;br /&gt;　歯科医師会や日本歯科医学会がボランティアを募っていますが、現地にでかけるちことには危険を伴います。また大挙して押しかけても地元にはそのアテンドをする余裕もありません。&lt;br /&gt;　私は、身元確認作業には自己完結で行動できる自衛隊の歯科医官を投入すべきだと考え、懇意にしている陸上自衛隊のある歯科医官と月曜日に相談したうえで歯科医師仲間にも相談しましたが、その提案は受け入れられませんでした。&lt;br /&gt;　たまたま防衛政務官の神風衆議院議員が知り合いでしたので、自衛隊の歯科医官を投入するようお願いをしました。神風防衛政務官は動いてくださり、金曜日に防衛省内局より陸海空の３軍の歯科医官に命令が下されました。そして、約３００名の歯科医官が身元確認作業に従事することになりました。宮城県警と陸上自衛隊の間では宮城県歯科医師会の江澤先生がご尽力して災害時の協力体制はできていますが、現在の自衛隊はシビリアンコントロールですから、防衛省内局の指示がなければ部隊を動かせません。２１日に第１陣が出動します。これで、多くの歯科医の危険を回避し、また、地元の歯科医師会の先生方の手を煩わせることもなくなったと思っています。&lt;br /&gt;　今は計画停電や患者さんの受診抑制もあり、火曜日からは町医者としての戦いをしなければなりません。先生のおっしゃるように日本人は高潔な民族であり、力をあわせて苦境から立ち直る力を持った国民であると思っています。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-330503913622041604?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/330503913622041604/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=330503913622041604&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/330503913622041604'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/330503913622041604'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2011/03/blog-post_21.html' title='東北関東大震災 ２'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-6772025741587029057</id><published>2011-03-20T10:47:00.000+09:00</published><updated>2011-03-21T11:24:30.782+09:00</updated><title type='text'>東北関東大震災 １</title><content type='html'>私がお世話になっている歯科医からメールが届いた。彼は地震の直後から震災救援活動に駆り出されていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;以下、いただいたメールの文面の一部を修正して掲載する。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　諸先生方にはご心配をおかけしました。派遣中、先生方のご支援をいただきましたことを心から感謝いたします。精神的にめげそうな業務でしたが、先生方の御支援が心の支えになりました。私は昨日朝、宮城から戻りました。&lt;br /&gt;　13日午後3時に、午後6時までに警察庁に集合せよとの連絡が入りました。警視庁第一機動隊のバスで緊急車両のみ走行が許されている東北道を通って山形入りし、宮城県で身元確認作業に従事しました。交代要員第2陣が金曜日深夜に来ましたので、土曜日朝にそのバスに乗り帰京しました。&lt;br /&gt;　直下型地震ではありませんでしたから、仙台中心部や私が作業に従事した岩沼市でも建物の倒壊はほとんどありませんでした。ブロック塀すら倒れているのはわずかでした。古い家屋が倒壊している程度でした。&lt;br /&gt;　ほとんどすべてが津波による被害でした。津波が町を破壊しました。津波の威力は想像を超え、海から6キロ地点までがれきを運び、田んぼを覆い尽くしていました。特に仙台より北のリアス式海岸の被害が甚大です。ビルの３階に避難していた方々すら津波にのみ込まれました。&lt;br /&gt;　検死会場は修羅場でした。続々とご遺体が運び込まれてきます。自衛隊、警察、消防の方たちは不休で働いていました。体育館の中では御遺族が号泣する声が響いていました。我々はひたすら感情を殺すよう努力しながら作業を続けました。感情を殺さなければあまりの悲しみのために作業を続けられなくなるからです。&lt;br /&gt;　まだ生存者のいる可能性があるため、重機を使ってのがれき撤去作業は行っていません。ニュージランドでの地震の際にはもっと早い時期に生存の可能性をあきらめて重機を投入しました。&lt;br /&gt;　あまりにも死亡者が多いため、戦後初めて、身元確認が終わらなくても資料採取が終われば、ご遺体を自治体に回し、火葬に処すようにと警察庁から通達がありました。これは戦後初めての通達です。戦時下での対処と一緒です。&lt;br /&gt;　すべてのことが終わるには2か月もしくはそれ以上かかるかもしれません。無事であった町でもライフラインは寸断され、市民は不安な不自由な暮らしをしています。警察ですら車両もガソリンも不足しています。どうしてもっと、政府が手だてをうって、大量の物資を東北地方に搬入できないのかと不思議に思いました。&lt;br /&gt;　まだまだ冷たいがれきの下や海際には累々としたご遺体があります。40万人の被災者がいます。私の仲間はガイガーカウンターを身につけ原発近くの南相馬市で作業に従事しています。私のいた岩沼市も原発から60キロ地点ですから、通常の6倍程度の放射能濃度にはなっていたと思います。&lt;br /&gt;　4日目にやっと温かいコーヒーを飲みました。毎日、あたりまえのように飲んでいたコーヒーすら飲むことができない状況でした。東京も不便な状況になっているようですが、自宅に戻り、宮城に比べればなんて平和で安全な町だろうという思いと一緒に作業に従事していた警察、消防、自衛隊、医師、歯科医師がきょうも作業を続けていると思うと心が痛みます。&lt;br /&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-6772025741587029057?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/6772025741587029057/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=6772025741587029057&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/6772025741587029057'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/6772025741587029057'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2011/03/blog-post_20.html' title='東北関東大震災 １'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-7188451569325982572</id><published>2011-03-12T15:30:00.000+09:00</published><updated>2011-03-18T12:04:33.871+09:00</updated><title type='text'>「ちんば」と「つんぼ」</title><content type='html'>「ちんば」というのは土佐弁である。「びっこ」という意味である。現代流の表現を用いれば「脚が不自由」ということになる。私にとって「ちんば」という言葉は差別用語でもなんでもない。土佐弁の「ちんば」という言葉には身体の不自由な人を蔑むといった響きはない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私の父方の祖父はちんばであった。私が物心ついたときには既にびっこを引きながら歩いていた。「びっこを引く」という表現は適切でない。ひどい0脚であったのだ。だから歩くと、左右に大きく状態が揺れた。たまにではあったが、曲がった膝は腫れた。そのたびに祖父は近所の医師に関節に溜まった水を抜いてもらっていた。しかし、祖父は自分がびっこであることを悲観しているように見えなかった。なぜ自分がちんばになったのかを話すこともないまま、祖父は1982年に88歳で亡くなった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;祖父がなぜちんばになったのかを知ったのは、祖父が亡くなってから30年も経った昨年の秋のことであった。父との雑談のなかで偶然その話が話題に上ったのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;祖父が保証人になっていた知人が急死し、我が家が多額の負債を抱えたことがあることは既に書いた。当時、近所の人たちは祖父が歩いているのを見ると遠ざかったという。金をせがまれるのではないかと恐れたらしい。祖父は不平ひとつ口にせず、ひたすら働き、誰に借金もすることもなくその多額の借金を返済した。ちんばになったのはその代償であった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;祖父が野良仕事から帰ってくるときにはいつも大きな荷を背負っていたそうである。遠くから見ても一目で祖父だとわかったらしい。大きくて重い荷物を毎日のように担いだために祖父の膝は大きく曲がったのだと父は私に語った。私が物心ついた頃、既に祖父は家督を私の父親に譲り、隠居の身分であった。祖父が比較的若くして隠居の身になったのは歪んだ膝のためであったという。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;こんなことを私に語る父も既に78歳になった。あと1週間後には79歳になる。すっかり耳が遠くなった。「つんぼ」になった。私の祖父は「ちんば」、父は「つんぼ」である。私はやがて「盲（めくら）」になるのであろうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「ちんば」も「つんぼ」も「めくら」も不自由ではあるが恥ずべきことではない。少なくとも土佐弁では恥ずべき障害という響きはない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;昨今の言葉狩りは困ったものだ。&lt;br /&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-7188451569325982572?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/7188451569325982572/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=7188451569325982572&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/7188451569325982572'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/7188451569325982572'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2011/03/blog-post.html' title='「ちんば」と「つんぼ」'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-6516451481435090220</id><published>2011-02-28T18:23:00.002+09:00</published><updated>2011-02-28T18:57:02.041+09:00</updated><title type='text'>良識か、行儀か、シツケ放棄か</title><content type='html'>&lt;a onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}" href="http://1.bp.blogspot.com/-POnVA9C-KS4/TWtxLCrnFJI/AAAAAAAAAlg/hcfAKo1Jcso/s1600/2.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 280px; height: 400px;" src="http://1.bp.blogspot.com/-POnVA9C-KS4/TWtxLCrnFJI/AAAAAAAAAlg/hcfAKo1Jcso/s400/2.jpg" border="0" alt="" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5578676997940778130" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}" href="http://3.bp.blogspot.com/-YpjvYXpK-Mc/TWtxG3hmmAI/AAAAAAAAAlY/a3RlC9a-Yrg/s1600/1.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 278px; height: 400px;" src="http://3.bp.blogspot.com/-YpjvYXpK-Mc/TWtxG3hmmAI/AAAAAAAAAlY/a3RlC9a-Yrg/s400/1.jpg" border="0" alt="" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5578676926226536450" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;一人ひとりの人間の価値を最も高めるものは何であろうか。学歴であるという人もいるであろう。地位であるという人もいるだろう。金であるという人もいるに違いない。若い人のなかには親の地位や財産、つまり親の七光りがあることを自慢に思っている人もいるだろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私はこの頃、人の価値を決めるのは品格であると思うようになった。品格と高価な装飾品とは関係がない。財産とも関係がない。当然、学歴とも。学歴がなくともきわめて品格のある人はたくさんいる。ベランベー調の話し方をしても妙に品格のある人もいる。逆にどれほど学歴や地位が高かろうと卑しい品格の人も少なくない。品格はその人が生きてきた人生そのものである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;つい最近発売されたサンデー毎日に岩見隆夫氏が「ティッシュペーパーと若い女性と」というコラムを書いている。このコラムの中で岩見氏は現代の若い女性の品格のなさを心から嘆いている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;現代の女性は「男女平等」教育によって育てられた。この「男女平等」教育によって女性は男性と同等の幸福と権利を獲得できるものと信じられていた。しかしこの「何でも男女平等教育」は残念ながら女性に幸せをもたらさなかった。そればかりでない。かつての日本女性が持っていたかけがえのない美を奪った。品格も奪った。そして若い男性からは自信を奪った。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-6516451481435090220?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/6516451481435090220/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=6516451481435090220&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/6516451481435090220'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/6516451481435090220'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2011/02/blog-post.html' title='良識か、行儀か、シツケ放棄か'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://1.bp.blogspot.com/-POnVA9C-KS4/TWtxLCrnFJI/AAAAAAAAAlg/hcfAKo1Jcso/s72-c/2.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-8903960999296604202</id><published>2011-01-22T08:51:00.000+09:00</published><updated>2011-01-22T10:26:57.777+09:00</updated><title type='text'>帰省</title><content type='html'>昨年12月30日から今年1月3日まで家族で高知の実家に帰省した。いつもどおり、父親が高知龍馬空港まで迎えにきてくれた。空港から私の実家までは車で約1時間かかる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私はまっすぐ実家に帰らず、途中の高知駅前で降ろしてもらい、その日開かれている忘年会会場に向かった。年によってメンバーは若干異なるが、いつも10数名以上集まる。12月30日は中学・高校時代の友人と開く忘年会の定例日になっている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;皆、老けた。しかし、表情も声も性格も高校時代と変わらない。しかし、話題は変わる。最近はどうしても親の病気や介護のことが中心になる。子供たちもほどんど高校生以上である。すでに社会人になった子を持つ友人もいる。孫が生まれた者もいる。私のようにまだ小学生の子を持つ者は私を含めて2人しかいない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;我が国では最近、結婚しない人が急増している。結婚年齢も上昇している。しかし私の同期生（約360名：男女ほぼ同数）はほとんどが結婚している。ずっと独身を通している同期生の数は数名以下であろう。（男子生徒も女子生徒も社会人になれば結婚し家庭を持つこと。これを前提とした、ごく「普通の教育」を私たちは6年間受けた。）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;彼らと出会ったのは中学校1年生のとき。もう40年以上も前のことである。しかし入学当時のことは今でもありありと思い出すことができる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;体育館で開かれた入学式。起立し、背の高い同級生のなかに埋もれながら、初めて聴いた校歌。体育館全体に木霊した。その美しいメロディーと先輩たちの透き通る歌声は今も私の耳に残る。先輩たちが自分の学校に誇りを持つとともに、新しく入学してきた私たちを心から歓迎してくれているのを肌で感じることができた。「あさかぜのすがしき国、にひはりの道は開けぬ・・・。」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;振り返れば、私の人生が始まったばかりの時期であった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;あれから40年以上経て、私の息子がちょうどこの年齢に達した。この4月、中学生になる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;息子にも間もなく思春期が訪れるであろう。息子にとってこれからが本当の人生である。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-8903960999296604202?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/8903960999296604202/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=8903960999296604202&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/8903960999296604202'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/8903960999296604202'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2011/01/blog-post.html' title='帰省'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-5551490518723221742</id><published>2010-08-03T10:30:00.000+09:00</published><updated>2010-08-19T12:17:21.886+09:00</updated><title type='text'>おもちゃ</title><content type='html'>息子がまだ幼稚園に通っていた頃、息子のおもちゃを全部取り上げて倉庫にしまってしまったことをこのブログに書いたことがある。あれから7～8年が過ぎた。それらのおもちゃは、今も我が家の倉庫に眠っている。結局、一度も取り出すことがなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;先日、自宅のリビングを眺めてみて驚いた。息子はほとんど何もおもちゃを持っていないのだ。あるのは本と将棋盤だけ。当然、テレビゲームはない。本も最近までは図書館で借りたものばかりであった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;息子がおもちゃを買ってくれとねだったことはない。友達の家にはこんなおもちゃがあったといった話を家内には時折するようであるが。「親が子に一方的に与えるおもちゃは子の創造性を高めない」というのが私と家内の考えである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;幼稚園の頃、おもちゃを私に全て取り上げられた息子のおもちゃは、新聞の折込広告と鋏、そして色鉛筆だけになった。息子は家の中では折込広告の裏に絵を書いたり、折込広告で切り絵をしたり、折り紙をして遊んでいた。息子がつくった折り紙の一部はまだ残っているが、私には到底つくれないような作品がある。誰に習うのでもなく、どのようにして作ったのか、私にはわからない。折り紙に限らず、息子の「形」の認識力には舌を巻く。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;息子が小学校に入ってからは近くの図書館に毎日のように通い、山のように本を借りてきてはむさぼるように読んだ。息子がこれまでに読んだ本の刷数は膨大である。いつの間にか、漢字検定2級に挑戦するまでになった。最近、ノートパソコンのキーボードを盛んに叩いているので、何をしているのかと尋ねたら、ミステリー小説のコンクールに応募する作品を書いているのだという。小学生に1万字近い文章が書けるのかどうかわからないが、息子は黙々とコンピュータのディスプレイを睨んでいる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;運動も好きだ。息子は小学校に入る直前に自宅近くの水泳教室に入った。4年生になってから教室をかえたが、6年近く水泳を続けていることになる。速さはたいしたことはないのであろうが、教室をかえてからは泳ぎのスタイルがよくなったようだ。スタイルが重視される学校の水泳学級で先日、1級の認定を受けたという。その直後に行われた水泳合宿で行われた、海での2キロメートルの遠泳も楽にこなせたという。息子にはスポーツで身を立てるほどの運動能力はないと私は思っているが、体を動かすことは子供にとって大切なことである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;スキー合宿にも息子が幼稚園に通い始めた頃から毎冬参加させた。2～3泊の合宿であった。息子ひとりでである。知った友だちもいなかった。私は、息子は一度だけでその合宿に行くのをやめるものだと思っていた。当時、息子はとても内気で、知らない人とはなかなか話せなかったからだ。しかし、合宿から帰宅すると、毎回、楽しかったと答えた。そして、また翌年も行くと言った。結局、息子は昨年の冬まで、毎年、知らない人たちに混じってスキー合宿に参加した。今年の年末にもまた出かけるに違いない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;週1回であるが、サッカー教室にも通っている。どこでもサッカーは大人気。息子も入会申し込みから１年ほど待ってやっと近所のサッカークラブに入会することができた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;息子は何かを始めると決して中途でやめない。この点には感心する。塾通いもそうである。小学校1年生のときから通っている塾は自宅から遠い。近くの塾にすればどうかと何度か息子に話したが、息子はやめると言わない。学校の行事などで出席できない場合を除き、欠席することはない。今年の初めからは将棋教室にも通っている。場所は千葉県の柏。自宅からは1時間かかる。それも苦にならないらしい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私自身は、小学生の頃、学校から帰宅すると、ランドセルを家に放り込むやいなや近所の幼友達と遊びに出かけた。遊び場所は、夏は川。冬は神社の境内であった。夏は上半身素っ裸になって田んぼで走りまわり、体が熱くなるとそのまま川に飛び込んだ。1日に4回も5回も川で泳いだ。全身が真っ黒になり、皮膚の皮がむけた。冬の神社の境内ではもっぱら野球。私が自転車に乗る練習をしたのも神社の境内であった。自宅の裏山もかけずり回った。帰宅するのは、いつも日が沈み、あたりが真っ暗になってからであった。帰宅した私に、「勉強しなさい」とか、「宿題はすんだのか」といった言葉が私の両親から出たことは一度もなかった。私は、翌日は何をして遊ぼうかということ以外には考えていなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;当時は、確かに物質的には貧しかった。私自身もおもちゃといえるおもちゃはほとんど持っていなかった。近所に住む幼友達の家におもちゃが山のように積み上げられていたのとは対照的であった。ひとりの幼友達の家には顕微鏡があった。もちろん子供用であったが。私はその顕微鏡で花粉を見てみたくなったことがあった。しかし、その遊び友達の母親は、私にその顕微鏡を触らせることを認めなかった。当時の私が、自分の親に向かって、たとえおもちゃのものであろうと顕微鏡を買ってくれなどと言えるはずはなかった。私は自分の家が貧乏であると親から頭に叩き込まれていた。この他にも貧乏故に惨めな思いをしたことも何度かあった。それでも私はいじけることもなく、近所の幼友達と元気よく遊んだ。楽しくて仕方がなかった。ちゃんばらがしたくなったら、木を切って自分で刀を作った。竹馬も自分で作った。吹き矢はストローと釘。釘をストローの中に入れて思いっきり吹いた。思い切り息を吸い込んだときに誤って釘を飲み込んでしまったこともあった。釘を飲み込んだなどと親に話すこともできず、私は長い間不安であった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;死にそうになったことも3回ほどある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;台風が過ぎ去った直後、私は増水した川に泳ぎに行った。当然、まだ濁流であった。足元は見えない。ふっと深くなった場所で私の体は流され、滝から下へ流され落ちそうになった。私は必死でコンクリートに捕まった。助けてもらうまでどれほどの時間があったのだろうか。水の流れが強いので私はいっそ手を放そうかと思った。もし、あのとき、手を放していたら、私はおそらく死んでいたであろう。滝の下は大きな岩だらけであった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;木登りをしていて、高い木の上から大きな石の上に転落したこともあった。幸い、その石の角に体が当たらなかった。鉄棒で回転飛び降りをした際に、バランスを崩し、砂に背中を強く打ったこともあった。もし角度がわるかったならば、頚部の骨を折っていたに違いない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;鬼ごっこをしても、駆けまわるのは地面ではなかった。２年間通った自宅近くの保育園の外塀の上であった。そのコンクリートの外塀の上をピョンピョンと跳び回って逃げたり追いかけたり。転落したならば大怪我をしたであろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私の前頭部には今も傷が残っている。断崖から川に頭から飛び込んだ際に川底の岩に前頭部をぶつけた際にできた傷である。怪我をしたとき噴き出るように出血したのを今も鮮明に覚えている。幸い、この傷は髪に隠されていて見えないが。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;どれもぞっとするような記憶である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私の息子の遊びは鳥かごの中での遊びのように見える。常に護られている環境での遊びである。しかし、私自身の子供の頃の遊び方を真似るようにと息子に言う勇気はない。&lt;br /&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-5551490518723221742?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/5551490518723221742/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=5551490518723221742&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/5551490518723221742'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/5551490518723221742'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2010/08/blog-post.html' title='おもちゃ'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-3992982837958956326</id><published>2010-06-05T07:40:00.000+09:00</published><updated>2010-06-07T20:04:33.038+09:00</updated><title type='text'>恩師：植田和男先生の訃報</title><content type='html'>&lt;p&gt;昨夜、職場からの帰宅途中、一通のメールが届いた。差出人欄には「匿名」と書かれていた。私が前回書いたブログ「うげる」に対するコメントであった。そのメールに書かれていた内容は私に強い衝撃を与えた。ブログ「うげる」に対するコメントではなく、昨年11月に書いた「熊本」に対するコメントであった。その「熊本」の中に書いた恩師、植田和男先生の死を知らせるメールであった。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;以下は、原文のとおり。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;「突然失礼いたします。私は熊本で科学展という事業のお手伝いをしている者です。科学展が今年70回を迎えることから、この10年の功労者の足跡を調べていましたら、あなたのブログに行き当たりました。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　2009年の11月、熊本にいらっしゃった時のブログを見てコメントしました。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;　話題に上がっていましたU先生は、昨年お亡くなりになっています。最後の勤務校は大津高校という学校で、亡くなられた経緯は良く存じませんが、誰に対しても威張らず、いつでも子どものように好奇心一杯で、学究肌の先生でした。先生がフィールドワークされたデータはウェブでも公開されて（今は閉鎖していますが）大学の先生方も参考にされる程でした。先生は、学校が嫌いだったり、勉強が苦手な生徒達を連れてよく岩石採集のフィールドワークに連れて行くなどされていました。生徒とそういう関わり方をずっとされてきた方でした。先生の教職生活の中で、あなたのような感じ方をしていただいた方がいらっしゃったということだけでも救われる思いがいたしました。 」&lt;/p&gt;&lt;p&gt;昨年11月、私は、熊本市に行ったついでに阿蘇にある高森町を訪れた。30年余り前、私が大学生だった頃、植田和男先生はこの高森町に住んでいた。当時、先生はまだ独身であり、一人暮らしをしていた。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;私は高森町駅に車を止め、しばし駅の周りを歩いた。しかし30年前の高森町駅舎がどうであったのか、当時の光景を思い出すことはできなかった。私が思い出すことができたのは、植田先生の恥ずかしそうに笑った笑顔だけであった。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;上に紹介したメールを読むと、植田先生は最晩年まで職場の同僚からはうとんじられていたのではないかと思われる。植田先生はロマンチストであった。常に弱いものの味方であった。きっと孤独であっただろうと思う。しかし植田先生が支えようとした子供たちの心のなかで植田先生は生き続けるに違いない。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;私の中学高校時代の恩師はこれで皆亡くなられた。&lt;/p&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-3992982837958956326?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/3992982837958956326/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=3992982837958956326&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/3992982837958956326'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/3992982837958956326'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2010/06/blog-post.html' title='恩師：植田和男先生の訃報'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-5076363067140253540</id><published>2010-05-11T10:27:00.000+09:00</published><updated>2010-05-11T22:47:29.196+09:00</updated><title type='text'>うげる</title><content type='html'>「うげる」は土佐弁である。「うげる」を東京で使われる言葉ひとつで置き換えることはできない。「久しく会わなかった知人や肉親の帰り・訪問を喜び、その喜びを言葉や態度で表す」ということであるが、こんな表現はなんともまどろこしい。東京では、単に「喜ぶ」という表現を用いるのであろうが、「喜ぶ」では「うげる」が持つニュアンスを伝えることができない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;言葉は文化である。生活を反映する。「うげる」ことも「うげてもらう」ことも、土佐に生れ育った者にとっては生活の一部である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「もんたかえ」も同様。「もんたかえ」という土佐の表現は、直訳すると「戻りましたか」という意味である。しかし、この言葉は、自分の子や知人の帰省（や帰宅）に対する喜びを表す土佐の挨拶である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;何年か前のこと。交通事故で母親をなくした中学・高校時代の友人からメールが届いた。高知空港からであった。そのメールには「『もんたかえ』と言って自分を出迎えてくれる母親の姿がないことが悲しい」と書かれていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私の実家は高知県の土佐市にある。山村である。ここにはまだ両親が住んでいる。私がこの土地を離れ、当時通っていた高校の寮に住むようになったのは私が高校2年生のときであった。しかし中学校から高知市内の私立に通っていた私は、小学校を卒業した直後から既にこの生まれ故郷とは縁が薄くなっていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;しかし、私が年末年始に帰省すると今でも近所の人たちが私をうげてくれる。そして「もんたかえ、幸伸」と言ってくれる。ありがたいことである。&lt;br /&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-5076363067140253540?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/5076363067140253540/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=5076363067140253540&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/5076363067140253540'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/5076363067140253540'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2010/05/blog-post.html' title='うげる'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-700654592887708664</id><published>2010-04-25T14:57:00.000+09:00</published><updated>2010-07-15T09:36:43.346+09:00</updated><title type='text'>医療はサービス業か 3</title><content type='html'>&lt;p&gt;2～3年前のことである。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;30歳代の患者が私の外来を受診した。その患者が私の外来を受診するのははじめてであった。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;カルテを読み、その患者が数ヶ月前に私の科に入院していたことを知った。その患者の担当医はすでに他の病院に転勤していた。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;私がその患者の名を呼ぶと、患者といっしょにその患者の両親も診察室に入ってきた。診察室に入ってくると同時に、その患者の母親が「私の主人は〇〇大学の××学部の△△です。息子も〇〇大学の□□をしております」と私に告げた。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;私は一通りの診察を終えたあと、患者の現在の病状とその後の見通しについて話した。しかし私が話したことについて患者も家族もほとんど関心を示さなかった。なぜこんなに無関心なのだろうと私が不思議に思っていると、患者の母親が突然一方的にしゃべり始めた。入院当時に受けた検査結果について説明してもらいたいということであったが、私には合点がいかなかった。上で述べたように入院からは既に数カ月経過していた。その間、担当医から何の説明も受けなかったのであろうかと思ったのだ。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;患者が受けたといういくつかの検査の結果を探してみた。しかし、いずれの結果についてもカルテには何の記録も残っていなかった。診療用のコンピュータにも、検査結果ばかりでなく担当医が検査をオーダーした記録も見当たらなかった。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;私はそのことを患者に告げた。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;すると、その患者と家族が大声で怒りだした。しかしいくら調べても検査結果がないばかりでなく担当医が検査をオーダーしたという記録もなかった。私はそのことを再度患者に告げた。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;しかし患者も家族もさらに声を荒立てて怒り出すばかりであった。「採血を入院日に2度受けた。2度目の検査の結果はどうなんだ！　退院後にMRIとCTも受けた。△△検査も受けた。検査室まで私が息子に付き添って行ったから間違いない！」と母親がまくしてた。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;私は担当医ではなかった。その患者を診察するのも初めてであった。しかも外来カルテにも入院カルテにもコンピュータにも検査をオーダーした記録がない。検査結果もない。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;診療が数十分間にわたってストップした。もう少し調べてみるので、一旦、診察室を出て待合室で待ってくれるように患者とその家族に告げた。3人は診察室の外に出て行った。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;しかし患者の大声は止むことがなかった。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;「医療費の過剰請求をしやがって！　訴えてやる」と患者が叫ぶ声も何度か聞こえてきた。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;やはり検査結果は見つからなかった。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;患者と患者の家族にもう一度診察室の中に入ってもらった。そしてその旨を告げた。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;患者から出てくる言葉は更にエスカレートしていった。「大学の理事と知り合いなので、その人に言いつけてやる」という言葉も私に投げつけた。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;私の外来を受診する患者は重症患者が多い。そのような患者であっても診察を受ける前に数時間待たなければならない。この患者にそれ以上時間を割いている余裕はなかった。もう一度調べてご自宅に電話しますと患者とその家族に告げて帰宅してもらった。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;診察が終わった後、検査室の台帳を調べてもらった。しかし台帳にその患者の名前はなかった。私はその晩、患者の家に電話をかけた。電話に出たのは母親であった。検査が行われた記録はないと私が何度説明しても母親は頑として受け入れなかった。そして悪口雑言の限りをつくした。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;電話で話した時間は2時間。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;翌日、医事課に頼んで、その患者のレセプトを出してもらった。しかしレセプトには検査の請求記録はなかった。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;私は再度、患者の自宅に電話をかけた。そして、「病院側が過剰請求していると主張するならば領収書を見せてください。病院のレセプトと照合しますから」と母親に告げた。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;「あらっ、私の勘違いだったのかしら」&lt;/p&gt;&lt;p&gt;母親は一言だけこうつぶやいて電話を切った。顔は見えなくとも、その母親がうろたえていたのは声からはっきりとわかった。私が費やした時間と心労、他の患者が失った時間、私の病院の職員が費やした時間に対するねぎらい、感謝、謝罪の言葉は全くなかった。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;この両親は、息子の病気のことは心配でないのだろうか。息子の病気よりもお金のことが大切なのであろうか。電話を切ったあと、私はこの「エリート家族」の不幸な親子関係を憐れんだ。&lt;/p&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-700654592887708664?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/700654592887708664/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=700654592887708664&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/700654592887708664'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/700654592887708664'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2010/04/3.html' title='医療はサービス業か 3'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-4384150641306808326</id><published>2010-04-25T13:09:00.000+09:00</published><updated>2010-04-30T16:53:48.135+09:00</updated><title type='text'>大崎瀬都 「朱い実」 その1</title><content type='html'>何週間か前、私が書いているブログに対するコメント・メールが届いた。差出人は「せつ」となっていた。「せつ」とは一体誰であろうかと思いつつそのメールを開いてみた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そのメールは私のブログに対するコメントではなかった。高校時代の同期生である大崎瀬都からの、私の現住所を知らせてもらいたいという内容であった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;大崎瀬都については以前にも書いたことがある。彼女は高校生の頃から短歌を詠んでいた。いや、もっとずっと前から詠んでいたのかも知れない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;高校時代、彼女の短歌は毎月のように高校生向けの月刊誌に入選作品として掲載されていた。クラスが異なったこともあり、高校在学中に私は彼女を会話を交わしたことがなかったが、彼女と廊下ですれ違う度に私は彼女のみずみずしい感性を心のなかで讃えていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;高校卒業後も彼女と話す機会はなかった。彼女がどこの大学に進学したのかも知らなかった。彼女の話題が高校の同期との間で出ることもなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;彼女が千葉県に住んでいること、彼女が歌集を出したことを聞いたのは10年ほど前。東京で開かれた同窓会の席であった。そのことを聞いた私はその場で彼女に電話をかけた。そしてその歌集を送ってくれないかと頼んだ。彼女と会話を交わしたのはこのときが最初であった。（その後も彼女と話す機会はない。）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;彼女からは間もなく１冊の歌集が届いた。その歌集の表表紙には「海に向かへば」と書かれていた。「海」とは太平洋のことである。私の生まれ故郷である高知県には雄大な太平洋が広がる。彼女も私と同じくその雄大な太平洋と向かい合いながら青春時代を過ごしたのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;この歌集に掲載されていたいくつかの歌は以前すでに紹介した。私自身の思い出と重なる場面が綴られている作品がいくつか掲載されていた。それらの歌に目を通すたびに、私の頭には高知で過ごした青春時代の光景が浮かんでは消え浮かんでは消え、知らぬ間にその記憶の糸をだどる作業に心を奪われた。「海に向かへば」はいまも私の書斎の書棚に立っている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;この歌集の末尾には、ふたつ目の歌集をまとめるのは定年退職後になるだろうと書かれていた。したがって、彼女がこんなにも早くふたつ目の歌集を出したことに驚いた。そのことを彼女への返事のなかに書いた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;しばらくして彼女からまたメールが届いた。退職したため早くふたつ目の歌集をまとめることができたと書かれていた。しかし彼女がなぜ早期退職したのかについては何も記されていなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;彼女が送ってくれたふたつ目の歌集「朱い実」（ながらみ書房）は、今、私の自宅のリビングのテーブルの上に置いている。１日に１～２回、パラパラとページをめくる。末尾には「あとがき」として次のような記述がある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「本歌集には、最近の作品は含めず330首を収めた。この時期、今は特別支援学校と名前を変えた養護学校に勤務し、重い疾患を持つ子どもたちの教育に携わっていた。少しは人の役に立っているという満足感よりも、自らの無力さや子どもたちを襲う運命の過酷さを思い知ることのほうが多かった。また体力精神的に仕事をすることが辛くなり、自分で自分を励ましつつ日々を凌いでいた。そのような朝夕のなかにもささやかな愉しみや喜びがあり、短歌を作り続けることができたことを幸いに思っている。」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;この「朱い実」はまだ流し読みしかしていない。しかし彼女は重い疾患を持つ子どもたちの人生の意味や価値、そして自分自身の人生の意味について希望を持ち得ないまま退職したのではないかと私は危惧した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;確かに、誰であろうと自分が生きていくことの意義を明確に認識することは難しい。生の意義については、誰もが毎日、自問自答しながら生きているのが実情であろう。ましてや重度の障害を持つ教え子たちの過酷な運命を意義あるものと感じることはもっと困難かもしれない。しかし誰であろうと自分の死を受け入れることも難しい。重度の障害があってもなくても・・・。生あるうちは生きることに意義を見いだし、死を迎えても平常心を失わずその死を受け入れる。生も死も自分自身で決定することができない以上、私たちにはこれ以上のことはできない。しかし、自らの生も死もともに積極的に肯定することはほとんどの人にとって不可能なことである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「朱い実」に掲載されている短歌のいくつかについては改めて紹介する機会があると思う。その際、もう一度、彼女の人生観について言及する機会があるであろう。もし彼女が三つ目の歌集を出すことがあれば、その歌集のなかでは、彼女自身のそれまでの人生を讃えるとともに、重度の障害を持つかつての教え子たちが生きていく意義についても高らかに詠ってもらいたいと願う。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-4384150641306808326?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/4384150641306808326/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=4384150641306808326&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/4384150641306808326'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/4384150641306808326'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2010/04/1.html' title='大崎瀬都 「朱い実」 その1'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-3122022899729775710</id><published>2010-04-11T10:40:00.000+09:00</published><updated>2010-04-13T18:18:04.913+09:00</updated><title type='text'>医療はサービス業か 2</title><content type='html'>もう数年前のことになるであろうか。12月30日（晦日）。その日、私は院長代理当直を務めていた。病院は年末年始の休診期間に入っていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;午後4時過ぎに病院から電話がかかってきた。電話をかけてきたのは救急外来のナースであった。その日の朝８時頃に救急外来を受診した30歳代の耳鼻科の患者がずっと大騒ぎを続けていて大変困っているが、どのように対応すればいいのか、指示を仰ぎたいという内容であった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;その患者は、「喧嘩をして頭を殴られた。年末年始は病院に入院させくれ」と言ってきかないという。耳鼻科の当直医ばかりでなく皮膚科医や脳神経外科医などもその患者を診察し入院の必要はないと診断したのにもかかわらず帰宅しようとはせず、入院させろと大騒ぎをしていて、他の救急患者の診療に多大な支障が生じていると、電話をかけてきたナースは困惑していた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;その患者は私と知り合いであるとも言っているということであった。確かに私はその患者を知っていた。その数カ月前に私の手術を受けることになっていた。しかし手術前の検査日に受診しなかった。こちらから患者の自宅に電話をしたら連絡はつかなかった。その後もその患者からは何の連絡もなかった。当然、手術も受けなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私は、その患者を知っているが私と特別な関係ではないと説明し、ガードマンを呼ぶようにと言った。しかし既にガードマンは呼んだという。ガードマンでは対応ができないと言われた。ならば警察署に通報するようにと私は指示をした。そして電話を切った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;その後、１時間ほどして、再度、電話がかかってきた。まだ警察には通報していないということであった。しかし、警察を呼ぶようにと私が指示したということは患者に言ったらしい。患者は「じゃあ、帰ってやる」と言い始めたということであった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ところが、その患者は、今度は「帰宅してやるから救急車を呼べ」と救急外来で騒ぎ始めた。ナースが拒否すると「じゃあ、自分で呼ぶ」と言って救急隊を呼んだという。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;午後６時過ぎになってまた救急外来から電話がかかってきた。その患者が救急外来で騒ぎまわっている姿を見て、呼び出しを受けた救急隊員が怒ってしまった。そしてその救急隊員が警察署に通報した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;警官が救急外来にやってきてやっとその患者は静かになった。結局、その患者の自宅に電話をかけ、母親を呼んだ。そして母親がその患者を連れに救急外来を訪れた。患者は母親と一緒に帰宅していった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ところが、その患者は帰宅時、その日の診療費を一切支払わなかった。「第三者行為による怪我であるから支払う必要はない」と言ったという。逆である。第三者行為による怪我の場合には、患者は病院に対して医療費の全額を支払わなければならないのだ。つまり保険は効かない。そしてその医療費は被害者が加害者に請求しなければならない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;この患者はその日の朝から夕方までずっと救急外来での診療行為を妨害した。そのうえに、診察も受けている。このような不条理が許されていいものであろうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;調べたところ、その患者は私の外来ばかりでなく他の診療科も過去に何度か受診していた。しかし一度も医療費を支払っていなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;こんな出来事は、今の病院では日常茶飯事である。これも医療崩壊のひとつであろう。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-3122022899729775710?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/3122022899729775710/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=3122022899729775710&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/3122022899729775710'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/3122022899729775710'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2010/04/2.html' title='医療はサービス業か 2'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-7299620365672352907</id><published>2010-04-05T17:46:00.000+09:00</published><updated>2010-04-06T08:15:15.379+09:00</updated><title type='text'>女性のおしゃれ</title><content type='html'>私は髪を染めた女性が好きではない。いや、髪を黄色く染めた女性を見ると嫌悪感を催すと表現した方が、より適切かもしれない。以前と比べると最近は髪を真黄色に染めた女性は減った。しかし茶色く髪を染めている女性はむしろ増えているかもしれない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私には若い女性が髪を茶色く染める心理がよく理解できない。なぜ美しい黒髪をわざわざ染めて艶のない髪にしてしまうのであろうか。なぜ白髪のない美しい黒髪の艶をもっと出そうとしないのか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;かつて、ある先輩が、「あれは毛唐に対する劣等感だ！」と吐き捨てるように言ったのを今でも時折思い出す。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;女性が時間とお金をかけてわざわざ髪を茶色く染める最も大きな理由は、髪を茶色く染めた方がより美しくなると彼女たち自身が思っているからであろう。自分の髪が黒いことに劣等感を感じていることが一番大きな理由ではないであろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;しかし、髪を染めた女性を美しいと私は感じたことがない。髪を染めた女性のなかにも顔立ちの整った美人がいないわけではないが、それらの女性ももし髪を染めていなければもっと美しいだろうと思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;話がとぶ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私は1993年から1995年まで2年間、ドイツのミュンヘンに留学した。その2年間、私が精神的に最も必要としたのは自分自身のアイデンティティーを失わないことであった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私は男であるから、自分の髪を茶色に染めることはないが、もし私が女性であったとしたらどうであったであろう。ドイツ人の金髪に近い色に自分の髪を染めたであろうか。考えられないことである。自分の黒い髪を失うことは自分の日本人としてのアイデンティティーを失うことである。アイデンティティーを失うことは自分の精神の芯を失うことである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「ユダヤ教を信じるものがユダヤ人である」という表現はよく耳にする。この逆説的な表現を私は長い間理解することができなかった。この表現の意味を自分なりに理解できるようになったのは留学から戻ったあとであった。ユダヤ人は長きにわたって自分の国を持たなかった。自分の国を失ったユダヤ人にとって、ユダヤ教を信じ護ることが自らのアイデンティティーを失わないための唯一の選択肢であったのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;話を戻す。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;日本で生まれ日本で暮す日本人であれば「アイデンティティー」などといった大げさなことに悩む必要はないであろう。しかし、自分の個性は何なのかとか自分の美しさはどこにあるのかといったことは考えることがあるのではないだろうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;もしこれらの事柄についてひとりひとりの女性が真剣に考えているならば、これほど多くの若い女性が髪を茶色く染めることになるはずがないと私は思う。日本女性として身につけるべき美しさは髪を染めることによって得られるものではない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;この頃、私は化粧を落とした女性の顔を見るのが怖くなった。素顔はあまりにも醜い。眉毛もないことが多い。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;若い女性が美しくなる秘訣は心を磨くことではないだろうか。外見だけをいくら飾り立てても美しく見えるわけではない。化粧では小皺や小さなシミを隠せても心の醜さは隠せない。電車の中で化粧をしている女性を見ればそれがよくわかるであろう。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-7299620365672352907?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/7299620365672352907/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=7299620365672352907&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/7299620365672352907'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/7299620365672352907'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2010/04/blog-post.html' title='女性のおしゃれ'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-916033033830558629</id><published>2010-03-27T07:48:00.000+09:00</published><updated>2010-04-02T10:40:18.772+09:00</updated><title type='text'>医療はサービス業か 1</title><content type='html'>このテーマはこのブログに書くべきではないかもしれない。私のもうひとつのブログである「医療と私」に書くべき内容であるように思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私は毎週金曜日の午前、私の勤務する病院の初診を担当している。その外来をある患者が受診した。２～３か月ぶりであった。症状が軽快したため終診としていた患者であった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;その患者を呼ぼうとしてカルテを開いたとき、私ははっとした。その患者は症状が再発したため、すでに数日前に当科を受診していた。時間外受診であった。その際には若い医師が診察していた。しかし、その患者はその若い医師の診察内容に不満があると苦情を申し立て、結局、医療費を払わないまま帰宅したことがカルテに記載されていた。その患者が請求されていた医療費は再診料だけであった。その患者は時間外に私の病院を受診して、担当医の診察に満足できないからという理由で再診料の支払いすら拒んだのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私は暗澹とした気持ちに囚われた。私はその患者を診察室に呼び込む前に数十秒間瞑想した。その後、勇気を振り絞ってその患者の名を呼んだ。以前その患者が通院してきていた頃、私は常にその患者の治療に熱意を持って臨んだ。しかしその日はどうしても気分が乗らなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;なぜあのように暗澹とした気分に陥ったのであろうか。私は、診療が終わった後、その理由を考えた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私が不愉快に思った最大の理由は、その患者が医療従事者であったということであった。その患者が勤務する職場も保険診療を行っている。つまりその患者は自分の職場では保険診療を提供する側にいるのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;保険診療では診療行為のひとつひとつに対して細かくコストが定められている。診療を提供する側が医療費を設定する自由は認められていない。経験豊富な医師が診察しても研修医が診察してもその診察行為に対する医療費に差はない。患者は担当医が誰であろうと、またその医師がどのような医療を行おうと、その結果や満足度がどうであっても定められた医療費を支払わなければならない。国民皆保険とはそのようなものである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;その患者は、私が勤務する病院では保険診療を行っていることを知っている。しかも自分自身が保険診療を行っている医療従事者である。しかるに自分が患者として受診した病院では国民皆保険の原則を踏みにじった。しかも緊急性のない疾患で診療時間外に病院を受診した上に。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ナースの話によると、数日前にその患者を診察した若い医師は、その患者のために私の外来の診察予約をとることに強く抵抗したという。しかしナースの強い説得に応じて、やむをえず私の外来に予約を入れた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;その若い医師は生真面目である。彼の診療態度が悪かったとは思えない。事実、患者自身も診療態度が悪かったとは言っていない。診療内容に不満があると訴えたのだ。しかし、その患者の症状は「不定愁訴」としか言いようのないものばかりであった。経験豊富な医師であってもその患者の診察には難渋するであろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;自分自身が医療従事者であり、かつ自分の病状が緊急の治療を必要とするものではないということを知っているのにもかかわらずその患者は診療時間外に私の病院を受診した。そして当直医の診療内容に不満があると言って再診料すら支払わなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;その患者は、私の診療に対しても納得いかないと主張して、再度、医療費を支払わずに帰っていくのであろうか。その患者の診察に携わったナースや検査技師などの労力に対する対価を自分が勝手に決めるのであろうか。診察中、その患者に目を向けながらも、私はその患者に対する不信感を隠せない自分自身の心をじっと見つめていた。&lt;br /&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-916033033830558629?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/916033033830558629/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=916033033830558629&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/916033033830558629'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/916033033830558629'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2010/03/blog-post_27.html' title='医療はサービス業か 1'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-4491688159649516305</id><published>2010-03-20T10:28:00.000+09:00</published><updated>2010-03-20T11:10:20.832+09:00</updated><title type='text'>卒業式</title><content type='html'>きょうは土曜日であるが、息子は朝早く、学校に出かけていった。きょうの午前中、息子が通う小学校の卒業式があるということであった。５年生になった息子の同級生全員がこの卒業式に出席して卒業生を見送る。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私は、自分自身が小学校を卒業するときの卒業式のことをほとんど憶えていない。ただ、「仰げば尊し」を歌わなかったということだけは鮮明に記憶している。この歌は、当時、卒業式で歌われる定番ともいえる曲であった。この曲のなかの「わが師の恩」という部分を教員が嫌ったのが、私たちが「仰げば尊し」が選ばれない理由であった。このことは担任の先生から直接聞いたように思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私は地元の中学校には通わなかった。中学校受験をして高知市内にある私立に進学した。そこで６年間一貫教育を受けた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;小学校の卒業式と中学校への入学試験のどちらが先であったのか記憶がないが、小学校を卒業するにあたってさほどの感慨はなかった。だから、卒業式の日には、すでに入学試験に合格していたのかもしれない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;小学校を卒業したあと、私は小学校の同級生とは全く交流がなくなった。私ばかりではない。私と同じ中学校に進学した他の２名も同じであった。そして別の私立の中学校に進学した２名も。つまり、地元の中学校に進学しなかった私を含む５名全員が、小学校の同期生との接触が中学校進学後とだえてしまった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「私立の中学校に進学した同期生は同窓会に招かない」というのは地元の中学校の不文律であったらしい。私の姉は地元の中学校に通ったが、やはり私立の中学校に進学した同期生は同窓会に招かないということであった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私と同じ中学校に進学したひとりの同期生（女性）は私の又従兄弟にあたった。彼女は、小学校の同期生のひとりに、なぜ私たちを同窓会に招いてくれないのかを尋ねたという。帰ってきた返事は、「だって、生意気じゃない」というものであったと、彼女から聞かされた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ところが、「だって、生意気じゃない」と答えた小学校の同期生も、自分の子は私立の中学校に進学させようと必死になっていた。そして私と同じ中学校に進学させた。その子は一流の国立大学を卒業した。その同期生は自分の子を近所に自慢して回った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;話を戻す。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私の息子が通う小学校では、１クラスが40人編成である。この40人のうち、7人が中学校への進学を拒否されるという。もちろん、このなかにはもっとレベルの高い中学校に進学する子供も含まれるので、7人全員が不幸というわけではない。しかし、自ら希望して他の中学校を希望する子供が少なかった場合には、成績下位のものから順番に落とされていく。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;きょうの朝、息子が卒業式に出席することを聞いた際に私の頭をよぎったのは、それらの切り捨てられていく６年生たちのことであった。彼らは小学校に入学したときは「勝ち組」であった。しかし、６年後のきょう、彼らは「負け組」として母校を去っていく。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;彼らの人生は長い。彼らのこれからの長い人生を思えば、この挫折はほんの小さな出来事にしかすぎない。私はそう思う。でも、この挫折が小さなものであったと彼らが自ら納得できるようになるまでは、きっと数十年を要するに違いない。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-4491688159649516305?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/4491688159649516305/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=4491688159649516305&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/4491688159649516305'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/4491688159649516305'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2010/03/blog-post.html' title='卒業式'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-3176944026351485394</id><published>2010-02-12T14:52:00.012+09:00</published><updated>2010-02-12T18:15:19.524+09:00</updated><title type='text'>修学旅行</title><content type='html'>&lt;a onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}" href="http://3.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/S3T8kxFxEEI/AAAAAAAAAj0/ZiAncoaovYs/s1600-h/image.jpg"&gt;&lt;img style="margin: 0pt 10px 10px 0pt; float: left; cursor: pointer; width: 400px; height: 225px;" src="http://3.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/S3T8kxFxEEI/AAAAAAAAAj0/ZiAncoaovYs/s400/image.jpg" alt="" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5437248358726045762" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}" href="http://3.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/S3T4iaffO4I/AAAAAAAAAjs/NQj3TVLYp5M/s1600-h/201002112141000.jpg"&gt;&lt;img style="margin: 0pt 10px 10px 0pt; float: left; cursor: pointer; width: 400px; height: 225px;" src="http://3.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/S3T4iaffO4I/AAAAAAAAAjs/NQj3TVLYp5M/s400/201002112141000.jpg" alt="" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5437243920253664130" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;昨日、祐人から４枚の白黒写真がメールで送られてきた。うち２枚は修学旅行ででかけてきた東京（一枚は日比谷公園で、もう一枚は靖国神社で撮影）で撮影したものであった。その２枚には写真を送ってきた友人も写っている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私が高校生だった頃、私の高校では修学旅行先が３つあった。九州、信州、そして関東であった。旅行先は各人が自由に決められた。私は関東を選択した。修学旅行は高校１年が終わった春休みに行くことになっていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;自分自身がこんなにも長く東京を中心とする関東に住むことになるとは、当時、夢にも思わなかった。その後、私がこの修学旅行のことを思い出すたびに悔やんだのは関東を修学旅行先に選んだことであった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;旅行のルートは正確に憶えていない。ただ、小田原辺りから北に向かって上ったことは確かである。軽井沢で一泊した後、私たちは最後の訪問地として東京を訪れた。片田舎から出てきた私は、東京の喧噪と排気ガスのすごさには驚かされた。私たちはお茶の水の学生会館に宿泊した。この建物はもうない。今の順天堂医院が建っているあたりにあったように記憶している。丸一日の自由行動が許された日に撮影したのが上述した２枚の写真であった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;自由行動は許されたものの、東京の中をどうやって移動すればいいのか、私たちにはわからなかった。地下鉄の乗り方すら知らなかった。私たちは最も安全な移動方法を選択した。歩くことにしたのだ。私たちは、いろいろなところに立ち寄りながら、お茶の水から日比谷公園まで歩いた。帰りも歩きであった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;途中、洗面所を使うために一度地下鉄の乗り口まで降りていったことがある。違う出口から出たところ、その出口が入り口とは道路を隔てて反対側にあることに私たちは気づかなかった。そのため、また元の方向に向かって歩いていた。そのことに気づいたのは、数分以上、経ってからのことであった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ナイフとフォークを初めて握ったのもこの修学旅行が初めてであった。そのときまで私は箸以外のものを使ったことがなかった。どうやってご飯（ライス）をすくって食べればいいのか、肉はどのようにして切るのかといったことも全くわからず、私は途方に暮れた。いっしょに食事をしたほとんどの者が緊張でこちんこちんになっていた。私のそばに座っていた一人がナイフとフォークの持ち方扱い方を教えてくれた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;修学旅行から帰った後、世界史を教えてくれていた恩師から、食事は楽しんで食べるものであると何度か指導された。しかし、私たちにそのような心の余裕があろうはずはなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;この修学旅行からすでに35年が経過した。東京に住んだ期間も、生まれ故郷である高知に住んだ期間よりも長くなった。しかし私は今も変わらず田舎者のままである。友人たちも変わらない。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-3176944026351485394?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/3176944026351485394/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=3176944026351485394&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/3176944026351485394'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/3176944026351485394'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2010/02/blog-post.html' title='修学旅行'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://3.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/S3T8kxFxEEI/AAAAAAAAAj0/ZiAncoaovYs/s72-c/image.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-5343727935832877581</id><published>2009-12-07T16:23:00.000+09:00</published><updated>2009-12-08T16:06:41.092+09:00</updated><title type='text'>服装</title><content type='html'>７年ほど前に、現在住んでいる家に引っ越してきた。留学から戻って６～７年ほどは家内の実家に住まわせてもらっていた。つまり、世に言う「マスオ」さんの生活を送っていたのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;息子が２歳になったこともあり、引っ越しを機に車を買うことにした。８年間以上車を持っていなかった私は、車のことはまるでわからない。そこで外車、日本車を問わずさまざまなディーラーに出かけていって車を見せてもらった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そんな時期、ある日曜日に芝でフォークスワーゲンのBeatleの試乗会が開かれると聞き、家内と息子を連れて試乗会場に出かけていった。そこには何台かのBeatleが停められていた。係員に試乗させてもらいたい旨を話した。しかしはっきりとした返事が返ってこない。私たちは順番が来るのを待った。そんなとき、一人の男性の担当者が私たちのところに歩み寄ってきて次のように私たちに告げた。「車を買うところで試乗してください。」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私たちは即座には意味を理解しかねた。私たちは、確かにビートルを買おうという強い気持ちを持っていたわけではなかった。その様子を係員たちに察知されたのかとも思った。しかし、買わないと決めていたわけでもない。そのときはまだ全く白紙の状態であった。ただ、私たちは追い払われたのだということは何となくわかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「買うのでなければ試乗させない」というのであれば試乗させてくれるように無理に頼むわけにはいかない。私たちは試乗させてもらえるフォークスワーゲンのディーラーがないかとその担当者に尋ねた。その担当者は池袋にあるディーラーを紹介してくれた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私たちは地下鉄を乗り継いでそのディーラーに向かった。私たちが地下鉄を降りて紹介してもらったディーラーに電話をすると、担当者が車で私たちを迎えにきてくれた。そして「お帰りはどちらですか」と尋ねた。私たちがJR池袋駅に出たいと話すと、帰りはそこまで送り届けてくれるとのことであった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そのディーラーではいくつかの車種を見せてもらった。Golfにも試乗させてもらった。（Beatleは置いていなかった。）ただ、どの車もあまり気に入らなかった。私たちのその様子を見てかどうか、私たちが帰ろうとすると、「あそこにバス停がありますので、そこでバスに乗ってください」とその担当者はそっけなく私たちに告げた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私たちは「えっ」と思ったが、何も言わず、バス停に向かった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;帰宅途中、家内は、「もうフォークスワーゲンの車は絶対買わない」とつぶやいた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私には、フォークスワーゲンの人たちの冷たい対応の理由がわかった。服装であった。私たちは、誰が見ても金を持っているようには見えないような服装をしていた。私も、家内も、そして息子も。私たちの服装を見て、金のない客に用はないと、フォークスワーゲンのディーラーの人たちは思ったのであろう。服装がその人を判断す一つの指標となることは至極尤もである。実際、私たちは金持ちではない。フォークスワーゲンに乗ることが富の証であるとするならば、私たちはそれにふさわしいとはいえない。したがって私は彼らに恨みはない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;この出来事は私にとっていい勉強になった。私は、世の中というものがどういうものかということについて、その一端を見たような気がした。ただし、私たちが貧乏ではないように見せようと翌日からドレスアップしてディーラー出かけようという気は起きなかった。私たちは、その後もずっとみすぼらしい格好のまま、あっちこっちのディーラーを回った。いいか悪いかは別にして、当時も今も私たちにはほとんど見栄というものがない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;（余談であるが、私の息子は穴があいても気にせずその靴を履き続ける。先日、両親が上京してきた際にその靴を見て、父親が「お医者さんの息子がこんな靴を履いているというのは恥ずかしいから、どうぞやめて」と息子に言ったということを後で家内から聞かされた。家内は、単に笑っているだけであった。息子はその破れた靴をまだ履き続けている。つい昨日もその靴を履いて出かけた。服も然り。先週の土曜日には、塾の先生に、また同じ服を着てきているとからかわれたと息子から聞かされた。息子はそんなことは全く気にならないらしい。私も私で、「来週の土曜日も同じ服で塾に行けばどう？」と息子をからかった。息子が幼い頃、息子に着せた服はほとんどバザーで買ってきた古着であった。一着１０円から１５０円程度のものばかり。スキーウェアーも３０年以上昔のものではないかと思われる知人のお下がりをずっと着せて、毎年、スキーツアーに行かせている。息子はそれらをいやがらずに着る。他人からいろいろのことを言われても全く無頓着である。）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;顔を合わすなり、「私の主人はどこどこ大学の教授であり、私の息子はどこどこ大学の専任講師をしています」などと一人勝手に話し始める婦人がいる。私は「そうですか」としか答えない。私は、学歴、地位、財産などといったものでその人の価値を測ったりはしない。そんなことでどんなに自慢されても私の心には何も響かない。学歴、地位、財産といったものを自慢する人は、逆にそれらに劣等感を抱いているのではないのかとすら思える。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;学歴にこだわる人は学歴を得ようとして努力するであろう。努力すればそれなりの成果は得られるものだ。しかし自分が目標とした学歴を得られたとしても世の中には上には上がいる。その人たちを見れば羨ましく思うであろう。逆に自分よりも学歴が劣る人に対しては侮蔑の感情を抱くに違いない。お金に関しても同様である。学歴、地位、財産などというものを他人との比較という視点から捉えると際限がなくなる。相対的な比較の世界でしか生きていくことができない人は、生涯、心が満たされることはない。その不満は顔に表れる。その人の心構えやそれまで生きてきた人生はその人の顔にそのまま表れるものだ。態度にも表れる。自分よりの上の人に対しては卑屈な態度をとり、自分よりも下の人たちに対しては横柄になる。何のことはない。これは単に自分が自分自身に弄ばれているだけのことである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;さらに話は飛ぶが、私の父親の最終学歴は青年学校（今の中学校）である。母親の最終学歴も中学校。父親も母親も高校には行っていない。戦争と貧困という環境が進学を許さなかったのだ。しかし、自分たちの置かれた恵まれない環境のなかで、これまで一度も他人から後ろ指を指されることもなく正直にまっすぐ生きてきた両親は、たとえ学歴も地位も財産もなかろうと、それだけで十分立派ではないかと息子である私は思っている。これ以上、何を求めるのか。自分たちが歩んできた人生を振り返り、自らを褒めてあげたい気持ちを両親が持てるかどうかが最も大切なことであろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;高知の実家に帰ると、私は近所に住む90歳を過ぎた老婆からよくこんなことを言われる。「あんたんくが今えい生活をできるのは、おじいさんが結構な人とじゃったけえよ。」そして私の祖父との思い出を語り始める。私の祖父が保証人になっていたためにその人の多額の借金を背負うことがあったが、私の祖父がその借金を誠実に返済していったことを私は何度もその老婆から聞かされた。祖父が莫大な借財を背負った当時、祖父にたかられることを心配して、近所の人たちは我が家に誰も近づこうとはしなかったという。父親も似たことを近所の人たちから言われるらしい。「おんしゃんくが今えい生活をしゆうがは、おんしゃらあがだれっちゃあに迷惑をかけんずつきたからえや」と。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ただ、見栄を張ろうとしない私の家族の生き方はエネルギーに乏しい。向上心も劣るかもしれない。虚栄心は向上心の源でもあるのだろうから。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-5343727935832877581?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/5343727935832877581/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=5343727935832877581&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/5343727935832877581'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/5343727935832877581'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2009/12/blog-post_07.html' title='服装'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-7589611749262869719</id><published>2009-12-01T10:51:00.000+09:00</published><updated>2009-12-05T02:37:10.684+09:00</updated><title type='text'>祖父　その２</title><content type='html'>私が物心ついた頃、祖父は既にびっこを引きながら歩いていた。特に右脚が不自由であったように記憶している。O脚でよたよたと歩いていた。ただし杖を必要とはしなかった。自転車に乗ることもできた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;祖父がなぜ膝を痛めたのかについてこれまで一度も家族の間で話が出ることはなかった。幼い頃からなぜだろうと私も思っていたが、祖父にも家族の誰にも尋ねなかった。祖父が自分の脚が不自由であることを難儀がっているのを見た記憶もない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;つい先日、帰省して両親と雑談している最中、母親が突然、父親に向かって、祖父はなぜ脚が不自由であったのかと尋ねた。母親も知らなかったのだ。母親が我が家に嫁いできたときには既に祖父の膝は歪んでいたのであろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;父親は、「重いものを持ったからえや」と答えた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;祖父は若い頃、ある人の借金の保証人となっていた。その人が突然亡くなった。このことによって祖父は莫大な借金の返済を肩代わりしなければならなくなった。近所の人たちは皆、「これでヨイ（私の祖父の愛称）も終わりじゃねや」と噂したという。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;借金を返済するために祖父は朝早くから深夜まで休まず働き続けた。焼いた木炭を自宅に運ぶために夜中に人里離れた寂しい山に出向くこともたびたびあったらしい。自分の身体の何倍ものカサのある荷物を背負って夜中に狭い山道を下ってきた。時折、人が叫ぶような不気味な声が聞こえてきたこともあるという。「ほー、ほー」という声が。怖かったにちがいない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;祖父は自分の身体の何倍もある荷物をいつも背中に負って運んでいた。だからその姿を見ると遠くからでもそれが私の祖父であることが一目瞭然であったという。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;祖父が脚を痛めたのはこの重労働が原因であった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;祖父の身体が不自由であることは父親にも影響を与えた。祖父が脚を痛めると、その作業は父親が代わってしなければならなくなった。祖父は父親が17歳の時に父親に家督を譲った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;父親はふんどしひとつでキンマを引いた。若い女性とすれ違うと、とても恥ずかしかったと父はその当時の思い出を語る。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;父親はまた、農家から栗やエンドウ豆を買い集めてそれを出荷する仕事もしていたという。夏のある晩、120キロもある栗の荷を自転車で引きながら山里離れた道を歩いているとき、突然、大雨が降り始め、雷も鳴り始めた。しかし重い荷物を引いている父親はゆっくりゆっくりとしか進めない。周囲には街灯もない。寂しい山道を大雨に打たれびしょびしょに塗れながら一歩一歩必死で自転車を押したという。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私が幼い頃、我が家にはアルミでできた大きな弁当箱があった。片手では持てないほどの大きさであった。深さも７センチほどあったであろうか。父親が野良仕事にでかけるときには、その弁当箱にぎっしりとご飯を詰めた。味付けは塩。それに沢庵が載っているだけであった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私が小学校に持っていく弁当も大同小異であった。おかずは毎日同じ。「鯛でんぶ」と呼ばれていた一袋10円の甘い粉末だけがご飯の上に載せられていた。鯛でんぷに飽きた私はよく母親に愚痴をこぼした。しかし別のおかずが載ることはなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;母親もよく働いた。母親は病気を患うまでゆっくりとくつろぐことは片時もなかった。姑と嫁とはあまり仲が良くないものであるが、私の祖母は近所で「うちのミッチャン（私の母の愛称）は毎日ずっと走りゆうで」と嫁を褒めていたという。確かに私が母親と祖母とが言い争うのを見たことは一度もない。祖母が脳卒中で倒れたときも母親は自宅で献身的に祖母の介護をした。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;当時、我が家は藁葺きで、かつ古く、いつ倒れるともしれなかった。家にはよく蛇が入ってきた。ムカデに噛まれることもよくあった。そんな家に住むことしかできないことは父親にとっても家族の誰にとっても恥ずかしいことであった。倹約に倹約を重ね、睡眠時間を削って働き、父親は家を新築するお金を蓄えた。いよいよ家を建てることになり少しずつ買い集めた材木が高く積み上げられていくのを見て、祖母は新しい家ができるのを心待ちにしていた。しかしその家の落成を見ることもなく、祖母は寒さの厳しい日の午後に脳卒中で倒れ、２週間後に息を引き取った。祖母が亡くなったのは私が小学校２年生であった年の12月30日であった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;貧困から抜け出すこと。これが祖父母と両親の大きな目標であった。家を建てることはこの貧困からの脱出のひとつの象徴的な出来事になるはずであった。しかし祖母はそれを見ずして亡くなった。祖母が亡くなったとき、母親は祖母を不憫に感じて涙が止まらなかったという。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;新しい家が完成し引っ越しするまで、母親は毎晩深夜まで夜なべ仕事としてむしろを編んでいた。いつ母が床につくのか私は全く知らなかった。私が目覚めたときにはいつも母親は既に朝食の支度を終えていた。朝食が済むと近くの川まで洗濯にでかけた。冬、川の水は冷たい。手が凍える。それでも思い洗濯物をかかえて母親は川と自宅とを毎日何往復もし、山のような洗濯物を片づけた。冬になると母親の手はあかぎれと霜焼けで鳥の足のようであった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「貧困」がマスコミを賑わせている。しかし現在の貧困など本当の貧困といえるのであろうか。私の両親は若い頃、もっとずっと貧しい生活に耐えた。そして窮乏の中でもできるかぎり他人に迷惑をかけないようにと心を砕きながら生きた。借金をしたこともない。ローンを組んだこともない。家を建てたときにもその費用は現金で一括で支払ったという。藁葺きの、いつ倒れるともしれない家に住み、倹約に倹約を重ねて、家を新築する費用を現金で一括払いできるようになるまで両親は近所の人たちからの嘲笑に耐えた。両親はこの家に今も住む。この家は、両親の終の住み処となるはずだ。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-7589611749262869719?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/7589611749262869719/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=7589611749262869719&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/7589611749262869719'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/7589611749262869719'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2009/12/blog-post.html' title='祖父　その２'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-5654758918561497895</id><published>2009-11-28T15:18:00.000+09:00</published><updated>2009-12-01T10:33:43.041+09:00</updated><title type='text'>墓参</title><content type='html'>きょうの昼、先祖の墓参りをした。我が家の墓地は実家の裏山にある。ほとんど土葬である。若くして亡くなった祖父の3人の墓地は離れた場所にあったが、数年前に遺骨を裏山に埋葬し治した。この3人はまとめられて埋葬されている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私がひとつひとつの石塔の前かがむと、傍にいた父親が一人一人について説明してくれた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;父親は5人兄弟の末っ子であった。一人の兄と一人の姉は私が生れたとき既に亡くなっており、我が家の墓地に埋葬されていた。兄は戦死であった。終戦の一ヶ月前にフィリピンのレイテ島で戦死した。父親のこの兄は私にとって伯父にあたるが、この伯父は生れたばかりの幼子を残して戦地に出向いた。残された伯父の妻とその幼子は、その後、貧困の中で一生を終えた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;（伯父が出征したのは我が子が生れて32日目であった。高知駅で親族全員が見送った。汽車が動き出しても伯父は顔が見えなくなるまで帽子を持った手を振り続けたという。母と子はその後、一回だけ広島県福山市の駐屯地を訪ねた。そこで伯父は一晩だけ息子と一緒に寝た。それが父子が顔を合わした最後となった。間もなく伯父は朝鮮に出征した。母子は朝鮮まで面会に出かけようとしていた。その矢先に今度はフィリピンに出兵。そして安否がわからなくなった。伯父がレイテ島で戦死したことが知らされたのはずっと後のことであった。）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;もう一人の夭逝した姉の名は米尾といった。20歳で亡くなった。結核であった。発病後、死ぬまでの間、姉（私の伯母）は自宅の牛小屋の側の小部屋で養生したという。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;伯母が息を引き取る直前、伯母は胸水が溜まって苦しんだ。胸水を抜くと死ぬと医師に言われていたが、あまりに伯母が苦しみ胸水を抜いてくれるようにと懇願する姿を見かねた私の祖父（米尾の父親）は、伯母の死を覚悟で胸水を抜いてくれるように医師に依頼したという。そして「気丈にしていなくてはいけないから」と言って酒を飲み始めた。伯母はほどなく息を引き取った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;伯母が亡くなったことを聞いた近所の方が駆けつけてきてくれた。そして酔っている祖父に向かって伯母の遺体の処理を手伝おうかと申し出てくれた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;当時、結核は忌み嫌われていた。伯母が闘病中は誰も我が家に近づこうとはしなかったという。そんな時期に結核で亡くなった伯母の遺体に触れようとする人などいようはずはない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;もちろん、その申し出は丁重に辞退した。しかしその方の親切は今も父親は忘れないと言う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;伯母は土葬であったのであろう。しかし伯母の遺品はことごとく自宅の庭で燃やした。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私の祖父は生前、何一つ愚痴を言ったことはなかった。自分の息子と娘の死は私の祖父にとってとてもつらい出来事であったに違いないが、その不幸な出来事についても祖父から聞かされたことはなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;伯母・米尾が亡くなって70年以上経った。祖父が亡くなってからも既に30年近く経つ。これほど時間が経って初めて父親が話してくれた伯父・伯母の小さな思い出話である。父親が亡くなれば、裏山の墓地で父親からこの話を聞かされたことが私にとって忘れることのできない父の思い出となるであろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;戦死した伯父の遺影も結核で亡くなった伯母の遺影も、まだ実家の仏壇に掲げられている。その傍に私の祖父母つまり彼らの両親の遺影も一緒に飾られている。４人とも同じ墓地に眠る。&lt;br /&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-5654758918561497895?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/5654758918561497895/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=5654758918561497895&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/5654758918561497895'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/5654758918561497895'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2009/11/blog-post_1796.html' title='墓参'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-3434939504117721248</id><published>2009-11-28T10:37:00.000+09:00</published><updated>2009-11-28T17:25:17.160+09:00</updated><title type='text'>帰省</title><content type='html'>今月の25日から27日まで徳島市で学会が開かれた、その学会を利用して高知の実家に帰省した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;徳島駅前から高知駅前まではバスで2時間40分。途中、渋滞に巻き込まれることもなく、予定通り高知駅に着いた。高知駅までは父親が迎えに来てくれることになっていた。高知駅到着は午後6時20分。すでに空は真っ暗であった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;バスから降り立った私は、高知駅が様変わりしていることに驚かされた。私の記憶の中にある古ぼけた高知駅の建物は跡形もなく、近代的な鉄筋の建物が建っていた。駅のターミナルも整備され、駅前の景色もすっかり姿が変わっていた。私が乗ってきたバスが着いたのは高知駅の北口であった。しかしそれに気づくのにしばしの時間を要した。父親と携帯電話で話しながら父親を探したがどうしても父親を見つけることができない。父親は高知駅の南口で待ってくれていた。しかし南口に着いたと思っている私が父親を見つけられるはずがなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;高知駅から私の実家までは車で約1時間。高知県は過疎が進む。しかし帰省するたびに新しい道路ができあがっている。対照的に、かつての高知市内の繁華街にはチャッターを下ろした店が並ぶ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;自宅に帰る車の中で、私の実家の隣の家が空き家になったことを父親から聞かされた。その家には、93歳のおばあさんと30歳台の孫娘が二人で住んでいた。そのおばあさんが転倒し大腿骨を骨折した。手術を受けたが歩くことはできず、そのおばあさんの長女が住む東京に二人で移り住むことになったという。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私の実家は土佐市であるが、須崎市に近い。四方を山に囲まれた農村である。図書館や劇場などの文化施設はない。書店もない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;小学校6年生になるまでに私が手にすることができた本は学校の教科書と学校の図書館の蔵書、そして小学校の近くの文房具店で買うことのできた漫画本だけであった。しかし図書館で本を借りて読むことはなかった。だから学校の授業の予習や復習をすることもなかった。私が自宅で読むのは漫画本だけであった。私は月刊誌である「冒険王」という漫画本が発売になる日をいつも心待ちにしていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;クラスメートのなかには小学校5年生のころから塾に通っていた人がいたように思う。私は小学校6年生になって塾に通うようになった。そこは自宅から10キロほど離れた場所にあった。バスで週3回その塾に通った。塾では参考書を渡された。私はその本の厚さとぎっしりと詰まった文字に圧倒された。結局、私がそれらの参考書を開くことはなかった。だからそれらの参考書に何が書かれていたのか全く憶えていない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;小学校6年の2学期になると運動会の準備が忙しくなった。当時、私は、児童会の会長を務めていた。私の関心は運動会の準備に奪われた。そして塾には行かなくなった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私が再び塾に通うようになったのは、翌年の1月からであった。4か月近く無断欠席していた私はばつが悪く、復学の依頼を母親に頼んだ。私は塾に戻ることを許された。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私は中学校受験することにしていた。しかし今振り返ると、信じられないほど暢気であった。受験勉強といえる受験勉強は何もしないまま入学試験を受けるつもりでいたのだ。入学試験は3月。もういくばくも受験準備の日は残されていなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;さあ、明日は入学試験、という日の前の晩、私は父親から突然、受験を思いとどまるようにと言われた。あまりに突然のことであった。私は激しく怒り、父親と口論になった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;父親が私の受験に反対する理由は何であったのか、はっきりとは覚えていない。ただ、経済的な理由からだったのだろうと思う。父親と私との口論の最中に、祖父が田畑を売ってもいいから私に受験させてやるように、と言った記憶が鮮明に残っているからである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;親から譲られた財産を売るということは父親には想像することすらできないことであった。77歳となった今も、父親は親から譲られた田畑を売ろうとはしない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;入学試験の朝、父親は私を受験会場まで車で送っていってくれた。母親もいっしょであったと思う。私は顔を泣きはらしたまま試験を受けた。受験会場の父兄控え室には、担任の先生も来てくれていた。隣のクラスの担任の先生も来てくれていた。受験したのは私のクラスでは私を含めて2人、隣のクラスでは3人であった。しかし、その3人のうちの2人は他の中学校を受験した。だから私と同じ中学校を受験したのは3人であった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私は当時、「おとそ」という言葉を知らなかった。したがって、誤って「おそと」と書いてしまった。他の2人はきちんと「おとそ」と書いたとのことであった、また、「精を出す」と書くべきところを、私は「勢を出す」と書いてしまった。やはり他の2人は「精を出す」と書いていた。受験勉強をほとんどしなかっただけでなく、おとそを飲むような家庭に育たなかった自らの育ちの悪さを心のなかで私は恥ずかしく思った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ただ、入学試験には運良く合格することができた。5人とも合格した。そして私と同じ中学校に入学した他の2人とは高校卒業までいっしょに学生生活を送ることになった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;試験が終ったあと、同じ中学校に進学することになった3人は担任の先生のご自宅に招待された。1泊目は隣のクラスの担任の先生のご自宅に2泊目は私のクラスの担任の先生のご自宅に泊めてもらった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「ナポレオン」というトランプゲームを教えてもらったのはそのときであった。ナポレオンを教えてくれた隣のクラスの担任の先生は、トランプゲームのなかで一番楽しいものであると説明してくれた。ナポレオンは独特の駆け引きを要求される知能ゲームであった。私はその先生の駆け引きのうまさに感嘆した。私たちは深夜までナポレオンを楽しんだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;二日目は私と私のクラスメートの2人だけであったように思う。隣のクラスの先生もいらっしゃらなかった。私たち3人は布団を並べて眠った。先生は布団のなかで長時間にわたって私たちにいろいろの話を聞かせてくれた。何人かのクラスメートの家庭の事情などの裏話などもしてくれた。また、隣のクラスの担任の先生が、ご主人との関係で長年悩んでいたといったことも話してくれた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私のクラスの担任の先生も隣のクラスの担任の先生も日教組の活動家であった。私はクラスの代表として日本国憲法第9条を暗記させられ、ある催しのなかで起立して大声でその条文を復唱したこともあった。二人とも私たちが私立の中学校に進学することには反対であった。ただ、私たちが進学することになった中学校ならば受験してもいいと言ってくれていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私は、先生のご自宅に招かれたこの3日間のことをその後ほとんど思い出すことはなかった。しかしいま、こうして文章を綴りながら当時の光景を振り返ってみると、2人の先生は心から私たちの前途を祝ってくれたのだろうと思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私が通ったのは片田舎の小さな小学校であった。過疎と少子化が進行し、いつ廃校になるともしれない。しかし私はここで育てられた。かけがえのない思い出をつくることができた心のルーツである。&lt;br /&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-3434939504117721248?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/3434939504117721248/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=3434939504117721248&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/3434939504117721248'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/3434939504117721248'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2009/11/blog-post_28.html' title='帰省'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-3528267123198138375</id><published>2009-11-21T16:55:00.000+09:00</published><updated>2010-09-09T12:40:53.641+09:00</updated><title type='text'>サン・サーンス　「白鳥」</title><content type='html'>私には音楽の素養がまるっきりない。しかし、耳に入るとつい聴き入ってしまう曲が何曲かはある。そのひとつがサン・サーンス「白鳥」である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私がこの曲を初めて聴いたのは私が保育園に入園したときであった。私が2年間通った保育園では、午後4時の帰宅時刻の10分前になるとこの曲が園内に流れ始めた。私たち園児は、この曲が流れ始めると同時に片づけを始めた。片づけを終えると、正門前に集合した。そしてみんなで歌を歌った後、解散した。♭♭先生さよなら、皆さんさよなら、お手手つないで帰りましょう♭♭　皆で声を合わせ、先生に向かって手を振りながらこの歌を歌った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;当時、帰宅の合図である「白鳥」が流れ始めると、私はいつもとても寂しい思いにとらわれた。この曲のメロディーそのものによる寂しさもあったかもしれない。しかしこの曲を聴くと、その日は友達ともうお別れだという思いが私をよけいに切なくさせた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;信じられないかもしれないが、私がこの曲の題名を知ったのは、その後、30年ほど経ってからであった。それまで私は、誰に対してもこの曲の題名を尋ねることすらしなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;クラシック音楽などとは全く縁のない幼小児期を過ごした私は、クラシック音楽を聴いてもほとんど曲名がわからない。教えてもらってもすぐに忘れてしまう。子供のころからクラシック音楽に馴染んでいる人たちであれば、一度曲名を聞けばきっと忘れることはないのではないか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;クラシック音楽の曲名を覚えることができないというのは私の育ちの悪さを示すひとつの証左である。「育ちの悪さ」というものは、ごまかすことができないものだ。無意識に発する言葉や表情、身のこなしにその人が生きてきた人生そのものが表れるのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私は自分の親を責めているわけではない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私の両親は決して教育熱心ではなかった。しかし、社会人として生きていくうえで必要とされる最低限のモラルは教えてくれた。「他人のものを盗んではいけない」、「他人のお金を横領してはいけない」、「借りたお金は必ず返さなくてはいけない」、云々。列挙すれば限りがない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;どれも当たり前のことばかりである。しかし、両親が私に言って聞かせたことは、確かに両親も確実に守って生きてきたと思う。それで十分である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;躾けとは繰り返しである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「北枕で寝てはいけない」と子供のころ繰り返し両親や祖父母から言われた。北枕は死人を寝かせる向きであると説明された。死人と同じ向きに寝たらなぜいけないのか。誰も答えられはしないであろう。それでも多くの人は北枕を避ける。私もそうである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「人を跨いではいけない」ということや、「夜、爪を切ってはいけない」といったことも繰り返し諭された。人を跨いではいけないのは、人を跨ぐとその人の背が伸びなくなるからだと祖母は私に説明した。「なら、成長が止まった大人を跨ぐのはかまわないではないか。」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;当時の私はそんなことは考えもしなかった。躾けとはそのようなものであろう。繰り返し繰り返し諭されることによって理屈を超えてその教えは自分の心の中に染み渡っていく。そしてその人の人生を生涯支配する。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;電車のなかで若い女性が化粧をする姿は醜い。そればかりではない。電車のなかで化粧をしている女性の中に美人だと思える人はいない。女性の美しさとは顔のつくりだけではない。顔にはその人がそれまで生きてきた人生が表れる。その人の人生観が表れる。顔にいくら化粧を施したところで、それまでの自分の人生を覆い隠せるわけではない。覆い隠せるのは白髪や顔の皺であって心ではない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;彼女らは幼い頃に「美」に対する感覚を磨く訓練を親から受けなかったのであろう。すでに成人してしまった彼女らを諭す言葉はもうない。「美」も「醜」も言葉で教えることはできない。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-3528267123198138375?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/3528267123198138375/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=3528267123198138375&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/3528267123198138375'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/3528267123198138375'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2009/11/blog-post_21.html' title='サン・サーンス　「白鳥」'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-8162274926305845134</id><published>2009-11-14T18:07:00.000+09:00</published><updated>2009-11-24T16:18:36.042+09:00</updated><title type='text'>熊本</title><content type='html'>きょうの昼、熊本市にやってきた。明日、熊本市内で開かれる、あるセミナーで講演をするためである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;熊本市を訪れるのは初めてである。熊本県を訪れるのも33年ぶりである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;33年前に訪れたのは阿蘇であった。阿蘇郡高森町。そこには私が高校時代に地学を習った先生が住んでいた。名は植田和男。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私は高校2年と3年のとき、自宅を離れて寮生活を送った。その頃、夜、よく植田先生の下宿にお邪魔した。植田先生は高校の近くの一軒家を借りて独り住まいをしていた。当時はまだ20歳代後半であった。もちろん独身。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私が植田先生の下宿を訪ねるときには、徳永啓二という友人がいつもいっしょであった。彼は私とは入れ替わりに寮を出、下宿生活を送っていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私たちが通された植田先生の下宿の居間には仏壇があった。いや、「仏壇」と呼ぶのは誤りかもしれない。植田先生は当時、密教に凝っていた。密教の祭壇も仏壇と読んでいいのかどうか、宗教にまったく造詣がない私には今もわからない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私たちが行くと、植田先生はいつもコーヒーを入れてくれた。とてもおいしいコーヒーであった。そのコーヒーをいただきながら、私たちは植田先生の話を熱心に聞いた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;植田先生は登山が大好きであった。だから登山の話はよく聞かされた。ただ、登山の話をするとき、植田先生はきわめて冷静であった。対照的に、密教の話をするときにはいつも語り口が熱くなった。密教の話を一度始めると、話は尽きなかった。しかし残念なことに、宗教の素養のない私たちは、植田先生が語る内容を理解するというよりも、むしろ植田先生の表情や身振り手振りを食い入るように見つめ、その雰囲気に呑まれているだけであった。だから密教について植田先生がどんな話をしてくたのか、ひとつのことを除いて全く憶えていない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そのひとつのこととは、密教の話の途中で植田先生が次のようなことを言ったことだ。「男の価値は才能。女性の価値は宇宙を包み込むような母性」。ひょっとしたら、その時、植田先生は「母性」という言葉ではなく「愛情」という言葉を用いたのかもしれない。植田先生がどちらを使ったにせよ、その言葉を聞いた私は「母性」と理解した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私は植田先生の口から「才能」という言葉が発せられたことに驚いた。植田先生は「人の価値は才能の有無ではない」という思想の持ち主であるとそれまで私は無意識のうちに思い込んでいたからだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ただ、植田先生自身は心のなかでは、逆に、「男の価値は才能」という部分よりも「女性の価値は宇宙を包み込むような母性」という後半の部分に重きを置いていたのかもしれない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私の通っていた高校は、高知県内では進学校として知られていた。しかし植田先生はその進学指導に強い違和感を抱いていた。教員の中でひとり浮いているように見えた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;先生は、天気がいい日には、教室のなかでの授業を途中で切り上げ、「城山」と呼ばれていた学校のすぐ側の小高い山に私たちのクラス全員を連れていってくれたこともあった。私たちは嬉々として山道を駆け回った。植田先生から受けた地学の授業内容についてはほとんど憶えていない。しかし、城山で嗅いだ青葉の香りは今も鮮明に憶えている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私は高校を卒業と同時に東京に出てきた。私が高校を卒業して2年ほど経った頃、植田先生は私の母校を去った。そして阿蘇に行った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;植田先生が阿蘇の行った後も何年間か手紙のやり取りは続いた。植田先生の住んでいた阿蘇郡高森町を私が訪れたのも植田先生に会うのが目的であった。大学生のときに2度、高森町を訪れた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;植田先生が高知を去って数年経った頃、植田先生から一枚の写真が届いた。ひとりの女性といっしょの写真であった。テントの側でふたりが並んでしゃがんでいた。添えられていた手紙には、「私と一緒に山に登ってくれる女性ができた」と書かれていた。私はきっとこの小柄な女性が植田先生の将来の奥様になる女性であろうと思った。さして美人ではなかった。でも写真のなかの植田先生はとてもうれしそうに微笑んでいた。それまで孤独であった植田先生をきっと真から理解しようとしてくれる女性なのだろうと私は思った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;植田先生からもらった手紙はそれが最後であった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;植田先生に伴侶ができた。植田先生はもう独りぼっちではない。そういう安心感からか、私もいつしか植田先生に手紙を書かなくなった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;33年ぶりに熊本を訪れ、急に植田先生に会いたくなった。しかし植田先生の所在はわからない。植田先生にまた会ってみたいと思う私の気持ちは、私自身の思春期・青春期への感傷なのかもしれない。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-8162274926305845134?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/8162274926305845134/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=8162274926305845134&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/8162274926305845134'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/8162274926305845134'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2009/11/blog-post.html' title='熊本'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-5313881355474567403</id><published>2009-10-27T12:51:00.000+09:00</published><updated>2009-10-27T17:57:44.845+09:00</updated><title type='text'>通信簿</title><content type='html'>私の息子が通う小学校では、４年生になると通信簿がつくようになる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;通信簿のことを私は子供の頃から「通知簿」と呼んできた。「通信簿」と「通知簿」とどちらが正しい呼び名なのか、私は知らない。どちらも正しい呼び名なのかもしれない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私が子供の頃は、小学校１年生のときからずっと学期末に通信簿をもらった。学校で担任の先生から一人一人名前を呼ばれ教壇に立つ担任の先生から通信簿をもらう。これは私が小学校を卒業するまで毎回繰り返された終業式の日のお決まり行事であった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私が初めてもらった小学校１年生の１学期の通信簿のことは、今もおぼろげに覚えている。私はその通信簿を自宅の囲炉裏端で母親と一緒に見た。５段階評価であった。算数は「５」であった。「５」の評価をもらったのは算数のみ。他の教科は「４」か「３」であった。母親は何も言わずその通信簿を棚にしまった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私は高校を卒業するまで、自分の通信簿について親から何か言われたことは一度もなかった。親は私の学校での成績には関心がないものと私は思っていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;定期試験の直前には「早く寝るように」と、親からよく諭された。しかし「もっと勉強するように」と言われたことはなかった。私と姉とは３歳違いであった。私が中学校に入った年に姉は高校生になった。私と姉の定期試験の時期はほぼ重なった。私たちふたりは定期試験の直前になるといっしょに勉強したが、二人ともいつも一夜漬けであった。勉強用の机は買ってもらっていた。しかし私たちが机に向かって勉強することはなかった。電気炬燵が私たちの勉強机であった。母親は時折、眠いだろうからと言って私たちにコーヒーを運んでくれたが、私たちが勉強している姿を見ても喜ぶことはなかった。私たちの勉強が終わりそうもないのを確かめると、逆に落胆したかのような表情を見せながら「早く寝なさいよ」と一言だけ言って立ち去り、先に寝た。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;父親が私の通信簿を見ていた記憶は私にはない。私が社会人になってから、私の高校までの成績について知っていたのかと父親に尋ねたことがある。父親は「知っちょったよ（知っていたよ）」と答えた。ただ、それだけであった。私の通信簿を見た際にどのような感想を抱いたかについて語ることはなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;のんびりした時代であった。少なくとも親が自分の子の成績に一喜一憂する時代ではなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ただ、私の両親と同じ世代の人たちはこう言うかもしれない。「自分が生きていくのに精一杯だっただけなんだよ。」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;確かに貧しい時代であった。しかし将来への希望に満ちた時代でもあった。私自身もクラスメートも、そして誰もが、自分の将来にはきっといいことが待ち受けていると無意識に思っていた時代であった。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-5313881355474567403?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/5313881355474567403/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=5313881355474567403&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/5313881355474567403'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/5313881355474567403'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2009/10/blog-post_5139.html' title='通信簿'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-8755408194762429613</id><published>2009-10-23T23:08:00.000+09:00</published><updated>2009-11-24T18:04:17.799+09:00</updated><title type='text'>父　その３</title><content type='html'>幼い頃、私が父親に遊んでもらったことがなかったことはこのブログのなかで既に書いた。しかし、当時、そのことに私が強い不満を抱いていたわけではない。私は、父親と遊ぶことを想像したことすらなかった。私の父親は私に無関心であるが、世の父親も皆、自分の子にはさほど興味を抱かないものだろうと思っていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;こんな私であったが、私と同年代の子供たちが父親と楽しそうに遊んでいるのを見て羨ましいと感じたことがないわけではなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;実家の隣に1歳年下の男の子が住んでいた。私が中学生になるまで彼とはよく一緒に遊んだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;彼の家の庭には卓球台があった。手作りの卓球台であった。薄い黄緑色のペンキで塗られていた。10枚ほどの板を組み合わせて作られており、板と板との間には隙間があった。その隙間にピンポン球が落ちるとイレギュラーバウンドした。誰が作った卓球台であるのかを聞いたことはなかったが、私はその男の子の父親が作ったのだろうと思った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;その男の子と私とはその卓球台でよく卓球をした。彼と私が卓球をしているときに彼の父親が帰宅すると、彼の父親はいつも彼の父親は私たちのそばに近寄ってきて私からラケットを取り上げ、自分の息子と卓球を始めた。その間、私は卓球台のそばに佇んで二人が楽しそうに卓球するのを眺めた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;二人の卓球は長く続いた。いつまでも終わることがなかった。二人は私がそばにいるのをすっかり忘れているかのように卓球に興じた。実に楽しそうであった。彼らが私の方を振り返ることも私に話しかけることもなかった。私はただ黙って二人が仲良く笑いながら卓球を楽しむ姿を眺めた。私には無限に続く時間のように思えた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;息子との卓球を満喫すると、彼の父親は私には一言も話しかけず、無造作にラケットを卓球台の上に置いて立ち去っていった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;彼の父親は息子を心からかわいがっているように思えた。自分の父親に遊んでもらった記憶のない当時の私は少し羨ましく思った。と同時に、私は彼の父親に敵意のような感情も抱いた。彼の父親は自分の息子と私とが卓球をしている姿を見つけると必ず割り込んできた。子供同士が楽しく卓球をしているときには子供だけで遊ばせてくれてもいいのではないのではないかと私は思った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;こんなこともあった。当時、私の家にはテレビがなかった。毎週、日曜日の午後6時からは、彼の家の茶の間に置いてあるテレビの前に座って私たちは「風のフジ丸」というアニメを観た。しかし、私たちがその番組を観ているときに彼の父親が帰宅すると、毎回、彼の父親は無言でテレビの電源を切って立ち去った。父親が立ち去った後、父親に切られたテレビの電源を彼がもう一度入れることはなかった。彼と私との間には数分間の沈黙が訪れた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;彼の父親は生前、正面から私の目を見たことすら一度もなかった。当然、私に話しかけることもなかった。小学校を卒業すると、私は地元の中学ではなく高知市内にある私立中学校に進学した。それと同時に私が彼と遊ぶことはなくなった。彼の父親と顔を合わせることもなくなった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;彼の父親は20年ほど前、交通事故で急死した。私の父親からその訃報がもたらされたとき、私は右手をじっと胸に当てて目を閉じた。なぜ無意識にそのような動作をしたのか自分でもわからなかった。&lt;br /&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-8755408194762429613?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/8755408194762429613/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=8755408194762429613&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/8755408194762429613'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/8755408194762429613'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2009/10/blog-post_23.html' title='父　その３'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-1734150846160447169</id><published>2009-10-17T12:33:00.003+09:00</published><updated>2009-12-08T10:53:40.594+09:00</updated><title type='text'>「やしべる」</title><content type='html'>生まれ育った高知を離れ上京してから35年経った。もちろんこの35年間、ずっと東京に住んでいたわけではない。東京に住んだのは通算27年である。それでも生まれ故郷である高知よりもずっと長く東京に住んだことになる。同僚は、私には訛りがないと言う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;しかし、今でも、東京の言葉で何かを表現しようとするともどかしく感じることが少なくない。土佐弁だと一言で微妙なニュアンスを伝えることができるのに東京の言葉ではいくら言葉を尽くしてもそのニュアンスを伝えることができないことがあるのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「やしべる」という言葉は土佐弁であるが、この言葉のニュアンスを一言で伝えられる言葉は東京にはない。敢えて意訳すれば「弱いものいじめをする」ということになるであろうか。だが、「弱いものいじめする」という表現はあまりにも都会的であり、「やしべる」という言葉の持つ暗くてじめじめした雰囲気が伝わってこない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「やしべる」に限らない。「およけない」、「やくがかかる」、「きしょくがわるい」、「ほたえる」、「しらった」、「くじをくる」、「ころがたつ」、「こみこんで」、「のうがわるい」、「しでる」、「たつくる」、「さがしい」、「たくのうで」などといった言葉の持つニュアンスも東京の言葉では言い表せない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;それだけではない。ひとつひとつの土佐の方言には私の思い出が染み付いている。たとえば、「およけない」という言葉をつぶやくと、いつも生前の祖母の顔が浮かぶ。祖母が「およけない」という言葉を使ったときの光景が目の前に浮かんでくるのだ。「ほたえる」という言葉は私の父を思い出させる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「やしべる」という言葉はそれ自体、悪い意味しか持たない。しかし、「やしべる」という言葉を思い浮かべるたびに、私はこの言葉が本来持っている意味以上に不愉快な思いに取り憑かれる。幼い頃に「やしべられた」辛い思い出が今でもまざまざと蘇ってくるのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「他人をやしべたらいかん。絶対、やしべられんでえ。」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私は父親から耳にタコができるほどこう言い聞かせられながら育てられた。 &lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-1734150846160447169?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/1734150846160447169/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=1734150846160447169&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/1734150846160447169'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/1734150846160447169'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2009/10/blog-post_17.html' title='「やしべる」'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-8733292496018302700</id><published>2009-10-14T09:50:00.003+09:00</published><updated>2009-10-24T10:00:10.601+09:00</updated><title type='text'>飛鳥山公園</title><content type='html'>昨夜、自宅で夕食をすませたあと、私は散歩に出かけた。いつもは巣鴨駅の方に向かって歩く。途中の公園で鉄棒にぶらさがって身体を伸ばしたり柔軟体操をしたり、巣鴨駅前の書店に立ち寄ったりしながら、閑静な住宅街をぶらぶらと散策するのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ただ、昨夜は、自宅を出た直後に気分が変わり、巣鴨駅と反対方向に歩いてみた。当てはなかった。足が向くのに任せて歩いた。ふと気がつくと、飛鳥山公園の前の歩道を歩いていた。飛鳥山公園を見ると私はいつも浪人時代のことを思い出す。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私は浪人生活をしている時期、毎朝、この飛鳥山公園を横切って予備校に通った。当時、私は都内で唯一の路面電車である都営荒川線の滝野川一丁目駅の線路脇に住んでいた。私が住んでいた下宿は3畳一間。家賃は1月7千円であった。洗面所は共同。風呂もなかった。近くの銭湯に通った。ここには同世代の学生が5人住んでいた。大学生が3人。いずれも近くの東京外国語大学の学生であった。残りが私を含めて浪人生が2人。もう一人の浪人生も私と同じく、お茶の水にある駿河台予備校に通っていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私の部屋にあるのは、小さな冷蔵庫と机、そしてビニールファスナーと古ぼけたテープレコーダ。これらが全てであった。小さな押し入れは布団を入れるだけでいっぱいになった。そして、夜、寝る前に布団を敷くと、全く畳が見えなくなった。この狭い3畳の部屋が私が一人で占有することができる唯一の空間であった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;都会生活に慣れない私は、電車でお茶の水の予備校まで通うだけでへとへとになった。予備校の教室は学生ですし詰めであった。机は長机と長椅子。3～4人がその私が使用できる幅は50センチほどしかなかった。この狭さも疲労を増悪させる原因であった。予備校の授業は午前中だけで終了する曜日もあったが、そのような半日授業の日であっても、帰宅後、しばらく横たわって身体を休めなければその日の授業内容の復習をすることができなかった。救いは、授業がとても楽しいことであった。学問の楽しさを教えられた授業であった。浪人生は誰もが挫折感に苛まれていたが、予備校の講師は誰もが私たちの能力を高く評価してくれた。事実、私の通う予備校からは、日本中のどの有名高等学校よりも多い東大そして医学部への合格者を出した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;この下宿の大家さんは金坂さんといった。当時、既に70歳を過ぎているように見えたが、頭脳はすこぶる明晰であった。定年を迎えるまで、ある新聞社の記者をしていたということであった。金坂さんはご夫婦で1階に住んでいた。風通しが悪く薄暗い部屋であった。二人はいつも電気炬燵のなかに入ってテレビを観ていた。奥様は眼が不自由なように見えたが、そのことについて金坂さんから話を聞いたことはなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私が大学に合格してその下宿を引き上げる日、田舎から私の両親が出かけてきた。母親はわずかばかりの私の荷物をまとめるのを手伝ってくれた。私の荷物をまとめながら、母親は私の部屋の狭さに驚いた。しかし父はずっと1階の大家さんと話し込んだまま、私の部屋にあがってくることはなかった。荷物をまとめ終わって私が1階に降りていくと、父親は上機嫌であった。そして炬燵から立ち上がって大きな声で私にこう言った。「えい大家さんのところに住んじょったねえ。」父親は、金坂さんの高い見識に触れて感動したようであった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私は横浜で大学生活の第一歩を踏み出した。そして辛かった浪人生活を少しずつ忘れていった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私が今住む家はこの下宿から徒歩で10分ほどの場所にある。浪人生活を送ったこの下宿のすぐそばに住むことになろうとは考えもしなかった。この下宿の建物は今も残っている。しかし建物の屋根と外枠だけである。この建物は材木置き場になっている。誰も住んではいない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;この下宿の前を通り過ぎて自宅に戻る途中、当時あった銭湯の煙はみえないだろうかと、私は、今は材木置き場となっている元の下宿の上空を見上げた。 煙はなかった。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-8733292496018302700?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/8733292496018302700/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=8733292496018302700&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/8733292496018302700'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/8733292496018302700'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2009/10/blog-post_1000.html' title='飛鳥山公園'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-3254711604704108588</id><published>2009-10-12T10:36:00.001+09:00</published><updated>2009-10-12T11:42:12.116+09:00</updated><title type='text'>小さな思い出</title><content type='html'>私は小学校入学前、2年間、保育園に通った。私が保育園に通っている時期、一人の男の子が同じ保育園に入ってきた。彼は、母、姉と3人で私の住む田舎に引っ越してきたのだ。両親が離婚したためと人づてに聞いた。彼の母も同じ保育園に勤務するようになった。彼女は、私たちの通う保育園で私たちの給食をつくってくれた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私たちは同じ、地元の公立小学校に進学した。私たちの学年の児童ははわずか45人。それでも2クラスに分かれた。彼と私とは同じクラスになった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;2年生のときであった。いや、1年生のときであったかもしれない。彼の母が交通事故に遭って亡くなった。私たちが通っていた保育園のすぐ近くの国道で自動車にひかれたのだ。彼はしばらく学校を休んだ。担任の先生から、彼が高知市内の小学校に転校することになったことを知らされた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;彼が転校していく日、彼は朝から学校に出てきた。教室では彼とのささやかなお別れの会が開かれた。その会が終わると彼はお昼前に帰宅していった。私たちは彼を学校の正門で見送った。ランドセルを背負った彼は、何度も私たちの方を振り返りながら笑顔を見せ、手を振った。私たちも競って手を振った。まだ子供であった私にも、彼の笑顔は痛々しく感じられた。彼は母と死別し、仲良くなったクラスメートとも別れていくのだ。彼は父親に引き取られることになっていた。しかし彼が一緒に暮らすことになる父との生活は、母との生活と比べれば、ずっと寂しいものになるであろう。なぜ彼は笑顔を見せられるのだろうと私は不思議に思った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私が手を振りながらふっと左側を振り返ると、担任の先生がじっと彼の方を見つめながらハンカチを顔にあて、涙ぐんでいるのに気がついた。担任の先生はずっと無言であった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;彼を見送った後、私たちは教室に戻った。担任の先生はもう泣いてはいなかった。私たちは、その日の午後、いつもと変わらぬ授業を受け、帰宅した。その後、彼の思い出話が私たちの間で話題にのぼることはなかった。担任の先生も彼のことを口にすることはなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;彼とは2度か3度、手紙のやり取りをした。その後、彼との接触は途絶えた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;40数年前のことである。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-3254711604704108588?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/3254711604704108588/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=3254711604704108588&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/3254711604704108588'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/3254711604704108588'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2009/10/blog-post_12.html' title='小さな思い出'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-7820473230837813655</id><published>2009-09-29T10:39:00.004+09:00</published><updated>2009-12-02T09:49:08.056+09:00</updated><title type='text'>きゅうり</title><content type='html'>私の息子は11歳になる。小学5年生である。息子の最大の長所は、気分転換が早いことだ。嫌なことがあってもすぐにけろっと忘れてしまう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;服装も全く気にしない。スイミングパンツがすり切れてお尻に穴があいても、母親に繕ってもらってまたはき続ける。新しいスイミングパンツを履くようにといっても、古いのがいいと言う。帽子もしかり。5年前からずっと同じ野球帽をかぶる。頭が大きくなったので、当然、帽子はきちんと頭にはまらない。それでも、その帽子がいいらしい。穴があいた靴もずっと履き続ける。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;こんな息子でもたまには落ち込むことがあるようだ。息子は週に１回、水泳教室に通っている。その際に、先日、おやつとして生のきゅうりを2本持たされたらしい。皮も剥いていない買ってきたそのままのきゅうりである。当然、味付けもされていない。水泳教室が終わったあと、友達が甘いあんぱんをおいしそうにかじるそばで、息子は生のきゅうりを猿のようにかじっていたわけである。友達のお母さんは「まあ、健康にいいわね」と言ってくれたらしいが、息子はとても惨めと感じたらしい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;息子はその翌日、私の家内にぽつりとこう言ったという。「おやつにきゅうりは、もうやめてくれない？」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;息子は生野菜も刺身も調味料を何もつけないで食べる。きゅうりは息子の好物であるが、やはり味付けをしないまま食べる。私は不思議でならないが、これはおそらく小さい頃からの食習慣の影響であろう。離乳食を始めたときから調味料を入れない食事ばかり食べさせていた。このような事情もあって私の家内はあまり深く考えずに、買ってきたままのきゅうりを息子の手提げに入れたのに違いない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私がこの出来事を知ったのはそれからずっと後のことであった。夕食時に息子がいるそばで家内はくすくす笑いながらこの話を私に聞かせた。息子が恥ずかしそうにきゅうりをぽりぽりかじる姿を想像し、私は大笑いした。そして、息子に「惨めだったの？」と冷やかし半分にわざと尋ねた。息子は小声で「うん」と答えた。私はまた笑った。家内も、「きっと治豊はこのことを一生忘れないよ」と他人事のように言い、くすくす笑っていた。そして、さらに意地悪く、「治豊は生のきゅうりが好きなじゃないの？」と言った。息子は、もじもじしながら小声で「家で食べるのはいいけど」と答えるのがやっとであった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;激しい水泳の後に買ってきたままのきゅうり２本のおやつ。きゅうりにはほとんど当分も含まれていないし、激しいスポーツの後のおやつとしてはふさわしくない。何本きゅうりをかじっても空腹は満たされない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ただ、この出来事の救いは、我が家の生活が苦しいがために息子にきゅうりしか持たせられなかったわけではないということである。少なくとも親である私たちにとっては単なる笑い話の域を出ない。食べ物のことで引け目を感じる経験も息子にとって無駄ではなかったのではないかと思っている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;この種の惨めな思いを私自身は高校を卒業するまで幾度となく感じた。小学校時代、母が私に持たせた弁当のおかずは毎日、10円の「鯛デンプ」だけであった。クラスメートのお弁当のおかずを見て、いつもうらやましく思うとともに恥ずかしく感じた。クラスメートのお弁当には、私が見たことも食べたこともない珍しいおかずがたくさん詰め込まれていた。もやしを見たのも初めてのことであった。私はクラスメートに「それはきんぴら？」と尋ねた。そのクラスメートからは「もやし」という答えが返ってきた。私には、その「もやし」というものの味すら想像することができなかった。そのクラスメートのお弁当の内容は毎日異なっていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;自宅でも食事情はほぼ同じであった。タケノコの季節には毎日、タケノコだけを煮た鍋が出てきた。１日３色ともおかずはタケノコの煮物ということも珍しくなかった。ワラビがとれる時期には毎日ワラビだけが食卓に並べられた。夏になるとサツマイモの茎ばかり食べさせられた。私は食事中、よくべそをかいた。しかし他におかずがあろうはずもない。空腹に耐えかねて私は泣きながらそれらを口にかけこんだ。そんな私を慰めることもせず、私の母は黙々と毎日同じおかずを食べ続けた。祖父母も父親も同じおかずに文句を言わなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;貧困は恥ではない。恥ずかしいことではない。しかし、まだ幼い子供であった私には、貧困はつらいだけでなく恥ずかしいことであると感じられた。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-7820473230837813655?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/7820473230837813655/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=7820473230837813655&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/7820473230837813655'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/7820473230837813655'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2009/09/blog-post_29.html' title='きゅうり'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-8288006663610338108</id><published>2009-09-24T12:58:00.004+09:00</published><updated>2009-09-24T13:39:33.505+09:00</updated><title type='text'>映画</title><content type='html'>私は20年以上前から映画館に足を運んだことがない。映画館には行かないと決めているわけではない。ただ、よほどの差し迫った理由がなければ今後も私が映画館で映画を観ることはないように感じる。&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;今朝、出勤途中、このことについて、何故なのだろうと、いろいろ考えてみた。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;私の頭にまず浮かんだのは、私が生まれ育った田舎にあった小さな映画館であった。その映画館は私の実家から２キロほど離れた場所にあった。映画館というよりもむしろ掘建て小屋と表現した方が適切と思えるような今にも倒壊しそうな木造の古い建物であった。その映画館では時々いろいろな映画が上映されていた。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;私もその映画館で何度か映画を観る機会があった。すべて、当時はやっていた怪獣映画であった。ゴジラだとかモスラだとか、私の年代の男性にとってはとても懐かしい怪獣映画ばかりであった。大魔神の映画もその映画館で観たことがあったが、大魔神の映画を思い出すと、いまでも背筋が寒くなるような恐怖感に襲われる。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;それらの映画を私が観ることができたのは、当時、その映画館の主が営業していた米屋に勤めていた私の実家の隣のおじさんが私に無料チケットをくれたためであった。親からもらった小遣いでその映画館を訪れたことは一度もなかった。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;当時、私の家は貧しかった。我が家は貧しいのだと親からも言い聞かされた。私が生まれたのは昭和30年代初頭。まだ第二次世界大戦から10年あまりしか経っていなかった。いま振り返れば、当時は日本全体が貧しかった時期ではなかったかと思う。しかし当時の私は、貧しいのは我が家だけであると無意識のうちに思い込んでいた。こんな私にとって、自分の小遣いで映画館に行くなどということは夢の夢であった。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;その映画館に入ると、壁の隙間から日光が差し込んできた。その光を見ると、映画館にはもうもうとほこりが立ちこめているのがわかった。それだけで私は息苦しくなるような気がした。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;映画の上映はたびたび中断された。フィルムがところどころで切れていたのだ。上映が中断されると同時にガシャガシャという音が聞こえてきた。2〜3回の中断はいつものことであった。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;映画館から出てくると外はまだ明るい。そのまぶしさに耐えかねて私はしばらくじっと眼を閉じてうずくまった。そのとき、いつも私は車酔いのような吐き気と頭痛を覚えた。動く画面を長時間観ていたために起きた動揺病であったのだろうと思う。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;チケットをくれた実家の隣のおじさんにはとても感謝した。次はいつまたチケットをくれるだろうかと私はいつも心待ちにしていた。しかしその一方で、映画館とは不潔で空気の汚い場所であるという先入観が私のなかにできていった。映画館を出た後の気分の悪さも手伝って、私は映画館という場所に対する親しみを徐々に失っていった。映画館は当時の我が家の貧しさを私の心の中で引き立たせるひとつの象徴でもあった。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;いまの映画館の中がどのようになっているのか私にはわからない。おそらく、とても換気がよく、かつ清潔であろう。しかし、当時の貧しい生活から這い上がってきた今でも映画館に足を運ぼうという気にはならない。映画館の外にでた後の頭痛と吐き気はいまも生々しい記憶である。加えて、今の私はテレビや映画のドラマに全く関心がない。&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-8288006663610338108?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/8288006663610338108/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=8288006663610338108&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/8288006663610338108'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/8288006663610338108'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2009/09/blog-post.html' title='映画'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-1589977630552427942</id><published>2009-04-07T09:40:00.002+09:00</published><updated>2009-04-27T12:58:14.349+09:00</updated><title type='text'>失いしもの</title><content type='html'>桜が満開である。今朝、通りすがりに見た日比谷公園の染井吉野も見事な花を咲かせていた。思わずカメラを取り出しシャッターを切った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;写真を撮りおわってカメラをしまおうとしたとき、私の頭に妙な歌が思い浮かんだ。「同期の桜」である。「きさまと俺とは同期の桜」で始まる戦中の歌である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私は戦後生まれであるが、私が子供の頃にはよくこの曲が流れていた。最近、この歌を耳にすることはない。放送禁止歌にでもなっているのであろうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私はこの曲を小声で口ずさんだ。そして、その歌詞をゆっくり頭の中で辿りながら、戦争で死んでいった多くの若者の思いを想像した。終戦の１か月前にフィリピンのレイテ島で戦死した伯父のことも脳裏に浮かんだ。伯父は、生まれて数か月にしかならない一人息子を残して戦地に飛び立った。その息子は私の従兄になる。その従兄も既に亡い。10年ほど前、膀胱癌で亡くなった。私はその従兄から、生前、小児期の寂しかった思い出を聞かされたことがあった。その従兄には４人の娘があった。娘全員を連れてその従兄が私の実家を訪れたとき、しみじみと私に語った言葉は今も忘れることができない。「貧乏じゃきに娘にはなんちゃあしちゃれん。けんど、親の愛情は伝えることができるけんのう。」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そんなことを思い浮かべているとき、私の頭に、ふと、コタキナバルの光景が浮かんだ。私は、ドキッとした。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;コタキナバルはマレーシアの小さな町である。スマトラ島の北端に近いところに位置している。私は、家族とともに、この島を昨年の春と今年の春、２年続けて訪れた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;いうまでもなくマレーシアはイスラム教社会である。「イスラム教」という言葉を耳にして、私たち日本人が思い浮かべるのは、まず、テロ、そして男尊女卑の世界、といったイメージであろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;今の日本は、キリスト教社会の価値観が社会を席巻している。一神教はイスラム教であれキリスト教であれ、非常に厳しい宗教である。世界では今もキリスト教とイスラム教との争いが絶えない。イラクでの戦闘も、アフガニスタンでの戦闘もキリスト教とイスラム教との間の宗教戦争である。日本人では古くから仏教という多神教が心の基盤となってきた。多神教を奉じてきた日本人には宗教戦争という観念はない。そして、日本は無批判にキリスト教国に荷担する。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;しかし果たして、ほんとうにイスラム教社会は悪なのであろうか、男尊女卑だけの遅れた社会なのであろうか。ヘジャブは女性蔑視の象徴なのであろうか。大胆に肌を露出し路を闊歩する日本の若い女性。しかし肌をさらす自由と引き替えに日本の女性は自らの神秘性を放棄した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;コタキナバルで出会った多くの現地の人々の屈託のない笑顔を思い浮かべるたびに、私は、日本人は戦後、生きていく上で最も大切なものを失ってしまったのではないかと思わざるを得なくなる。それは、「信じること」と「信じられること」である。何が正義であり、何が善であり、何が価値のあることなのか、美とは何か、そういったことに関する心の拠り所を日本人は見失ってしまった。社会が共有する美意識や価値観は、日本にはもうない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;日本社会はどこに行っても「個性、個性」のオンパレードである。しかし、電車の中で化粧をするのは個性ではないであろう。成人式の最中に騒ぎ立てるのも個性ではないであろう。イスラム教の世界では祈りの儀式の最中に騒ぎ立てる者はいない。祈りは侵すべからぬ神聖なものである。そこには価値観の共有がある。今の日本社会には、もはや「神聖なもの」など存在しない。日本人が古くから培ってきた、世界に誇るべき、かけがえのない美意識も失われた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;信じるものを見失った日本社会。日本人の心は路頭に迷っている。誰もが慢性的な不幸感にさいなまれている。現在の日本は「総不幸社会」である。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-1589977630552427942?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/1589977630552427942/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=1589977630552427942&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/1589977630552427942'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/1589977630552427942'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2009/04/blog-post.html' title='失いしもの'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-4573159593743480140</id><published>2009-03-23T15:15:00.000+09:00</published><updated>2009-03-23T23:28:53.590+09:00</updated><title type='text'>父　その２</title><content type='html'>私はこのブログをマレーシアのコタキナバルに向かう飛行機の中で書いている。今朝、成田空港では、着陸時に貨物機が火災を起こし炎上した。その影響で欠航が相次いだが、運良く私たちの瓶はほぼ定刻に成田空港を発つことができた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;飛行機に搭乗する直前、私は父親に電話をかけた。父は成田空港での飛行機の炎上を既に知っており心配していたので、私の声を聞いてほっとしたようであった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;つい数年前まで、私は父親とも母親とも話すことはめったになかった。数か月以上、一度も話さないことも珍しくなかった。私にとって両親は関心の対象ではなかったのだ。両親はいつまでも若く健在であると無意識に思い込んでいたのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;しかし父はつい数日前に77歳になった。母親は74歳。両親に残された時間は、もうそれほど長くはない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私が幼い頃、私は父親に遊んでもらったことがない。おそらくこれは私の記憶違いではないであろう。父親自身も私の幼少時の記憶は全くないと言っているからである。家族揃って食事をする際にも父親が私や私の姉に話しかけることはなかった。父親はいつも祖父母や母と仕事の話をしていた。一家が食卓を囲むこともほとんどなかった。両親とも土間に立ったまま漬け物だけをおかずとして茶漬けをかけこんだ。そしてあっという間にまた家から出て行った。当時の私にとって、父親は、いつも何かに苛立っており気むずかしく恐ろしい存在でしかなかった。父親が帰ってくるバイクの音に私は怯えた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;それでも、私が中学生になると、父親は山や海に何度か私を連れて行ってくれた。山に行く目的はメジロを捕まえることであった。当時家で飼っていたメジロを小さな鳥籠に入れて持って行く。そのメジロの鳴き声でほかのメジロを呼び寄せるのだ。鳥籠のそばに鳥モチを巻いた止まり木を用意しておく。鳥籠に近寄ってきたメジロがその止まり木にとまると足が鳥モチにくっつく。そうやってメジロを捕まえるのである。木陰に隠れて声を潜めながらじっとメジロが捕まるまで待つのだ。私にとっては単なる苦痛でしかなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;このようなことをして野鳥を捕まえることは、今は違法であるかもしれない。しかし当時、私の生まれた田舎では最も任期のある娯楽のひとつであった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;父はまた気分転換のためにひとりでもよく海釣りに出かけた。車のトランクの中には常に釣り竿が入れられていた。私も何度か父親と一緒に海釣りにでかけた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ただ、残念なことに、私はどうしても魚釣りが好きになれなかった。いや、むしろ魚釣りは嫌いであった。船酔いのせいである。船に乗らず海岸で釣り座をを垂れているだけでも海の波のために気分がわるくなる。今でも当時のことを思い出すと頭痛がする。私は映画館に足を運んだことが20年以上ない。スクリーンを見ているだけも気分が悪くなるからである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;最近、私は、両親が辿ってきた人生をよく振り返る。仕事に全身全霊を傾けていた若かりし頃の父親はそれなりに満足感を得ていたのであろう。しかし、母親が病み、父親が母親の介護をしなくてはならなくなった数年前からの人生は、父親にとって最も心豊かに過ごせた時期ではなかろうかと私自身は思っている。老いること、病むこと、そして身近になった死。父親がこれらのことを考えない日はないであろう。そんな中で、父親は残り少なくなった母との人生を精一杯前向きに生きようとしているように見える。また、迫り来る自らの死をすら素直に受け入れている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;昨年、父親の膵臓に腫瘍が見つかった。また肺にも２か所に異常陰影が見つかった。検査を受けたが良性なのか悪性なのかすらまだわからない。父親は平然としている。むしろ動揺しているのは母親の方である。父親の介護なしには生活ができない母親にとっては当然のことであろうが。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;父親は最近、信じられないほど気が長くなった。これは母親の言葉である。母親は歩行器なしでは歩けない。昨年８月に頸椎骨折を起こした歳にはほぼ完全な四肢麻痺に陥っていたのであるから、これでも見違えるほどに元気になったのであるが。のろのろと歩行器で歩く母親に細かな指示を与えながら父親はゆっくりと母親に付き添って歩く。自分の身体が思うように動かないことを母親は悔しがる。もどかしくて仕方がないという。しかしやっと歩いている自分に付き添う父親の姿といつも苛立っていた昔の父親の姿とを重ね合わせながら、わずかといえども母親が幸福感を味わっているのも事実であろう。夫婦の間の心のアヤに息子の私は立ち入れない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-4573159593743480140?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/4573159593743480140/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=4573159593743480140&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/4573159593743480140'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/4573159593743480140'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2009/03/blog-post_23.html' title='父　その２'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-3305685465013193032</id><published>2009-03-23T00:13:00.000+09:00</published><updated>2009-03-23T00:44:28.602+09:00</updated><title type='text'>Gmail</title><content type='html'>私は長い間、メールサーバを自宅に設置し、そのサーバを自分で管理してきた。独自ドメインを利用したかったからだ。メールボックスの容量にも余裕がほしかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;しかし最近、メールサーバをGoogleが提供しているものに移管した。もちろん、これまで利用してきた独自ドメインもこれまでどおり利用可能である。それに7GB以上の容量が無料で得られる。私が自宅のサーバで利用していた機能はほとんど全て提供されている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;メールサーバは片時も稼働を停めることができない。一年中電源を入れておかねばならない。サーバにかかる負担は大きい。ログを見ると、外部からのたゆみないアタックにさらされているのがわかる。いつサーバがクラッシュするのかといつも気が気ではなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;Googleのサービスを利用すれば、ひとつのドメインに対して50までのアカウントを無料で作成することができる。POP3だけでなくIMAP4にも対応している。当然、SSLを利用した通信も可能である。ほかのメールサーバからメールを読み込むことも可能である。１メールの最大容量は20MB。これも十分であろう。これ以上大きなファイルを送りたければほかの方法はいくらでもある。ボイスチャットやビデオチャットも可能である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;唯一残念なのは、ブラウザを利用した場合には、一種類の署名しか使えないこと。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;このブログでは、これから時々、Gmailの利用方法について書いてみようかと思う。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-3305685465013193032?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/3305685465013193032/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=3305685465013193032&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/3305685465013193032'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/3305685465013193032'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2009/03/gmail.html' title='Gmail'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-3651732515298969041</id><published>2009-03-17T20:36:00.007+09:00</published><updated>2009-03-22T16:49:27.637+09:00</updated><title type='text'>土佐の森・救援隊</title><content type='html'>&lt;a onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}" href="http://2.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/ScXrpoDsAXI/AAAAAAAAAis/vCpnsYRGSEI/s1600-h/310NPOout.jpg"&gt;&lt;img style="margin: 0pt 10px 10px 0pt; float: left; cursor: pointer; width: 200px; height: 142px;" src="http://2.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/ScXrpoDsAXI/AAAAAAAAAis/vCpnsYRGSEI/s200/310NPOout.jpg" alt="" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5315914035540787570" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;中学高校時代の３年後輩が吉祥寺に住んでいる。彼とは寮で１年間同室であった。彼は「土佐の一本釣り」で有名な高知県中土佐町久礼の出身。しかし漁師の持つ荒々しさは彼にはなかった。いつも控えめで笑みをたたえていた。彼が怒った顔を私は見たことがない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;彼と私とは私が高校を卒業してからは疎遠になった。時折、彼のことを思い出すことはあったが彼の所在も知ることはなかった。そんな彼から１０年あまり前に思いもかけず連絡をもらった。ある雑誌で私の顔を見たのでびっくりして連絡を寄こしたということであった。私たちは渋谷のレストランで２０年ぶりに顔を合わせた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;彼は多少髪が薄くなっていたが、そのほかは高校時代と変わりがなかった。彼は昔と同じように私の前に座るとどぎまぎしながらぽつりぽつりと近況を話した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;彼はまだ独身であった。社員は社長と彼だけというごくごく小さな業界紙の出版社に勤めているということであった。ただ私は彼の踏み込んだプライバシーについてはほとんど何も尋ねなかった。彼も積極的に自分の生活をしゃべろうとはしなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;彼と２度目に会ったのは新宿西口のインドネシア料理の店。私の他の知人も同席していた。そこでの話はほとんど何も憶えていない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;彼の趣味は連句。この世界では「市川千年」と名乗っているらしい。名刺ももらった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私には連句というものがどのようなものであるかすらわからない。しかし彼から送られてくる歌にはいつもユーモアに溢れていた。「楽しそうだね」と私が話すと、連句の集まりを見学に来てくれと私に言う。１か月に１回、西荻窪に仲間が集まるそうだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;文章には書く人の全てが表れる。このユーモアこそ彼の持ち味である。彼は決して経済的に裕福な生活をしているわけではないように感じる。しかしその貧しい生活を心から楽しんでいた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そんな彼がつい数日前、私の自宅にやってきた。私の高校時代の友人が３月一杯で四国の丸亀に転勤になる。そのお別れの食事会に彼も誘ったのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;彼は今年３月いっぱいで出版社を辞め、あるボランティア活動に従事すると話した。彼が退職するということは昨年１２月に電話で聞いて知っていた。しかし詳しい話は聞いていなかった。彼が私の家にやってきた日の午後、ボランティアの仲間を集めるための面接があったということであった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;この日は彼のこの活動で話が盛り上がった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;彼はこの活動からほとんど何の報酬も得られないことをつい最近まで知らなかったという。今月いっぱいで退職した後は６か月間、失業手当で暮らすという。彼らしい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;まさに「三つ子の魂百までも」。彼はいまも愛すべき好青年である。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-3651732515298969041?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/3651732515298969041/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=3651732515298969041&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/3651732515298969041'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/3651732515298969041'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2009/03/blog-post.html' title='土佐の森・救援隊'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://2.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/ScXrpoDsAXI/AAAAAAAAAis/vCpnsYRGSEI/s72-c/310NPOout.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-5314062178593761770</id><published>2009-02-25T08:14:00.000+09:00</published><updated>2009-03-01T23:15:13.545+09:00</updated><title type='text'>少子化</title><content type='html'>日本の国民の最大の関心事は失業問題、年金、医療であろう。失業は国際的な不況が最大の原因である。しかし外需依存の日本の産業構造が先進国で最悪のGDPの低下を招いた誘因となっていることも事実であろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;内需が伸びない理由は何であろうか。私は経済については全くの素人であるが、最も大きな原因は少子化だと思っている。年金問題も医療問題も少子化によってもたらされたものだと私は考えている。就労、年金、医療などといった国民の基本的生存権に関わる問題の根本的解決法は子供を増やすこと以外にない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;私には一人息子がいる。いま10歳。これまでは親である私が期待するとおりの成長をしてくれた。このことには大きな喜びを感じる。しかし、子はこの息子一人。子に対しても社会に対しても罪悪感を抱いている。だから息子には早く結婚し沢山の子をもうけてもらいたいと願う。子沢山は幸福の代名詞である。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;私は、独身の男女と話す機会があれば、いつも早く結婚すべきだと話す。幸い、彼らの中に生涯独身主義者はいない。「いい人」がいれば結婚しようと思っている。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;いい人・・・。この言葉を聞くといつも私は考え込んでしまう。私がいい人と思っても彼らもいい人と感じる保証はない。先ず彼らが直接相手と会ってみる以外には確かめる手立てはないではないか。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;彼らは相手の家系、出身校、勤め先、背の高さなどを指定する。それらが自分の希望に添わないときには会おうともしない。私は悲しくなる。その本人に会ってみなければわからないことがたくさんあるではないか。なぜ最初から全ての可能性を否定するのか。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;作家の曾野綾子氏は次のように語る（「夫婦、この不思議な関係」 WAC BUNKO）。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;「・・・つまり、これは、人間というものが説明しきれないような複雑な理由で惹かれ合うことがあるという可能性に対する最初からの拒絶である。いかに毎日１時間ずつトイレの掃除をしなければなかろうと、私がもっと相手に惚れていたら、それも致し方ないと思っただろう。外国に住むのはいやだと思っていても、「この人に引っぱられていやいや３０年、ついに地球の反対側に住んでしまいました」などという科白を、人間はにこにこしながら言える場合もある。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;夫婦というものは、当然、出会いから始まるのだが、その場合、条件を優先させる人を見ると、私はどうも不思議な気がしてならない。・・・・こういう人は、どうも自己本位で、それだけ自分に目をかけているわりには自分が見えていないのではないだろうか、という気がする。」&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;同感である。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;数年前、ある女性に、高知に住む男性を紹介しようとした。彼女は話にならないという口調でその男性に会うのを断った。彼女はこう言った。「だって、高知には台風が来るじゃないですか。」&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;その１年後、彼女より１５歳年上の男性を紹介したときには、「想像すらできない」と言われた。その男性に関する説明すら聞いてもらえなかった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;彼女はいまも独身である。そして生涯独身率を上げる一人となった。&lt;br clear="all"/&gt;&lt;div class="iblogger-location-wrapper"/&gt;Mobile Blogging from &lt;a class="iblogger-location" href="http://maps.google.com/maps?ll=35.6844,139.7200"&gt;here&lt;/a&gt;.&lt;/div&gt;&lt;div class="iblogger-footer"&gt;&lt;br clear="all"/&gt;&lt;p style="text-align:right;font-size:10px;"&gt;[Posted with &lt;a href="http://illuminex.com/iBlogger/index.html"&gt;iBlogger&lt;/a&gt; from my iPhone]&lt;/p&gt;&lt;br/&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-5314062178593761770?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/5314062178593761770/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=5314062178593761770&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/5314062178593761770'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/5314062178593761770'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2009/02/blog-post_24.html' title='少子化'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-8909032732370712470</id><published>2009-02-24T17:20:00.000+09:00</published><updated>2009-03-01T23:18:15.873+09:00</updated><title type='text'>辿りきて</title><content type='html'>昨日の午前中、名古屋に住む友人から電話がかかってきた。東京に出てきたので会わないかという誘いであった。彼からは上京する旨のメールを１週間ほど前にもらっていたが、雑事に追われて返事を書かないままになっていた。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;彼とは昨年暮れにも高知で顔を合わせたばかりだった。高校時代の友人との同窓会の席であった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;東京で彼と会うのはいつも神田の讃岐うどんの店。彼は香川大学出身だということもあって讃岐うどんが大好物だ。彼が帰りの新幹線に乗るまでの２時間ほどこの店で讃岐うどんを食べながら語り合った。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;彼がいつも話すのは自分の親のこと。彼の母は数年前に交通事故で亡くなった。即死であった。彼の父親が運転する車が交通事故を起こしたのだ。当時の出来事は既にこのブログに書いた。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;彼は一人暮らしとなった父の世話をするため１か月に２回ほど高知に帰る。しかし高知空港に降り立ったときの寂しさは今もこたえるという。事故の前はいつも、彼が飛行機で帰省するときには、彼のお父さんが出迎えにきてくれた。そして「もんたかよ」と言って喜んでくれたという。「もんたかよ」というのは土佐弁である。「帰った？」という意味であるが、この言葉には独特のぬくもりがある。このぬくもりは高知で育った人にしかわからない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;こんな彼も別の友人には羨ましがられるという。親が１人生きているだけでもいいではないかと。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;親が死ぬというのは心の拠り所を失うことだと彼は言う。「この世の中で無条件に自分を支持し支えてくれるのは親しかいない。たった２人だけだ。」彼は言葉を噛みしめるように私にそう言った。私の両親はまだ健在である。しかし遠からず私も彼らと同じ寂しさを味わうことになろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;10年前までは親のことが私たちの間で話題に上ることはなかった。親は私たちの関心事ではなかったのだ。親が元気でいることは私たちにとって当たり前のことであった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;彼と私が出会ってから40年経つ。中学校１年生のときであった。何回かクラス替えはあったが、私たちは６年間一緒に過ごした。最も多感な思春期を共にした。この６年間が私たちの友情を育て、その後の私たちの人生を決定づけたと彼は言う。そして中学高校一貫教育を受けたことを人生のなかで最も幸運なことであったと言う。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;私たちが６年間通ったのは高知市内にある私立の学校であった。高知県内では進学校と考えられているが、全国的には全く無名である。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;しかしこの学校は今も私たちのアイデンティティそのものである。誇りの源である。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;私たちは夜９時過ぎに店を出た。そしてJR神田駅の改札口で別れた。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;別れた後、新幹線のなかからメールが届いた。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;「今日はすみません。ありがとうございました。今、新幹線に乗りました。勝手に呼び出して勘定まで払わせる、こんなこと、出来る人は少ないですよね。そんなことが嬉しく思います。その意味では学芸のおかげかも。また、宜しく。ありがとうございました。」&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;「学芸」とは、私が卒業した高知学芸中学・高等学校のことである。&lt;div class="iblogger-footer"&gt;&lt;br clear="all"/&gt;&lt;p style="text-align:right;font-size:10px;"&gt;[Posted with &lt;a href="http://illuminex.com/iBlogger/index.html"&gt;iBlogger&lt;/a&gt; from my iPhone]&lt;/p&gt;&lt;br/&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-8909032732370712470?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/8909032732370712470/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=8909032732370712470&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/8909032732370712470'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/8909032732370712470'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2009/02/blog-post.html' title='辿りきて'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-6269016223638915152</id><published>2009-02-23T17:39:00.000+09:00</published><updated>2009-02-23T17:39:38.732+09:00</updated><title type='text'>鞄の中身</title><content type='html'>一日の仕事が一段落して自分の席に戻る。溜まっている残業を片付けようと思う。しかしどっと疲れが出る。帰宅に帰って続きの仕事をしようと思う。重い書類を抱えて帰宅する。通勤時間は片道45分。電車のなかでもほとんど立ちっぱなしである。帰宅すると同時にもっと強い疲労感が襲ってくる。家族もいる。そして翌朝。何も手がつかなかった書類をまた職場に持ち帰る。残るのは虚しさだけである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;こんな経験をしているのは私だけであろうか。そうかもしれない。私は人一倍ぐうたらである。ずぼらである。そして三日坊主である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;こんな悪循環の解決策はないものか。ひとつの解決方法は時差出勤。もうひとつは車での出勤。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;しかし電車のなかで座るためには朝６時過ぎには家を出なければならない。これは家族の生活のリズムを狂わせる。車での出勤も精神的に疲れる。つい数日前にも通勤途中、スクールゾーンに進入して警察に捕まってしまった。その通りはこれまで７年間、幾度となく車で走ったところだ。それなのに時間によって車の進入が禁止になることを知らなかった。その日は、職場について駐車場に車を停める際にも電柱に車をぶつけてしまった。挙げ句の果てに、さあ帰宅しようと思って駐車場に来たまではよかったが、エンジンがかからない。バッテリーがあがってしまっていたのだ。泣きっ面に蜂である。家内のアドバイスもあり、当分、車の運転はしないことにした。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;結局、通勤・移動の疲れを少なくするために私が始めたのは手荷物を軽くすること。そのために軽いノートパソコンを購入した。このことだけでも荷物が１キロ以上軽くなった。パソコンの電源は切らない。したがってパソコンを開けばいつでも作業を再開することができる。パソコンの付属品も必要最小限のものだけを鞄に入れておけば重さが苦になることもない。この他、鞄の中に入れるのは、携帯電話、メモ帳、ボールペン、そしてわずかの書類だけである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;確かに通勤の疲れは少なくなった。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-6269016223638915152?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/6269016223638915152/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=6269016223638915152&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/6269016223638915152'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/6269016223638915152'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2009/02/blog-post_16.html' title='鞄の中身'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-3762531963609853868</id><published>2009-02-22T21:20:00.000+09:00</published><updated>2009-02-22T22:01:00.633+09:00</updated><title type='text'>エキナカ</title><content type='html'>「エキナカ」というのは「駅中」のことであろうか。ここ数年、東京ではJRの駅中には商店が建ち並び多くの人で賑わっている。私が毎日通勤に利用する駅でも再開発が進んでいる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;こんなエキナカの店のなかで私がよく利用するのは書店とパン屋である。「パン屋」と聞くと奇異に思われるかもしれないが、私の目的はパンを買って家に持ち帰ることではない。パン屋のなかのテーブルに座ってパンをかじりコーヒーを飲みながらくつろぐためである。一人でぼーっとする一時は私にとって至福の時間である。周りには大勢の人がいる。しかし誰一人として知る人はいない。一人きりでいるのと気分は同じである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;こんなとき、ときにノートパソコンを開き、キーボードを叩くこともある。メールを書いたり、ブログを書いたり、急ぎの原稿を書いたりと、することには事欠かない。真夏であっても店内は冷房が効いており涼しい。逆に冬は寒さがしのげる。それに静かだ。パン屋という性格上、流れるBGMは穏やかなものが多い。明るくて清潔感があるのもいい。煙草の煙も流れてこない。その代わり、長居するのは憚られる。また深夜まで営業している店は少ない。無線LANが使える店もない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私は通勤途中にあるふたつのJRの駅のエキナカにあるパン屋を時々利用する。電車から降りてすぐに店に入れるので便利だ。それに駅前の雑踏を通り抜ける必要もないので疲れない。店内が混んできたら邪魔にならないように早めに店を出ることさえ心がければ、パソコンを開いて作業をすることがあっても許されるのではないかと私は勝手に考えている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;カラオケボックスやインターネットカフェを書斎代わりに利用することを勧める人もいるが、ずぼらな私は駅の構内を出るだけでも億劫である。エキナカのパン屋はこれからも私の憩いの場となろう。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-3762531963609853868?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/3762531963609853868/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=3762531963609853868&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/3762531963609853868'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/3762531963609853868'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2009/02/blog-post_6268.html' title='エキナカ'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-1719804800327970674</id><published>2009-02-22T19:27:00.000+09:00</published><updated>2009-02-22T20:53:20.320+09:00</updated><title type='text'>デジタルカメラをメモ帳代わりに使う</title><content type='html'>私はずぼらである。そのうえ、物忘れが激しい。だからマメにメモをとるのかといえばそうではない。だから大切な事柄もすぐに忘れてしまう。思いついたアイデアも活かせない。たとえその場でメモをとってもそのメモをなくしてしまう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;こんな私がメモをとるために最近よく用いるのはデジタルカメラである。私はいつもデジタルカメラを持ち歩いている。メモ用紙に手書きで殴り書きした場合には、そのメモをデジタルカメラで撮影し、メモ用紙はその場で破り捨てる。だから小さなメモ用紙とボールペンも常に持ち歩く。メモは100円ショップで購入したものである。ボールペンは三色ボールペン。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;どのようなメモ用紙を用いるべきかという点について書店に並ぶ本にはいろいろと書かれている。A4大のメモ用紙がいいとか、碁盤の目が入っているメモ用紙が入っているのがいいとか。私自身は左の手のひらに入る程度の大きさのものでいいのではないかと考えている。色も白で十分。白ならばどの色のオールペンで書いても鮮明に見える。デジタルカメラで撮影しても見やすい。ただし20～30枚程度はいつも持ち歩く必要があるだろう。メモ用紙を用途によって使い分けることはしない。ずぼらな私にはメモする事柄の内容によってメモ用紙をかえるといったことは到底できない。三日坊主になる種はできるかぎり取り除くことが私にとっては必須である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;字は大きく書く。急いでいるときでも必ず後で読めるように書かなければならない。要点だけをメモするが、そのメモに書かれた内容だけで理解できるように留意しながら記載する。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;デジタルカメラで撮影した画像はiPhotoで取り込む。そしてiPhoto上で整理する。整理して不要となった写真は削除する。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;iPhotoでは複数の写真を「イベント」にまとめることができる。また写真を内容によって「グループ」に分けることもできる。個々の写真にキーワードをつけることも可能である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;これならばずぼらな私でも物忘れを最小限に食い止めることができる。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-1719804800327970674?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/1719804800327970674/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=1719804800327970674&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/1719804800327970674'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/1719804800327970674'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2009/02/blog-post_22.html' title='デジタルカメラをメモ帳代わりに使う'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-5011694109365053135</id><published>2009-02-22T18:56:00.000+09:00</published><updated>2009-02-22T19:05:20.911+09:00</updated><title type='text'>ブログの作成には"MacJournal"が便利</title><content type='html'>私は２年あまりからブログを書くようになった。私がブログを書くようになったのは私には日記を書くという習慣がなかったからである。きょうから日記を書くぞと決めても長続きしたためしがない。私は何事につけても三日坊主である。ブログならば気が向いたときに書けばよい。そう思ったのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ただし、私のブログは自分のために書いているのではない。また不特定多数の人のために書いているのでもない。10歳になる一人息子のためである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私はまだ50歳代前半である。健康でもある。しかし何時何時死ぬかわからない。私が死ぬとき、息子に遺せる最も大きな遺産は父である私の思い出であろう。このブログを公開しておけば、いつか息子がこのブログを読むこともあろう。そんな思いから、私はこのブログを非公開とはしなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ブログを書くにあたって、通常はブラウザを利用する。私もブラウザを用いて直接入力することが多い。しかし出先でブログを書こうと思い立つことがある。こんなときにはMacJounalというソフトを利用してブログを書く。このソフトを使用すれば複数のブログをまとめて管理することができる。ネットに繋げられたときにブログ用のサーバーにそのファイルをアップロードすればよい。原稿を校正しそれを再度アップロードすることによってブログを更新することもできる。MacJournalはMac OS X用のソフトウェアである。Windows用にはWinJounalというソフトウェアがある。ブログ用のソフトウェアにはいろいろのものがあろうが、私はこのほかにはiPhoneで使用できるものとしてiBloggerを利用しているだけである。ただしiBloggerでは画像のアップロードができない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;MacJournalの特長のひとつは、アップル社のMobileMeに加入していればMobileMeを利用したファイルの同期ができることである。したがって複数のコンピュータで同じファイルを共有できる。ただし、１ファイルあたり5MBを越す容量のファイルは同期できない。ファイルの中に画像を貼り付けるとすぐにファイルサイズが5MBを越してしまう。もっと大きなファイルの同期もできればいいのだが。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;何か思いつくとノートパソコンを開く。電車の中で立ったままでパソコンを開くこともある。すぐに作業ができるように電源は常に入れたままである。私はMacBook Airを持ち歩いている。MacBook Airは軽いので用い歩いても苦にならない。昨年の暮れに型落ちしたものを40%引きで購入した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;このMacBook Airを購入する前、私はMacBookを持ち歩いていた。しかしMacBookは重い。出先で作業をしようと思ってMacBookを持っていっても、出先でどっと疲れが出てしまう。結局何もしないまま重いMacBookを持ち帰ることになる。長い間、こんなことの繰り返しであった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;MacBookの重さは1.3キロ。ディスプレイも文章を書くだけならば十分な広さがある。速さも十分。バッテリーも３時間以上もつので、長時間の移動をしない私には十分である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;最近はネットパソコンがよく売れるという。私もMacBook Airを購入する前にはネットパソコンの購入を真剣に考えていた。しかしバッテリーを挿入するとMacBook Airとほぼ同じ重さになる。しかもスペックはMacBook Airよりもはるかに低い。デザイン性にも劣る。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;MacBook AirとMacJounalの組み合わせには満足している。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-5011694109365053135?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/5011694109365053135/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=5011694109365053135&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/5011694109365053135'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/5011694109365053135'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2009/02/blog-post_14.html' title='ブログの作成には&amp;quot;MacJournal&amp;quot;が便利'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-885669689633659919</id><published>2009-02-16T07:50:00.000+09:00</published><updated>2009-02-24T11:16:40.125+09:00</updated><title type='text'>早寝と早起き</title><content type='html'>早起きは爽快である。この爽快さは何から来るのであろうか。出勤まで時間があることによる心の余裕もあろう。空気も新鮮である。それに静かである。家族も近所の人たちもまだ眠りの中だ。車の音も聞こえない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ただ、ほんの少し眠い。テレビを観ようか。本を読もうか。それとも書き物をしようか。迷っているうちにどんどん時間が経つ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;テレビを観始める。すると出勤までずっとテレビに釘付けになってしまう。もし前の晩に読むべき本をテーブルの上に置いていたとしたらきっとまずその本を開くだろう。そうすれば出勤までに何ページかはその本を読み進めることができる。また翌朝書き物をしようとすれば、寝る前にコンピュータをテーブルの上に用意しておく。そしてどの書き物に手をつけるかをメモに書いておく。そうすれば起きてすぐに作業を始めることができる。怠け者である私には朝起きたらまず何をするかを前の晩に決めておくことが重要である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;書店には早朝の時間をいかに有効に使うかという点に関する書籍がたくさん並んでいる。私もその何冊かに目を通してみた。確かに早朝に作業をすると能率が上がる。したがって頭脳労働を朝するというのは合理的であると私も思う。ただ、早朝にするべき作業があまりに多いと朝を迎えても憂鬱である。過大なノルマを課さないことが私には大切なようだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;朝早く起きれば当然、夜は早く眠くなる。最近は息子よりも早く寝床につくことが珍しくなくなった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;睡眠時間を削ることは効率化には役立たない。特に私は睡眠不足に弱い。睡眠不足だとぼーっとしたまま一日が過ぎてしまう。いくら焦っても頭も体も動かない。私はほんの一晩でも睡眠不足だとすぐに目にクマができる。昨年まではほとんど毎日目にクマがあった。非効率的な生活を送っていた証左である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;日没後、何をしようかと迷ったら、まず寝床に入ろう。そしてぐっすり眠ろう。爽やかな朝を迎えるために。今年に入ってそう決めた。おかげで最近は昼間眠くなることがほとんどなくなった。ぐうたらはぐうたららしく、まず寝るべし！&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-885669689633659919?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/885669689633659919/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=885669689633659919&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/885669689633659919'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/885669689633659919'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2009/02/blog-post_4171.html' title='早寝と早起き'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-1834655250047995119</id><published>2009-01-14T18:56:00.001+09:00</published><updated>2009-01-15T10:47:11.572+09:00</updated><title type='text'>父</title><content type='html'>昨年１２月の初めに私は高知で司法書士事務所を営む友人に電話をかけた。私の父親が所有する山林の管理を彼に頼みたかったからだ。二束三文の価値しかないだろうが東京に住む私には管理ができない、父にもしものことがあったときに備えて山林の境界を確認し管理を頼めないかと私は彼に話した。&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;彼から帰ってきた第一声は「それは、親父さんの思いじゃねえ」であった。彼が言いたかったのは、父親が私に遺す山林の金銭的な価値は低くてもその山林には私の父親の思いがこもっている。相続するのは金ではなく父親の心なのだということであった。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;彼とはその３週間後の昨年１２月３０日に開いた高校時代の仲間との忘年会の席で顔を合わせた。その席で立ち入った話はできなかったが、忙しいのですぐには無理だが時間を見つけて父親の所有する山林を見にいってくれると彼は言ってくれた。今回の年末年始、私は父親と一緒にそれらの山林を巡ることになっていたが、私には山林の境界を憶える自信がなかったので、彼の言葉に安堵した。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;１２月３１日から１月３日まで４日続けて私は父親といっしょに山にでかけた。しかし父親が所有する山林は高知県内のあちこちに散在しており、４日間では回りきれなかった。父親は７６歳になる今でもチェーンソーを抱えて急な斜面を力強く登っていく。その後ろをのこぎりを下げた私がのこのことついていく。初日は息子も一緒であったが、都会に生まれ育った息子はそれきり私たちと一緒に行くとは言わなくなった。それでも１月３日には無理に息子を誘ってまた父親と３人で山林巡りをした。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;父親は成長した杉や檜の木を見上げては感慨深そうにそれぞれの山林に関する思い出話をした。日が暮れて真っ暗になるまでまだ小さかった杉や檜の枝打ちをしたこと。あと１日出かけてくれば枝打ちが終わるという日に肺がんのために入院しなくてはならなくなり、枝打ちをしていない木が残ったことが残念だったという話。他人に無断で木を切られてしまって悔しかったことなど。父親の話が途切れることはなかった。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;車での移動の間にも父親とはさまざまな会話を交わした。祖母の生前、なぜ父親と祖母とがあれほどまで激しくけんかをしたのかについても、その理由を初めて聞くことができた。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;まだ幼かった私は、当時、祖母と父親とのけんかを見るたびに怖くて震えた。父親は私にとって単に怖い存在でしかなかった。時には父親を激しく憎むこともあった。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;祖母が他界すると、今度は私の父と母との間の夫婦げんかが絶えなくなった。父親は一生家族とけんかし続けて死ぬのだろうかと私は真剣に思った。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;鬼のようにしか見えなかった父親に対する印象が変化したのは、母親がリュウマチによる関節の変形のために歩行すらままならない体になってからであった。ごく最近まで、父親は自分で身の回りのことをすることはほとんどなかった。お茶を飲みたくれば「おい、茶っ」と言う。そう言えば母親は台所に足を運んでお茶を入れて持ってくる。「おい、水っ」といえばすぐに母親がコップに水を入れて父親に渡す。父親は天皇であった。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;こんな父親が、母親が病気になると急に優しくなった。母親の下の世話までまめにするようになった。母親の入浴も父親がさせた。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;母親が東京の病院で治療を受けることになってからは、母親を連れて２０回近くも夜行バスで東京まででかけてきた。片道１１時間の長旅であった。途中、２時間ごとに母親は夜行バスの中のトイレに立った。その度に父親が介助した。父親は「俺が元気なうちはお前の介護は俺がしてやる」と母親に話すという。数か月前、電話で父親はぼそっと、母親がかわいそうでならないと私に言ったことがある。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;昨年８月、家で母親が転倒し、四肢麻痺になった。それでも短期間の入院すらさせてもらえなかった。ぐにゃぐにゃになった母を抱きかかえて風呂に入れることが７６歳の父親一人にできようはずがない。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;結局、頸椎骨折の疑いがあるということが判明し、やっと１か月後に入院させてもらうことができ、緊急手術の運びとなったが。呼吸停止のためにあやうく母親は命を落とすところであった。まさに田舎の医療は崩壊である。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;３か月の闘病を終えて母親は昨年１２月２８日に退院し帰宅した。母親は自力で体を起こし、ベッドのそばに据えてあるポータブルトイレで何とか用を足せるまでに回復していた。しかし首には固いカラーが巻かれている。それに首を絞められて苦しくて仕方がないと言って母親は一日に何度もうめき声をあげた。母親は何事につけても実に辛抱強い女性であった。気が遠くなるほどに我慢強い。その母親がうめき声をあげるというのはかなりつらいのだろうと私は思った。しかし何もしてあげる術はない。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;私は１月４日に東京に帰った。その翌々日、母親はまた入院することになっていた。父親の肺に異常が見つかったためだ。父親は１月１３日に病院で再度診察を受けるという。もし父親が入院しなければならなくなったら母親の介護をする者が誰もいなくなる。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;さきほど父親から電話が入った。昨年９月に撮影した胸部レントゲン所見とほぼ同じであるのでもうしばらく様子をみようと主治医から言われたとのことであった。家族一同、胸をなでおろした。私はもう一度、父親と一緒に山林を見て歩くことができることにも一人安堵した。暖かくなる前にもう一度帰省しよう。暖かくなれば山に蝮が出、山歩きは危険になる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私に父親が残そうとしているものは遺産ではない。父親が生きてきた軌跡であり父親の思いなのだ。友人の言葉を改めて噛みしめている。&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="iblogger-footer"&gt; &lt;p style="text-align: right; font-size: 10px;"&gt;[Posted with &lt;a href="http://illuminex.com/iBlogger/index.html"&gt;iBlogger&lt;/a&gt; from my iPhone]&lt;/p&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-1834655250047995119?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/1834655250047995119/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=1834655250047995119&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/1834655250047995119'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/1834655250047995119'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2009/01/blog-post.html' title='父'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-937768907305919324</id><published>2009-01-10T17:09:00.000+09:00</published><updated>2009-01-10T17:30:11.839+09:00</updated><title type='text'>iBlogger</title><content type='html'>さきほど「iBlogger」というソフトウェアを購入した。これはiPhone用のソフトである。私はいまこのソフトを使って文章を綴っている。布団に横たわりながら。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ここ数日、体調がすぐれない。身体がだるく、少し節々が痛む。微熱も続いている。加えて、無性に眠い。年末年始の疲れが出たのだろうか。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;きょうは夕方から出かける用事が入っていたが、自宅で身体を休めることにした。外は寒さが厳しい。&lt;br/&gt;&lt;br clear="all"/&gt;&lt;div class="iblogger-location-wrapper"/&gt;Mobile Blogging from &lt;a class="iblogger-location" href="http://maps.google.com/maps?ll=35.7381,139.7502"&gt;here&lt;/a&gt;.&lt;/div&gt;&lt;div class="iblogger-footer"&gt;&lt;br clear="all"/&gt;&lt;p style="text-align:right;font-size:10px;"&gt;[Posted with &lt;a href="http://illuminex.com/iBlogger/index.html"&gt;iBlogger&lt;/a&gt; from my iPhone]&lt;/p&gt;&lt;br/&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-937768907305919324?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/937768907305919324/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=937768907305919324&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/937768907305919324'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/937768907305919324'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2009/01/iblogger.html' title='iBlogger'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-3622000922274022500</id><published>2008-12-02T21:50:00.002+09:00</published><updated>2008-12-02T22:21:42.458+09:00</updated><title type='text'>小さき者へ　有島武郎</title><content type='html'>高校時代、私は多くの小説を読んだ。ほとんどは明治から昭和初期にかけての作家の作品であった。しかし有島武郎の作品はほとんど読んだことがない。その理由が最近になってやっとわかった。要するに読みづらいのだ。文体が翻訳調であるからである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ただ、有島武郎の作品を全く読んだことがないわけではない。短編ではあるが、「小さき者へ」と「生まれいづる悩み」の２編は私の愛読書である。これらの作品は青空文庫としてネット上から手に入る。無料で読めるのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;今日の夕方、帰宅途中、青空文庫の中の「小さき者へ」を読み直してみた。次の一節は実に迫力があった。ここに引用する。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「お前たちの母親の遺言書の中で一番崇高な部分はお前たちに与えられた一節だった。若しこの書き物を読む時があったら、同時に母上の遺書も読んでみるがいい。母上は血の涙を泣きながら、賃でもお前たちに会わない決心を翻さなかった。それは病菌をお前たちに伝えるのを恐れたばかりではない。又お前たちを見る事によって自分の心の破れるのを恐れたばかりではない。お前たちの清い心に残酷な死の姿を見せて、お前たちの一生をいやが上にも暗くする事を恐れ、お前たちの伸び伸びて行かねばならぬ霊魂に少しでも大きな傷を残す事を恐れたのだ。幼児に死を知らせる事は無益であるばかりでなく有害だ。葬式の時は女中をお前たちにつけて楽しく一日を過ごさして貰いたい。そうお前たちの母親は書いている。」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;この一節がなぜ今の私の心を捕えたのであろうか。繰り返しこの一節を読むと、さまざまな想いが私の心の中を駆け巡る。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私のふたりの知人も幼子を遺して死んだ。彼女たちが生前繰り返し叫んだ無念さがこの一節の中からも溢れ出てくる。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-3622000922274022500?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/3622000922274022500/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=3622000922274022500&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/3622000922274022500'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/3622000922274022500'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2008/12/blog-post.html' title='小さき者へ　有島武郎'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-2647656411921819820</id><published>2008-11-25T10:09:00.012+09:00</published><updated>2008-11-26T10:13:37.891+09:00</updated><title type='text'>祖母</title><content type='html'>寒くなると訃報を聞くことが多くなる。私の祖父母も冬に亡くなった。祖父の命日は１月２１日。８８歳。老衰であった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;一方、祖母は祖父よりもずっと早く、６３歳で亡くなった。私が小学校２年生のときの１２月３０日のこと。やはり寒い時期であった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;当時のことは今でも鮮明に思い出すことができる。祖母が倒れた日。その日の朝、祖母は近所の農作業を手伝いに朝早くから出かけた。金柑採りであった。木枯らしの吹く寒い日であった。祖母は自宅を出る際に珍しく興奮していた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;祖母が倒れたという知らせが届いたのは日没前。一緒に農作業をしていた近所の人たちが意識のなくなった祖母を背中におぶって私の自宅まで運んでくれた。一目で中風だとわかった。祖母は血圧が高かった。高血圧にいいからと言って、長い間、野菜の汁と柿の葉の汁を飲んでいた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;祖母は囲炉裏端に寝かされた。母は献身的に看病をした。祖母が亡くなるまでの間にかかりつけの医師が３回か４回往診に来てくれたように思う。臨終の際にも立ち会ってくれた。しかし治療らしき治療は一切施さなかった。当時の医療水準からすれば術はなかったのであろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;祖母が息を引き取ったのは早朝であった。父は祖父の死を確認すると突然あわただしく動き始めた。あらかじめ準備していたらしく、てきぱきと葬儀の準備を進めた。翌日は大晦日、その翌日は元旦。父は祖母の死の翌日の大晦日に葬儀を行うことに決めたようであった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;まだ当時は電話が普及していない。父は親族に対して次々と電報を打ち始めた。「ハハ、シス。・・・・」と電話で父親は何度も繰り返してしゃべっていた。あっという間に親族一同が集まった。祖母は実家の裏山にある墓地に埋葬された。土葬であった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;葬儀の後の会食が終わると親族は次々と帰宅し始めた。翌日は元旦であった。叔父夫婦もその日のうちに帰宅するという。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;何を思ったのか私はその叔父に対して「おんちゃんの家に一緒に行く！」と言って、実家からバスと汽車を乗り継いで２時間ほどかかる叔父の家までついていった。そして叔父の家で３泊した。祖母の葬儀のあとひっそりとなるにちがいない実家にじっとしているのが当時の私には寂しくて我慢ができなかったのであろう。叔父の家では従兄弟たちと楽しい時間を過ごすことができた。気分は晴れなかったが、祖母の死の悲しみからわずかでも気を紛らすことができた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;叔父の家は中土佐町久礼にあった。「土佐の一本釣り」で有名になった海辺の小さな漁港だ。叔父の家は海に面していた。堤防の向こうに雄大な土佐湾が見渡せた。私の実家は山村にあったから、海を見ることはめったになかった。海に慣れない私は激しく打ち寄せる波が怖かった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;堤防の上に上ると風が強い。そばに立っている叔父に向かって私はふっと次のような質問をぶつけた。「風はなぜ吹くが？」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;間をおいて叔父はゆっくりとしゃべり始めた。「地球上のあるところに空気がない場所ができて、そこに空気が流れ込むと風になる。」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;幼い私は不思議に思った。空気がない場所ができたならばそこで暮らしている人たちは窒息してしまうのではないだろうかという素朴な疑問を持ったのだ。しかしこの疑問を私は叔父にぶつけることはしなかった。怖い答えが返ってくるのではないかというおぼろげな不安感のためであったように思う。「そうなんだよ。だから地球上のあちこちで、窒息のためにどんどん人が死んでいるんだよ。」こんな答えが叔父から返ってくるような気がしたのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;祖母が倒れた日の朝に祖母が興奮していた理由を私が知ったのは、祖母の死から３か月ほどしてからのことであった。祖母が倒れた日の朝、家を建て替えると父は祖母に告げたらしかった。祖母の生前、祖母と父とはたびたび口論をしていた。気性の激しい父は怒ると祖母に暴力を振るうこともあった。父は貧乏から這い上がろうと無我夢中であったのだろうと今の私は当時の父の気持ちを擁護することもできるが、その頃の私は父をただ恐れ憎んだ。祖母が亡くなると、祖母と激しく口論してばかりで親孝行できなかったことを父はひとり悔やんでいるようであった。家を建て替えることを祖母に知らせることができたことだけでもよかったと繰り返し父は家族に話した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;当時の私の実家はわらぶき屋根のおんぼろ屋敷であった。四角い柱はほとんどなかった。虫に喰われ、どの柱も円くなっていた。それに暗かった。台風や地震のときには家全体が大きく揺れた。家が揺れるたびに祖母は大声で「ほー、ほー」と叫んだ。何かのお呪いであろうと私は思った。蛇やムカデが家の中に入ってくることもよくあった。ムカデに噛まれたことも一度や二度ではなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;新しい家が落成したのは祖母の死の翌年の８月。その晩、私の姉と私のふたりは新居の床の間で寝かされた。当時、その地域ではひとつの儀式であったらしい。夏ではあったが、まだ畳も敷かれておらず、すきま風も入ってくる。このように開けっぴろげの場所で子供をふたりきりで寝かせるということは今の東京では信じられないことであろう。少し寂しかったが、私は心地よい檜の匂いに包まれていつしかぐっすり眠ってしまった。翌日は朝から快晴であった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;祖母が亡くなって４４年経った。祖母の死はまだ昨日のことのように思い出される。祖母は私の記憶の中で今も生き続けている。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-2647656411921819820?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/2647656411921819820/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=2647656411921819820&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/2647656411921819820'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/2647656411921819820'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2008/11/blog-post_25.html' title='祖母'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-5105421569449385890</id><published>2008-11-16T16:25:00.002+09:00</published><updated>2008-11-16T17:26:37.948+09:00</updated><title type='text'>軽井沢</title><content type='html'>私は、毎年、夏休みを家族と一緒に軽井沢で過ごす。そして軽井沢から一泊か二泊であちこちに出かける。今年は白馬の八方池まで足を伸ばした。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;白馬山麓駅からケーブルカーとリフトを乗り継いで山を登る途中に長野オリンピックでの大滑降の競技場があった。長野オリンピックが開催されたのは1998年。ちょうどこの直前に長野新幹線が開通した。そしてその数か月後に息子が生まれた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;八方池に行くにはケーブルカーとリフトを乗り継いだあと更に１時間ほど歩かなければならない。私たちは山の裾野に広がる白馬の町や遠くかすむ北アルプスを眺めながらゆっくり山を登った。田園の中に広がる白馬の町は私たちが２年間住んだことのあるドイツを思い出させた。その光景は南ドイツにあるNeuschwanstein城から眺めたドイツの小さな町にそっくりであった。私はときおり足を止め高山植物をカメラに収めた。写真を撮り終わると先を行っている家内と息子に追いつこうと走った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;その晩、私たちは白馬の町にある小さなペンションに宿泊した。昨年も一昨年も白馬に一泊した。入浴をすませて宿泊客一同そろって夕食。そのペンションに当日宿泊していたのは家族連ればかりであった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;翌日は雨。私たちはそのペンションを出て鬼無里に向かった。そこには「いろは堂」というおやきの店がある。この店のおやきは東京のデパートでも見かけることがあると家内から聞かされていたが、デパートで買うおやきとこの店で食べるおやきとでは味が全く違うのではなかろうか。いろは堂でおやきを食べて以来、これまでに私たちは何度もこの店を訪れた。和服姿のおかみさんがいつも快く私たちをもてなしてくれる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;おやきを食べ終わってもまだ雨は降り続いていた。私たちはその日、戸隠で歩きながらいくつかの湖めぐりをする予定であったが断念するほかなかった。戸隠ではちびっこ忍者村を訪れたあと車で鏡池に立ち寄った。ちびっこ忍者村にも鏡池にも私たちは何度か来たことがあったので長居することはなく、軽井沢に戻ってきた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;軽井沢では、私たちは雑踏の中にほとんど足を踏み入れない。小諸にある農園でブルーベリー狩りやリンゴ狩りをしたり、その農園にある釣り堀で鱒釣りをしながら時間を過ごすことが多い。釣った鱒はその場で塩焼きにしてもらう。松井農園の職員の方々ともすっかり顔なじみになった。平素お世話になりながら義理を欠いている方々に今年はその農園からぶどうやりんごを送ってもらった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;息子はあっという間に１０歳になった。もうすぐ思春期を迎える。私たちが揃って家族旅行にでかけることができるのも、もうそう多くはないであろう。親として自分の子に残せる最大の遺産は家族で過ごした楽しかった思い出であろうと私は思う。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-5105421569449385890?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/5105421569449385890/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=5105421569449385890&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/5105421569449385890'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/5105421569449385890'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2008/11/blog-post.html' title='軽井沢'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-5279507352182965735</id><published>2008-07-31T23:34:00.013+09:00</published><updated>2008-08-01T01:29:01.975+09:00</updated><title type='text'>死</title><content type='html'>きょう私に一通の手紙が届いた。赤のボールペンで「親展」と書かれていた。宛名書は筆字であった。差出人は私の知人のお母様。黒のボールペンで綴られた２枚の便せんが入っていた。知人の死を私に知らせる内容であった。娘の死の模様が淡々と述べられていた。私は繰り返しその手紙を読み直した。私は深い悲しみに捕らわれた。しかしその知人の死が意味のないこととは感じなかった。これから永遠に続く安らかな眠りは、その知人がこの数年の苦しみにじっと耐えてきた我慢の当然の代償のように思われた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;帰宅途中、週刊誌の中吊り広告が目に入った。「”死にたい人”には重労働を」という文字が私の目を引きつけた。有名な作家の投稿記事であった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;人は必ず死ぬ。どれほど生き続けたくてもいつかは必ず死ぬ。しかも死ぬ時期や死に方を選ぶ自由など誰にも与えられてはいない。死にゆく人にとっても家族にとってもほとんどすべての死は望まざるものであり、死に方もまた望まざる死に方なのだ。せめて残された人たちは、愛する者の死に価値を見いだす努力をしなければならない。たとえその死がいかなる死であったとしても・・・。死に対して意味を与えるのは死んでいく人だけの責務ではなく、死にゆく人と残される人たちとの共同作業であるべきではなかろうか。&lt;div&gt;&lt;br /&gt;その中吊り広告を眺めながら、そんな考えがふっと私の頭をよぎった。&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-5279507352182965735?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/5279507352182965735/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=5279507352182965735&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/5279507352182965735'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/5279507352182965735'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2008/07/blog-post_31.html' title='死'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-2367868958043683031</id><published>2008-07-29T11:28:00.019+09:00</published><updated>2008-08-01T01:05:58.773+09:00</updated><title type='text'>祖父</title><content type='html'>私は祖父母に育てられた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;喜怒哀楽の激しかった祖母とは対照的に祖父は実に温厚であった。８８歳で老衰のため亡くなるまで私は祖父が怒ったり嘆き悲しむ姿を一度たりとも見たことがなかった。私が物心ついた頃、祖父は既に隠居していた。そして小遣い稼ぎに家で竹箒を作ったり畚（ふご）と呼ばれる農作物の入れ物をワラで編んでは近所の雑貨屋に持っていって売っていた。ひとつ５０円か１００円で買い取ってくれるということであった。竹箒や畚を古い自転車の後部座席に乗せて店に納品するために出かけていく際の祖父のガニ股姿が今でも鮮やかに思い出される。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;祖父はまた、近所の人に頼まれ、雑木林の伐採にもよく出かけた。私は保育園から帰ると祖父の仕事場を訪ねてはじっと祖父の作業を見つめていた。そんな私のために祖父は休憩時間を利用して切った雑木を削って刀や剣を作ってくれた。竹とんぼを作ってくれたこともあった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そんな雇われ仕事をしている期間中も風呂の湯沸かしは祖父の役目であった。当時のわが家の風呂は五右衛門風呂。祖父は薪を炉の中に投げ込んだあと「吹き」と呼ばれる竹製の筒で火を煽った。何かの拍子に火が消えると、私も祖父のまねをして「フー、フー」と思い切り「吹き」を吹いた。過換気症状が出て、時折、頭がぼうっとなった。風呂が沸くまで私はじっと祖父の側に座り火が燃えるのを眺めていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私に初めて漢字を教えてくれたのも祖父であった。当時の私の自宅には囲炉裏があった。囲炉裏の側にあぐらをかいて座っている祖父の膝の上に私はよく乗った。私を膝の上に乗せた祖父は「松」という文字と「杉」という文字を火箸を使って囲炉裏の中の灰に書いてくれた。祖父は何度も私に漢字を教えてくれたが、囲炉裏に書く字は毎度毎度「松」と「杉」だけであった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;祖父は酒が大好きであった。特に焼酎を好んだ。焼酎を一口飲み込むたびに舌鼓を打った。祖父はまたよく眠った。昼間から酒を飲んでは眠り、飲んでは眠り、の毎日であった。時折、私には聞き取れないような小さい声で歌を歌っていることもあった。７０歳を過ぎてから亡くなるまでの間、祖父はずっとそのような生活を続けた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ある日、酒とジュースとどちらがおいしいかと私が祖父に尋ねたことがある。そのとき祖父はためらいもせず「酒の方がおいしい」と答えた。まだ小学生であった私にとっては驚きであった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;祖父は１週間に１〜２升飲んだ。戦死した長男（私の父の兄）の恩給がほとんどすべて祖父の酒代に消えた。しかしそんな祖父を父が止めることはなかった。「年寄りは自分の好きなようにすればいい」というのが父の口癖であった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;祖父の晩年は穏やかであったと思う。しかしこんな祖父も大借金を背負って苦労したことがあるということをつい数年前に近所の老婆から聞かされた。親類の借金の保証人になっていたところその親類が死んでしまったのだという。その当時、近所の人たちはこれでわが家はつぶれるだろうとささやきあっていたという。しかしその老婆が言うのには、祖父は律義にその莫大な借金をきちんと返したらしい。いまわが家が栄えているのは私の祖父の積んだ徳のおかげだとその老婆は私に語った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私はこの話を祖父からも父からも聞かされたことはない。おそらく父が死ねばこの話は永遠にこの世から消え去ってしまうであろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;話は変わるが、私は、中学校、高校、大学と、ずっと私学に通った。地元の小学校から２０キロほど離れた私立の中学校を私が受験しようとしたとき、父は猛反対した。わが家が貧しかったことが大きな理由であったのではなかっただろうか。入学試験の前日の晩も父と私は激しく口論した。そのとき、私の希望を入れて受験させてもらえたのは祖父の後押しのおかげであった。私は泣きはらした顔で受験会場にでかけた。大学に入学するときもそうであった。父は国立大学に進学するようにと私に言った。しかし私は私立大学への進学を希望していた。その歳にも祖父は私の希望を叶えてあげるようにと父に告げるとともに、祖父の財産を全て売ってもいいと言ったという。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私の大学入学試験の合格発表日、私は帰郷せず東京にいた。夕方、私は合格発表の掲示板を見に三田まででかけた。自分の受験番号があるのを確認し、自宅に電話をかけた。そのとき、その朝に祖父が富士山と茄子の夢を見たという話を父から聞かされた。ちょうどその日の午後、行商人が鷹の置物を売りにやってきたのでそれを買ったと言った。「一富士二鷹三茄子」のすべてが揃ったのだ。なんという偶然であったのであろうか。わが家には既に鷹の置物があった。わが家の神棚には古くからあった鷹の置物とその日に買った鷹の置物とが今も並べて置かれている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;祖父が亡くなったのは私が大学を卒業する年の１月２１日であった。その前日、東京にいる私に父から電話が入った。しかし父は特に用件を告げることもなく電話を切った。実はそのとき祖父は既に危篤状態になっていた。しかし私の国家試験の妨げにならないようにと父はそのことを私に告げなかったのだ。事情を知らない私は友人宅に泊まりにでかけた。しかし友人宅で勉強していてもなぜか心が落ち着かない。じっと本を読むこともできない。体の置き場所がない。だるい。そんな状態がずっと続いた。当時は携帯電話がなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私はひょっとしたらと思い友人宅から実家に電話をかけた。受話器を取ったのは伯母であった。伯母は私の声を聞くなり「今どこにおるがでえ！　おじいちゃんが死んだのに幸伸は何をしゆう！　いま葬式の最中でえ！」と大きく叫び電話の向こうで泣き崩れた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;祖父の死を知った途端、私の体のだるさはとれた。不思議な体験であった。あの体調不良は祖父から私への死の知らせであったのであろうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;祖父の死は私にとっても悲しい出来事であった。私も泣いた。しかし不思議と悲しみは少なかった。むしろ祖父を讃える気持ちが強く私の心の中で湧き上がってきた。８８歳、大往生ではないか！　苦労多き８８年の人生をひっそりと静かに閉じた祖父を私は讃えた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私が墓参りのために実家に戻ったのは国家試験が終わったあとの春のことであった。祖父の墓前で私は詫びた。私をことのほか可愛がってくれた祖父の死に目に立ち会うことができないばかりか葬式にすら出席できなかったことは、その後、長く私を苦しめることになった。今週末、私は祖父母の墓参のために帰省する。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-2367868958043683031?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/2367868958043683031/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=2367868958043683031&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/2367868958043683031'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/2367868958043683031'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2008/07/blog-post_29.html' title='祖父'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-8836613732310706912</id><published>2008-07-22T16:27:00.020+09:00</published><updated>2008-11-16T16:25:49.461+09:00</updated><title type='text'>生きてありて</title><content type='html'>&lt;div style="text-align: justify;"&gt;高知市のメインストリートは今も路面電車が走っている。このメインストリートを車で走るとひっそりと身を隠しているかのような南病院の建物が目に入る。この小さな病院に私はかつて入院したことがある。小学校２年生のときであった。確か９月。秋の運動会の前であった。病名は自家中毒（周期性嘔吐症）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;入院する２週間ほど前、食欲不振、嘔気、全身倦怠感が出現。私の実家のある土佐市内の小児科を母に連れられて何軒か受診した。しかし、どこでも「寝冷え」と診断された。そして特別の治療を施されることもなく家に帰された。そうこうするうちに病状はどんどん悪化していった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;しかし私は体調の悪さをおして毎朝登校した。自宅から小学校までは１キロ半ほど。その頃はまだバス通学をしていた。午前中はなんとか授業を受けることができた。しかし午後になると全身がだるく立っていることすらままならない。毎日のように自転車の後部座席に乗せられて教頭先生に自宅まで送ってきてもらった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;症状が出てから２週間ほど経った頃、嘔気が強く、とうとう食事がとれなくなった。そして、もう翌日は学校に行くのは無理と思われた。ちょうどその晩、評判がいいという小児科の話を近所の知り合いから父親が聞いてきた。その病院が南病院であった。翌日、私はその近所の知り合いの車に乗せてもらって自宅から３０キロほど離れた南病院を受診した。当時、私の家には私が横たわって乗ることができる乗用車はなかった。病院での最初の検査は検尿であった。母親に支えられて尿の採取をしたことまでは憶えていた。しかしその直後に意識がなくなったようだ。洗面所を出たことすら記憶がなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私が病室のベッドの上で目覚めたのは午後２時か３時であったと思う。周囲は明るかった。ふっと振り返ると母親が私のベッドの側にじっと座っていた。母親は私の意識が戻ったのに気づくと主治医や看護師に連絡することもなく、「受診するのがあと３日遅かったら死んでいたと言われた」と淡々と語った。そして３日間意識がなかったと告げた。当時から私の母は喜怒哀楽をほとんど表情に出さない女性であった。その日も同様であった。母の表情からは喜びも悲しみも感じ取ることはできなかった。まだ７歳であった私も自分の死が迫っていたことに大した恐怖も感じなかった。意識が戻った翌日、私はクラスメートから届けられていた見舞いと励ましの手紙をベッドの中で読んだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;意識が戻ったあとの私はあっという間に元気を取り戻した。体のだるさも嘘のように吹き飛んだ。私は病院の中で片時もじっとしていることができなかった。当時、木造であった病院の階段を走り回っていた記憶が今も鮮明に残っている。意識が回復してから３日後に退院したが、その３日間は当時の私には気が遠くなるほど長い時間であった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;周期性嘔吐症は小児科医であれば誰でも知っている病気である。私の症状も定型的な周期性嘔吐症であったと思う。だから、なぜもっと早く正確な診断が下されなかったのだろうかと思う。しかしその一方で、自宅から遠く離れた南病院を紹介されたことも奇跡だと思う。私自身が医療に携わるようになって以来、私は診療行為はロシアンルーレットのようなものだとずっと思っている。そうはっきりと患者に告げることもある。医療には１００％ということはない。逆に０％ということもない。たとえば薬を投与しても必ずしも効果があるとは限らない。副作用が出るだけのこともある。手術に関してもしかり。リスクのない手術はない。「その手術は安全ですか」と私に真剣に問いかける患者に対して私はどのように答えようかといつもとまどう。医療行為のなかに安全なものなどあるはずがないではないか。医療行為の結果はある程度、確率論的なものでしかない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;長い間、医療は精神論で語られてきた。何か問題が起きるたびに医療を提供する側に全責任がかぶせられ、医療提供者の心がけだけで安全な医療が提供できるという神話がまかり通ってきた。患者はこの不毛な神学論争に片足を突っ込んだまま、さびれゆく日本の医療の現状に単に慌てふためいているだけのように私には見える。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;男性の平均寿は８０歳に近づいている。そんな今、私が生きていることは決して不思議ではない。しかし必然のことでもない。高校時代の同級生もすでに何人かは亡くなった。単なる確率の問題なのだと自分自身は考えている。そんなふうにしか考えない私は生に対して淡泊すぎるのであろうか。&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-8836613732310706912?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/8836613732310706912/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=8836613732310706912&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/8836613732310706912'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/8836613732310706912'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2008/07/blog-post.html' title='生きてありて'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-4351347679302578249</id><published>2008-06-16T10:42:00.009+09:00</published><updated>2008-06-18T21:10:30.529+09:00</updated><title type='text'>父の日</title><content type='html'>&lt;a onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}" href="http://3.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/SFj7MBgwiAI/AAAAAAAAAYA/busEsf7BwbE/s1600-h/P1030782.JPG"&gt;&lt;img style="margin: 0pt 10px 10px 0pt; float: left; cursor: pointer;" src="http://3.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/SFj7MBgwiAI/AAAAAAAAAYA/busEsf7BwbE/s200/P1030782.JPG" alt="" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5213192752664184834" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}" href="http://3.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/SFj6_8xxMJI/AAAAAAAAAX4/vockPp1Dfis/s1600-h/P1030779.JPG"&gt;&lt;img style="margin: 0pt 10px 10px 0pt; float: left; cursor: pointer;" src="http://3.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/SFj6_8xxMJI/AAAAAAAAAX4/vockPp1Dfis/s200/P1030779.JPG" alt="" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5213192545234923666" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;昨日の日曜日は父の日であった。息子が塾に行っていた昼過ぎに私は自宅を出て大学に向かった。貯まっている雑用を片付けるためである。帰宅は深夜になった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私が家の前にたどり着いたとき、ふと目に入ったのは、我が家の花壇に新しく植えられていた花であった。薄暗かったのでよくは見えなかったが、美しい花を咲かせていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;家に入ると家内と息子は既に寝ていた。食卓の椅子に座ってふとテーブルの上を見ると、厚紙を切って作った数センチ四方の厚紙が５枚置かれていた。それには手書きで「マッサージ５分」と書かれていた。多分、その「チケット」１枚で５分マッサージをしてくれるという意味なのであろう。思わず私は微笑んだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;今朝、息子は私がまだ寝ている間に出かけた。したがって息子には布団の中からマッサージ券のお礼を言っただけであった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;朝食の最中、昨夜息子は私の帰りを待って夜遅くまで起きていたと家内から聞かされた。そして、昨日の昼間、「パパがよろこぶだろうね」と言いながら花壇に花を植えていたという話をした。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;昨日の朝、息子が出かけた後、私は家内から父の日にまつわるちょっとした笑い話を聞かされていた。父の日に息子が３枚のマッサージ券を父親にプレゼントした。喜ぶ父親に向かってその息子はこう言った。「パパ、その券の注意書きをよく読んでよね」。そのマッサージ券には「この券４枚でマッサージを１回受けられます」と書かれていたというのだ。私の息子は塾への出がけに家内にこの笑い話をしながら「僕もそうしようかな。４枚目は今度のパパの誕生日にあげようかな」と話していたということであった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;昨年までは父の日のプレゼントも母の日のプレゼントもなかった。父の日と母の日に息子がプレゼントをくれたのは今年が初めてである。息子は昨年から少し成長したのであろう。しかし、息子が思春期を迎えると、また少なくとも父の日の贈り物はなくなるかもしれない。そうなったとしても、それもまた息子のひとつの成長の証なのだろうと思う。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-4351347679302578249?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/4351347679302578249/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=4351347679302578249&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/4351347679302578249'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/4351347679302578249'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2008/06/blog-post.html' title='父の日'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://3.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/SFj7MBgwiAI/AAAAAAAAAYA/busEsf7BwbE/s72-c/P1030782.JPG' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-4131889554831725293</id><published>2008-04-12T12:04:00.020+09:00</published><updated>2008-04-15T20:14:23.753+09:00</updated><title type='text'>縁遠い女性</title><content type='html'>つい数日前のことである。昼休みに職場で立ち話をした女性の知人から彼女の友人の縁談のお世話を頼まれた。一人は35歳の女性。以前はスチュワーデスであったが、今は外資系の企業の役員秘書をしているという。もう一人は31歳。現役のスチュワーデス。二人とも仕事の性質上海外経験が多いので、相手の男性も商社マンか医師がいいという。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;その晩、私は早速心当たりを探してみた。2人の男性を知人に紹介してもらった。ただ、その2人の男性の性格や社会的ステータスを考えると、まず女性の側から身上書を預かった方が適切だと考えた。私自身もそれらの女性とは面識がないのだ。そこで私に紹介を依頼した女性にその旨を伝えた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ところが、ところが、である。彼女が返してきた言葉は私をびっくり仰天させるものであった。その男性たちの写真を見せろと彼女は私に言ったのだ。彼女自身も以前はスチュワーデスであったが、彼女の価値も推して知るべし。今の30代女性の異常感覚を垣間みた気がした。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;2人の独身女性は社会的に高いステータスの男性を結婚相手として望んでいるという。ならば、自分自身がどれだけ社会的マナーを身につけ教養があるのかをまず示すのが先であろう。そして彼女たちが「ステータスが高い」と思う男性とつりあうだけの価値を持った女性であることをアピールすべきであろう。彼女たちは社会に出て既に10年あるいはそれ以上経っているのだ。その間の人間的な成長を証明するひとつの手段として私は彼女たちに身上書を渡してくれるようにと依頼したのだ。しかし私が知りたいのは、身上書に書かれた彼女たちの学歴でも、家柄でも、職業でも、年収でもない。「今の」彼女たちの真の価値だ。身上書を巡るやりとりのなかで見える彼女たちの人柄や教養、マナー、そして価値観である。加えて、彼女たちに紹介しようと考えている2人の男性から私は独身女性の紹介を頼まれたわけでもない。私の側からその2人の男性にお願いしなければならないのだ。私とすら面識がない縁談を依頼してきた女性側が身上書も提出しないまま、逆に男性の写真をまず見せろという感覚が私には理解できない。いや、そんな非常識を理解しようとも思わない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;世の男性よ、職業や肩書きでしか男の価値を測れない女性を叱れ！&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-4131889554831725293?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/4131889554831725293/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=4131889554831725293&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/4131889554831725293'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/4131889554831725293'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2008/04/blog-post_12.html' title='縁遠い女性'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-972244596145310172</id><published>2008-04-12T10:44:00.009+09:00</published><updated>2008-04-12T12:36:22.963+09:00</updated><title type='text'>文旦</title><content type='html'>文旦は土佐の特産品だ。毎年２月か３月になると高知に住む両親からこの文旦が送られてくる。家内も息子もこの文旦が大好きで、私が職場から帰宅するたびに文旦が１個２個と減っており、私はほとんど口にできないままなくなってしまう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;３年前からは中学・高校時代の友人も毎年文旦を送ってくれる。彼が送ってくれる文旦は彼の自宅で栽培している文旦だ。少し皮は厚いが味は最高。それに無農薬。あまりに美味しいので、今年は日頃お世話になっている方々にも送ってもらった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ただ、彼からこの文旦が届くたびに私は少し寂しい気分に捕われる。彼のお母様が交通事故で急死したとの連絡を受けた晩のことを思い出すからだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;彼のお母様は３年前に亡くなった。亡くなるその日、お母様はお父様が運転する車の助手席に乗って高知市内に買い物に出かけた。事故が起きたのはその帰り道であった。運転中、お父様の運転する車がセンターラインをオーバーし対向車と正面衝突した。私の実家から３キロほど離れた場所であった。お母様は即死。お父様も重傷を負った。いまも自由には動けない身である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;お母様が亡くなったことを入院中の病院で知った彼のお父様は嘆き悲しみ、「自殺したい」とベッドで泣き叫んだという。彼は１か月間ほどお父様につきっきりであった。彼から電話を受けたのは事故から数日後であった。夜10時頃、暗くなった病院の片隅から電話をかけてきた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;彼は冷静に事故の模様を私に語った。そして、父親は急に目の前が真っ暗になったと言っている。それは嘘ではないと思われるが、そのようなことがなぜ起きたのか医学的に説明できないかと私に尋ねた。彼のお父様は不整脈があった。私は、医師の立場から私の推察を述べた。私が述べたことも少しは役立ったのであろうか。彼のお父様は不起訴処分になった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;お母様が亡くなって以来、彼は２週間に１回、週末を利用して名古屋から高知に帰る。そして身体の不自由なお父様を介護するとともに農作業をする。この週末も彼は高知で農作業をしているというメールを昨日彼から受け取った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;彼からはたびたびメールをもらうが、いつも母親を失った悲しみが溢れている。高知空港に降り立つと彼は母親の死から３年経った今も寂しくて仕方がなくなるという。「もんたかえ」（帰ったかね）と言って出迎えてくれるご両親の姿がないからだ。彼はバスや汽車を乗り継いで空港から一人で自宅に向かう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私の母親は慢性関節リウマチと骨粗鬆症があり、自宅で転倒してからは腰痛のため歩くことができない。そんな母親を父親が介護している。そうであっても両親が揃っている私がうらやましいと彼は言う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「俺は一生親孝行をするぞ！」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;以前彼からもらったメールにはそう書かれていた。彼の２人のお嬢さんは今年揃って就職した。あと一人ご長男が独立できるめどが立てば、現在勤めている会社を辞めて高知の実家に帰るという。お父様の面倒をみるためである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;彼から私の自宅に文旦が届けられるたびに家内と息子は喜ぶ。それは彼も望んでいることであろう。しかし私の心情はそう単純ではない。ただ、私は私の悲しみを自分の家族に知ってもらいたいとも理解してもらいたいとも思わない。家族にはただ文旦の味覚を楽しんでもらえればいい。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-972244596145310172?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/972244596145310172/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=972244596145310172&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/972244596145310172'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/972244596145310172'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2008/04/blog-post.html' title='文旦'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-516690711001441163</id><published>2008-03-23T22:32:00.022+09:00</published><updated>2008-03-24T09:04:06.180+09:00</updated><title type='text'>恥ずかしい記憶</title><content type='html'>誰でもひとつやふたつ二度と思い出したくない恥ずかしい記憶があるであろう。これから私が書こうとしていることもそんな思い出である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私の医師１年目のことであった。研修医になったばかりの私を大先輩（当時、専任講師）が食事に連れて行ってくれた。場所は記憶にないが居酒屋風の店であった。ただし案内されたのは個室（座敷）であった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;その大先輩と私と２人で食事するわけではないことを席に着いたあと私は初めて聞かされた。私たちが雑談を交わしながらお酒を飲み始めた直後、ふすまがすっと開き、２人の女性が現れた。一人は年齢50歳程度、もう一人はうら若い色白の女性であった。その若い女性は鮮やかなブルーのスーツを着ていた。（彼女はブーツを履いていたので、この出来事は秋頃のことであったのかもしれない。）黒髪の美しい色白の美人であった。当時まだうぶであった私はまばゆいばかりのその美しさにどぎまぎしたのであろう、彼女を顔を正視することができなかった。したがって面長で色白の美人という印象しか残っていない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;その若い女性は私と同じ病院に勤務する薬剤師であるということであった。そして50歳前後と思われた女性は彼女の上司であった。私の大先輩とは親友であるらしかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;その若い女性と私とはほとんど聞き役であった。彼女を意識したという理由だけではなかったが、緊張して私はほとんど口を開くことがなかった。彼女も同様にじっと大先輩2人の話に耳を傾けていた。私の大先輩と彼女の上司とはずっと前からの知人であったようだ。実に楽しそうに話をしていた。が．．．。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;毎日忙しい研修医生活を送っていた私は少しお酒が入ったこともあって急に睡魔に襲われた。そしていつしか眠ってしまった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「おい、起きろ！　帰るぞ」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;という大先輩の声で私は目覚めた。１時間以上眠っていたのであろうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ところがである。私はなんと口角から少し涎を垂らしていたのだ。気づかない振りをしながら手でその涎を拭った。その若い女性は気づいてか気づかずか私の方をじっと見ることはなかった。表情も変えなかった。しかしすでに後の祭りであった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;いま振り返ると、あれはやはり非公式なお見合いであったと思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「私の部下にとてもいいお嬢さんがいるんだけど、お婿さんに誰かいい男性はいない？」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「おお、そうか。じゃあ、今度食事するときにうちの若いのをひとり連れて行くよ」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そんな話のなかでセッティングされた場であったに違いない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;上品でスタイルのいいうら若い女性。そして鮮やかなブルーのスーツ。今も鮮明に記憶に残っている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;これらと私の涎とを結びつけるものは単に単に恥ずかしさだけである。懺悔&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;（この話はすべて事実である。作り話ではない。またこの話に出てくる大先輩は後々まで私をかわいがってくれた。この大先輩は私の留学中に亡くなった。15年前のことである。留学前にこの大先輩の病室を訪れたとき、倒れる直前にこの大先輩が私のことをとても心配してくださっていたことを奥様から聞かされた。その話を聞き、私は病室の前の廊下で泣き崩れた。大粒の涙を流しながら大声で泣いた。奥様もいっしょに泣いていた。生涯忘れることのできない悲しい出来事であった。私がこの大先輩の墓参にでかけたのは３周忌のときであった。私はかけがえのない心の支えを失ったことに気づかされた。大きな支えを失ったのは奥様だけではなかった。）&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-516690711001441163?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/516690711001441163/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=516690711001441163&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/516690711001441163'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/516690711001441163'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2008/03/blog-post_23.html' title='恥ずかしい記憶'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-8115763268971526021</id><published>2008-03-22T22:25:00.010+09:00</published><updated>2008-03-23T22:32:01.357+09:00</updated><title type='text'>バレンタインデー</title><content type='html'>私の年齢の多くの男性ににとってバレンタインデーはもはや興味の対象ではないであろう。私も当事者としてバレンタインデーに興味を持つことはない。しかし第三者としては興味がないことはない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;女性が自分の恋心を男性に告白する日。その恋心と一緒に男性に贈るチョコレートは「ラブチョコ」と呼ばれる。（「ラブチョコ」などという言葉は聞いたことがないとついさっき知人から叱られてしまったが。）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私の高校時代、女性に実によくもてる男が何人かいた。バレンタインデーに彼らはいろいろな女性から籠一杯のラブチョコをもらい、重そうに抱えながら自宅に持って帰っていた。なかには、食べきれないからと、もらったチョコレートをクラスメートに分け与えている者もいた。当の私は、中学・高校の６年間の間に一個たりともラブチョコなるものをもらったことがない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;高校２年生のときであったと思う。バレンタインデーの日の午後のこと。私は校舎と校舎とをつなぐ渡り廊下にぼんやりと立っていた。すると、ある女性が恥ずかしそうに私に近寄ってきた。彼女はしばらくの間もじもじしていた。私は何のことかわからない。彼女はしょうがないと意を決したのか、申し訳なさそうな表情を浮かべながら次のように私に言った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「あの、ちょこっとこの場所を空けてくれますか。」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ふと左側を振り向くと私に背を向けながひとりの男が立っていた。クラスメートであった。元の方向に視線を戻すと彼女の数メートル後方に別の女性が真っ赤に顔を染めて恥ずかしそうに立っているのが目に入った。私のすぐ目の前に立っている女性は、自分の女友だちのために今回の仲介役を果たそうとしていたのだ。やっと私にも事情が理解できた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私は「すみませんでした」と言っていそいそとその場を立ち去った。立ち去り際にちらっと後方を振り向くと、赤面し恥ずかしそうにしながら彼女は私のクラスメートにチョコレートの箱を渡していた。彼がその日受け取ったチョコレートは紛れもなくラブチョコであった。しかし彼女とは対照的に彼は全く無表情であった。&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;私のクラスメートとその女性とのつきあいがそれをきっかけとして始まったという話は私の耳には入らず終いであった。私から誰かにふたりの関係について尋ねることもなかった。そのクラスメートは女性によくもてた。女性はクラスが違ったが、彼女も男子生徒にとても人気があった。したがって私にはふたりが結び合っていかないのが不思議であった。だが、いずれにしろ私からは遠い世界のできごとであった。当時の私にとってはふたりの関係がどうなろうと羨望の対象にも嫉妬の対象にもなりようがなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;この出来事は今も鮮明な記憶として残っている。このことを思い出すたびに私は今でもただただ恥ずかしくなるばかりである。たとえ偶然とはいえ、ふたりの「密会」の場所に出くわしてしまったのだ。土足で他人の家に上がり込んだようなものである。&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-8115763268971526021?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/8115763268971526021/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=8115763268971526021&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/8115763268971526021'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/8115763268971526021'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2008/03/blog-post_22.html' title='バレンタインデー'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-5884840745461462263</id><published>2008-03-01T11:18:00.010+09:00</published><updated>2008-03-23T01:21:10.966+09:00</updated><title type='text'>終業式の季節</title><content type='html'>&lt;a onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}" href="http://4.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/R8jCInSPdcI/AAAAAAAAAXw/T5bWDSzNaTM/s1600-h/IMG_0401.jpg"&gt;&lt;br /&gt;&lt;img id="BLOGGER_PHOTO_ID_5172597625275250114" style="FLOAT: left; MARGIN: 0pt 10px 10px 0pt; CURSOR: pointer" alt="" src="http://4.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/R8jCInSPdcI/AAAAAAAAAXw/T5bWDSzNaTM/s200/IMG_0401.jpg" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;きょうは土曜日である。しかし息子は昼前に学校にでかけるという。午後１時から開かれる算数の公開授業に参加するらしい。この授業を担当するのは算数を教えてくださっている坪田先生だと聞いた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;坪田先生という名前を私は初めて耳にした。この先生は教育界では算数の教育者として名を知らない人はいないらしい。この坪田先生が今年を最後に定年退職される。きょう開かれるのはその記念授業なのだという。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;なぜ息子のクラスが記念授業の対象に選ばれたたのか私は知らない。しかし家内は、息子のクラスは算数がよくできるからだと勝手に思い込んでいるようだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;確かに息子は算数がよくできる。息子はまだ３年生であるが私は計算能力ではもうかなわない。息子の算数の宿題は私よりも息子の方が早く解ける。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;先日、「ジャマイカ」という算数のゲームを息子とやってみたが、私はほとんど勝つことができなかった。先日、８対１で４年生を負かしたと聞いたが、確かにそうだろうと思った。数字が表示されるとたちどころに息子は答えを見つける。私は何分もかかる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;３年間のうちに心身ともに大きく成長した息子の姿は、まだ幼くひ弱だった小学校入学の頃の面影をほとんど残さない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;写真は、息子の小学校入学式の当日撮影したものである。校庭には桜の花びらが舞い散っていた。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-5884840745461462263?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/5884840745461462263/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=5884840745461462263&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/5884840745461462263'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/5884840745461462263'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2008/03/blog-post.html' title='終業式の季節'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://4.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/R8jCInSPdcI/AAAAAAAAAXw/T5bWDSzNaTM/s72-c/IMG_0401.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-1713885665497806136</id><published>2008-02-27T14:46:00.004+09:00</published><updated>2008-03-03T14:05:30.098+09:00</updated><title type='text'>ふとしたこと</title><content type='html'>ずっと昔の何でもない出来事をふと思い出すことがある。これから書こうとしていることも、そんな些細なできごとである。 &lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;息子が１歳になるかならないかの頃、国際学会に出席するために家族でイタリアにでかけた。その帰りの飛行機のなかでのできごと。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;飛行機の離陸が大幅に遅れた。予定出発時刻から１時間経っても離陸の目処が立たなかった。まだ幼い息子はじっとしていられなくなり、ぐずり始めた。そして「キーッ」という奇声をあげだした。私たちはなんとか息子をあやそうとしたが、完全には静まらない。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;そんなとき、機内のチーフパーサーが私たちの座席に寄ってきた。日本人男性であった。そして私たちにこう尋ねた。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;「お子様は飛行機への搭乗に慣れていらっしゃらないのですか？」&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;チーフパーサーとすれば精いっぱいの注意だったのであろう。しかし１歳になるかならないかの子供が飛行機に乗ることに慣れているはずがないではないか。ましてやいつ動き出すともしれない狭い機内で赤子にじっとしていろというのは無理ではないか。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;私たちはそのチーフパーサーに対して謝った。しかし謝ってはみたものの、どうすればいいのか、私たちにはわからなかった。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;運良くそれから程なく飛行機は動き出した。それとともに息子も静かになり、いつの間にか眠ってしまった。成田空港に着くまでの間、息子はほとんどずっと眠っていた。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;「お子様は飛行機への搭乗に慣れていらっしゃらないのですか？」&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;この言葉をいま思い出しても、どう答えればいいのか私にはわからない。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-1713885665497806136?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/1713885665497806136/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=1713885665497806136&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/1713885665497806136'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/1713885665497806136'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2008/02/blog-post_27.html' title='ふとしたこと'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-6922437051625125124</id><published>2008-02-11T22:52:00.000+09:00</published><updated>2008-02-11T23:06:22.300+09:00</updated><title type='text'>「海に向かへば」について</title><content type='html'>以前、「海に向かへば」というタイトルのブログを書いた。このブログを読んでくださった方から「この本が欲しいが絶版になっている。著者に連絡し自宅に在庫があるとの連絡をもらったが、その後、連絡が途絶えた」とのコメントをいただいた。&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;この方はコメントの中にご自身のメールアドレスを書いてくださっていた。私は教えていただいたメールアドレス宛にこのコメントに対するお返事を出した。しかしこのメールアドレスは間違っていたようだ。私がお送りしたメールは戻ってきてしまった。&lt;/div&gt;&lt;div&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div&gt;ご本人のプライバシーを保護するためにこの方のコメントは公開できないが、もしこのコメントを書いてくださった方がこのブログをお読みになったら、私宛に再度ご連絡をいただきたい。&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-6922437051625125124?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/6922437051625125124/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=6922437051625125124&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/6922437051625125124'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/6922437051625125124'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2008/02/blog-post.html' title='「海に向かへば」について'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-5196237637636518464</id><published>2008-01-15T13:08:00.000+09:00</published><updated>2008-02-11T23:02:22.023+09:00</updated><title type='text'>お年玉</title><content type='html'>私の息子は９歳であるが、息子が生まれてこの方、私たち夫婦は息子にお年玉をあげたことがない。息子からお年玉をせがまれたことはないし、私たち夫婦の間で息子にお年玉をあげようかどうしようかと話し合ったこともない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;もちろん、私たちからお年玉をもらわなくても、息子にお年玉をくれる人はいる。私の両親、家内の母（義父はすでに他界）、そして私の実家の近所に住む人たちである。私たちは帰省すると必ず実家の近所を挨拶廻りする。田舎のしきたりといえばそうであるが、年老いた両親が平素お世話になっていることへの率直な感謝の気持ちを伝えなくてはならないという思いもある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;例年、私と息子とふたりで手土産を持って挨拶廻りするのである。しかし今年の正月は息子が率先して挨拶に行ってくれた。何軒かにはひとりででかけた。残りの家には私の父がついていった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;どちらかといえば引っ込み思案の息子が挨拶回りに元気よく出かけていくわけはお年玉目当てではないだろうかと私たち夫婦は苦笑いしながら話し合った。息子は何も言わなかったが、確かにそうであったかもしれない。実際、息子が訪れたほとんどの家から息子はお年玉をいただいて帰った。私は、ご近所に申し訳ないと思った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;しかし家内は、それほど気を遣う必要はないのではないかと言った。私たちは息子が生まれるずっと前から年始のご挨拶を欠かしたことがなかったからである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;昨年７月からずっと我が家の食後の皿洗いは息子がしている。１日５０円である。今年３月に遠足に行くのに必要な６千円をクラス全員が自宅で手伝いをすることによって貯めることに決まったと聞いた。すでに６千円以上貯まったが、息子はまだ皿洗いを続けている。家内が床についた後、黙々と一人で流し台の前に立って皿洗いをしている息子の姿は微笑ましい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;生まれてこの方、私たち親からお年玉をもらったことのない息子は、お年玉は両親からもらうものではないと思い込んでいるのかもしれない。それならそれで結構なことだ。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-5196237637636518464?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/5196237637636518464/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=5196237637636518464&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/5196237637636518464'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/5196237637636518464'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2008/01/blog-post_15.html' title='お年玉'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-4865577973117617246</id><published>2008-01-12T15:16:00.001+09:00</published><updated>2008-03-03T14:17:14.227+09:00</updated><title type='text'>「親の心、子知らず」は悪いことか</title><content type='html'>「親の心、子知らず」、「子を持って初めて親の心を知る」、「後悔先に立たず」といった表現は子の親不孝を諌める言葉である。私自身もこれまで長い間、子である私が自分の両親の私に対する愛情や心配を理解できない「親不孝者」であった。そして常にこのことに対して罪悪感を抱いてきた。しかし自分自身が親の介護をしなくてはいけないようになってからは、「親の心、子知らず」は逆にいいことではないかと思うようになった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;人は死ぬ。ほとんどの場合、親が子よりも先に死ぬ。もし親の死が子の死と同程度あるいは子の死よりも悲しいことであったとしたらどうなるのであろう。ほとんどの人の人生は悲嘆に満ちたものとなるであろう。そればかりではない。子を持ちたいという欲求も衰え、人類は滅亡へと向かうに違いない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「親の心、子知らず」はある程度、必要悪なのであろう。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-4865577973117617246?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/4865577973117617246/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=4865577973117617246&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/4865577973117617246'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/4865577973117617246'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2008/01/blog-post.html' title='「親の心、子知らず」は悪いことか'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-3685490238564319518</id><published>2007-12-22T12:29:00.000+09:00</published><updated>2008-01-19T00:02:13.511+09:00</updated><title type='text'>豊国廟</title><content type='html'>高台寺を訪れた翌日、豊国廟に行った。ここには豊臣秀吉が眠る。長い間、私は秀吉の墓はどこにあるのだろうと思っていた。私が秀吉の墓石の写真を初めて見たのは２年ほど前であった。本屋で歴史雑誌を立ち読みしている際に偶然その写真を見つけた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「なんて小さいのだろう、なんて寂しいのだろう」というのが私の第一印象であった。その日以来、京都を訪れる機会があれば何としてでも秀吉の霊廟を見てみたいと思うようになった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;秀吉の墓は小高い山の頂上にあった。階段はちょうど５００段。ぽつんと秀吉の墓石だけが建っていた。ただし、墓石は写真から想像していたよりもかなり大きかった。私が墓石のまわりをうろついているともう一人の訪問者が坂を登ってきた。しかしここを訪れる人は少ない。帰りに階段を下りる際にもうひとりの訪問客とすれちがっただけであった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;階段を下りきった山のすそ野には女子大がある。華やかである。その華やかな喧騒からほんの少ししか離れていない場所にひっそりと秀吉は眠っている。その女子大に通っている学生すら、すぐ側に秀吉の墓があるとは知らないのだろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;地元の人に尋ねると、秀吉の霊廟である豊国廟の他に、豊国寺と豊国神社とがあるという。秀吉の死後、徳川家康は豊臣家の財力を削ぐために神社仏閣への機寄進を盛んに勧めた。豊国寺も豊臣家からの寄進によって建てられた。この豊国寺の釣鐘に「国家安康」の文字が刻まれていたことをめぐって豊臣家と徳川家との間でいざこざが生じた。「国家安康」のなかの「家」と「康」とが裂かれていると徳川家康が豊臣家に因縁をつけたのだ。まさに因縁そのものである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;秀吉の有名な辞世の句である。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-3685490238564319518?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/3685490238564319518/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=3685490238564319518&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/3685490238564319518'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/3685490238564319518'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2007/12/blog-post.html' title='豊国廟'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-7767465656407713294</id><published>2007-11-25T04:10:00.001+09:00</published><updated>2008-03-03T14:08:48.727+09:00</updated><title type='text'>海に向かへば</title><content type='html'>私の書斎の書架には１冊の歌集が立っている。「海に向かへば」という表題がつけられている（出版：雁書館）。この歌集の作者と私とは高校時代の同期である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私は高知県にある中高一貫教育の私学で６年間の学生生活を送った。この歌集の作者である「大崎瀬都」という女性は高校から編入してきた。だから彼女と一緒に学生生活を送ったのは３年間にすぎない。しかも彼女は文科系のクラスに進んだ。同じクラスになることはなかった。そんなこともあって学生時代に彼女と話をしたことは一度もなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;彼女は小柄で物静かであった。そしていつもうつむき加減に歩いていた。決して目立つ学生ではなかった。しかし私は、廊下などで彼女とすれ違うたびにはっとして彼女の方に目を向けた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;彼女の歌は当時、高校生向けの月刊誌に毎月のように入選していた。それらの歌を目にするたびに私は彼女のみずみずしい感性に驚嘆した。校舎の中の階段の昇り降りといったきわめて平凡な行動にすら彼女は歌のなかで私に大きな感動をもたらしてくれた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「海に向かへば」はそんな彼女が数年前に出版した歌集である。この歌集の中の１章のタイトルでもある。この章のなかに収められた歌を読めば「海」とは土佐湾に広がる太平洋であることがわかる。この章の中の作品をいくつか紹介したい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;故郷の海も真近しベルが鳴りここよりは「土佐くろしお鉄道」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;故郷へ向ふ列車の夜の窓に一歳（ひととせ）老いし顔を映せり&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;降り立ちし爪の先よりほぐれゆくわれをつつみて故郷のあり&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;故郷の川に下りて手を洗ふわれの儀式を知る人のなし&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;列車動けば目をそらしたり見送りの母は涙を見せるかも知れず&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;気の遠くなるほど長き歳月と言ふにあたらず海に向かへば&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-7767465656407713294?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/7767465656407713294/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=7767465656407713294&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/7767465656407713294'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/7767465656407713294'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2007/11/blog-post_25.html' title='海に向かへば'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-534219566863700762</id><published>2007-11-19T14:27:00.000+09:00</published><updated>2007-11-19T15:22:42.034+09:00</updated><title type='text'>高台寺</title><content type='html'>先週の水曜日から土曜日まで大阪での学会にでかけた。その合間をぬって京都に出かけた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;金曜日の午後、まず高台寺を訪れた。ここは豊臣秀吉の妻であった北の政所（寧々）が夫の霊を弔うために建てた寺である。秀吉の没後、彼女は残りの人生をこの寺で送った。彼女の墓もこの寺の中にある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;関ヶ原の戦いの際、彼女は徳川家康側に加担した。子飼いの福島正則や加藤清正が徳川方（東軍）についた理由のひとつは彼女からの進言があったからであろうと私は推測している。もちろん、朝鮮出兵時、石田三成が秀吉に告げた数々の讒言に対する恨みもあったであろうが。西軍方に陣取っていた小早川秀秋がなかなか戦に加わらず、途中から突然寝返って東軍に加勢したのも北の政所の意向を汲んだものであったのではなかろうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;（皮肉なことに、東軍に加担した彼らの家は徳川幕府開設から程なく途絶えることになる。加藤清正の死は暗殺によるものであったのかもしれない。）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;なぜ北の政所は秀吉の子である秀頼方につかなかったのであろうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;客観的に歴史を振り返れば、秀吉亡き後、日本統治能力があるのは徳川家康以外にはなかった。したがって北の政所が東軍方につこうが西軍方につこうが歴史に大きな変化はなかったのかもしれない。北の政所が東軍に加勢した理由のひとつは、豊臣家が存続していくためには家康に対して臣の礼をとる以外にないと冷静に判断したためなのかもしれない。彼女が家康方につくことによって豊臣家お取りつぶしを免れようとしたと考えることもできないことはない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;しかし私は、北の政所を動かした最も大きな原動力は嫉妬であったのではなかろうかと思っている。秀頼の母つまり茶々に対する嫉妬である。秀吉と寧々との間には子がなかった。あの時代、秀頼の実の母は茶々であっても少なくとも形式上の母は寧々（北の政所）である。もし茶々が秀頼の実の母であったとしてももう少し慎みを持って行動していれば北の政所の誇りを傷つけることもなかったであろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;もちろん茶々の勝手な振る舞いを許した秀吉にも大きな責任がある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;秀頼が生まれる前、秀吉には国松という子があった。しかし国松は早世した。その悲しみから逃れるために秀吉は朝鮮出兵を決意したという説もある。だから、国松亡き後、やっと生まれた秀頼を秀吉が溺愛し、茶々のわがままをなんでも許したとしても理解できないこともない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ただ、ひとつ疑問がある。果たして国松も秀頼も果たして秀吉の子であったのであろうか。そうではなかったという説を唱える歴史学者も少なくない。秀吉自身は我が子と固く信じていたであろうが。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;秀吉は実に多くの側室を持った。しかし茶々以外は誰も子を産んでいない。秀吉は種なしであったという説が消えない根拠となっている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ひょっとしたら北の政所は、秀頼が秀吉の子でないことを薄々知っていたのかもしれない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;当然、家康の政治力も素晴らしかった。北の政所を味方につけるために家康は彼女に対して心から礼を尽くした。女性である彼女の目に、石田三成と比較して家康がどれほど立派に映ったかは容易に想像できる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;家康が天下を取った後も家康は北の政所に対して生涯手厚い援助を続けた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;北の政所の遺体は高台寺の霊屋という建物の中に安置されている。この小さな建物を外からのぞき込みながら、私はこの小さな、ほんとうに小さな墓の主が、日本の歴史に大きな影響を与えたことを思い、人間の情念というものの怖さを改めて感じた。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-534219566863700762?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/534219566863700762/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=534219566863700762&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/534219566863700762'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/534219566863700762'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2007/11/blog-post_19.html' title='高台寺'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-1429836956880351617</id><published>2007-11-10T10:09:00.000+09:00</published><updated>2007-11-10T11:28:02.296+09:00</updated><title type='text'>友人の次男の死とピアノリサイタル</title><content type='html'>４日前の午後５時過ぎに私の携帯電話が鳴った。友人からの電話であった。私の職場に出かけてきている。これから私の部屋を訪ねてもいいかという内容であった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;その時、私はちょうど外出していた。その旨、彼に告げた。彼の電話の用件は察しがついた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;彼はちょうど２週間ほど前に次男を亡くした。数日後にそのことを私は職場の廊下で彼の部下から聞かされた。私は茫然となった。脳腫瘍であったという。昨年の夏に発病し余命いくばくもないことがすぐにわかったが、職場で彼はそのことを誰にも話さなかったとその部下は私に告げた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;４日前の電話で彼と数分間話したときも彼はそのことを私に語った。「職場で混乱が生じるといけないと思ったので、この１年間、ずっと誰にもしゃべらずに過ごしてきた。」彼はそう言った。この言葉から、彼がこの１年間耐えてきた孤独がひしひしと伝わってきた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;彼は、「息子が死ぬ１週間前まで一緒に食事にでかけたりできたから・・・」とも言った。この１年間、彼は家族と一緒に過ごす時間をできるかぎりとってきたのだろうなと私は推測した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;彼は電話の向こうで涙ぐんでいた。私も涙を流した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;彼は文字通りの会社人間であった。ワーカホリックであった。彼は、会うたびに、彼の仕事と会社に対する熱い情熱を熱く私に語った。「出世したい。」この言葉が何度彼の口から出てきたことか・・・。そのたびに私は、どうしてそう思うのかと尋ねた。彼の答えはいつも同じであった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;よくもわるくも彼は「男」であった。「男」になりきれる彼を私は心から尊敬していた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;しかし彼が「男」になりきれていたのは、彼に温かい家庭があってこそのことであった。この前提が崩された今、彼はこれからもずっと会社人間でい続けることができるのであろうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;電話を切る間際に、彼は「４９日の法要が終わったら、会って愚痴を聞いてよ」と言った。「愚痴」とは「後悔」のことだろうと私はとっさに思った。私は、「もちろん。泊まりがけで出かけていくよ」と答えた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;死は永遠の別れであり、絶対的な拒絶である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;彼との電話を切るとすぐ、私は地下鉄に飛び乗り、上野に向かった。その日の午後７時から東京文化會舘大ホールで行われる関孝弘氏のピアノリサイタルに招待されていたからだ。関氏のそのピアノリサイタルには昨年も同じ知人が招待してくれた。その知人は関氏の姪にあたる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私には音楽の素養はないが、関氏は基本にとても忠実な演奏をされる方なのではないかと感じている。演奏には技術を超えた「人」が表れる。関氏の奏でる端正なメロディーは関氏の歩んできた人生そして関氏の人柄そのものなのであろうと思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;演奏の最中、私はずっと友人のことを考えていた。ピアノ演奏を聴きながら、きっとこの音楽は彼の耳にも届いているはずだとなぜだかわからないが私はそう感じていた。関氏の演奏する曲のひとつひとつがその日の私には鎮魂歌として胸に響いた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;彼の次男の死を悲しんでいるのは彼と彼の家族ばかりではない。しかしこの悲しみを乗り越える勇気を彼に与えてくれるのは時間以外にない。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-1429836956880351617?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/1429836956880351617/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=1429836956880351617&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/1429836956880351617'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/1429836956880351617'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2007/11/blog-post.html' title='友人の次男の死とピアノリサイタル'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-8733733773726896058</id><published>2007-10-11T13:33:00.000+09:00</published><updated>2007-10-11T17:05:25.228+09:00</updated><title type='text'>子の誕生</title><content type='html'>10月9日、義兄夫婦に女児が誕生した。結婚してから10年近く。二人にとって待ちに待った子の誕生であった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;今朝、生まれたばかりのその児の写真を家内が私に見せた。その写真を見た瞬間、私は、自分の息子が生まれた翌日に撮影した写真を思い出した。同じように産着にくるまれている写真であった。しかし私の息子はその写真では大声で泣き叫んでいた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「治豊が生まれたばかりのときよりもこの児の顔立ちの方がととのっているんじゃない？」などと実兄の子の誕生を嬉しそうに語る家内の言葉にもほとんど返事を返さず、私は自分の息子が生まれたときの思い出に飲み込まれていった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私の息子が生まれたとき、私はまずホッとした。息子が五体満足で生まれたからではない。高齢出産であったにもかかわらず比較的安産であったからでもない。妻を母にするという夫としての義務をやっと果たせたという安堵感であった。父親になった喜びは世間でいわれるほど大きいものではなかったように思う。というよりも父親になったという実感がなかった。義理の姉はいま、「自分の子がこんなにも可愛いものだとは思わなかった」と言っているという。母の正直な気持ちであろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;男である私は、自分の息子が生まれた頃よりも今の方が息子をはるかに可愛いと感じる。文字通り、自分の命よりも大切である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;繰り返し言われるように男は子を持ってもすぐに父親にはなれない。男が父親としてのよろこびを感じられるようになるまでには女性には想像もできないような長い時間を要する。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;家内が私に見せたもう一枚の写真には、生まれたばかりの我が子の後ろでしゃがみながら満面の笑みを浮かべている義兄が写っていた。私も義兄のその笑顔を見て、心のなかで祝福した。私の息子が生まれたときよりもずっと嬉しかった。それは、私が10年近く父親としての体験を積んできたためであろう。幼い子が殺されたといったニュースを耳にするたびにいまの私は自然と涙が浮かぶ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;しかし、それと同時に、その写真をじっと見つめながら、今の義兄も、私に息子が生まれた頃のような、父親という実感にはまだ十分浸れないてはいないのではなかろうかという思いも私は抱いた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;人には想像力がある。他人の不幸もある程度までは自分の悲しみとして感じることができる。逆に他人の喜びを自分自身の喜びとしていっしょに喜ぶこともできる。しかし実際にその立場に自分の身をおかなければほんとうに理解できないこともある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;義兄は大の子供好きである。これからはもっともっと子供が好きになることであろう。新しい生命の誕生は肉親にとって人生のなかで最も嬉しいことである。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-8733733773726896058?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/8733733773726896058/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=8733733773726896058&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/8733733773726896058'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/8733733773726896058'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2007/10/blog-post_11.html' title='子の誕生'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-6589458933196554102</id><published>2007-10-01T12:18:00.000+09:00</published><updated>2007-10-01T22:22:25.358+09:00</updated><title type='text'>ピアノリサイタル</title><content type='html'>去る８月、私に一通の封書が届いた。差出人欄には「川添亜希」と書かれてあった。封書の中には１枚のリサイタル招待のチケットと添え書きが入っていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;この女性に私は１年ほど前、ある仕事の関係で一度だけ面談したことがあった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;どちらかといえばボーイッシュ。両脚を開いて座った姿は身振りもまるで男性のようであった。しかし私がこのように感じたのは彼女の動作からだけではなかった。私の前に座った彼女は全身からエネルギーをたぎらせていた。私は彼女に対して興味をいだいた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;しかし彼女はピアニスト。しかもこれから全国をまわって、いや世界を相手に活発に演奏活動をやっていこうとしてる・・・。残念ではあったが、私は彼女に仕事を依頼するのを断念した。彼女はピアノ一本で頑張るのがいいと判断した。そしてその場でその旨を彼女に伝えた。彼女は納得した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;別れ際に、もし演奏会を開くことがあったらチケットを送ってくださいと私は彼女に一言告げた。彼女は笑顔でかるく頷いた。以来、彼女のことは、ずっと私の頭の片隅にあった。しかし本当に彼女の演奏会に出向くことがあろうとは思っていなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;さて、9月27日、演奏会当日。私は開演15分前に会場に到着した。会場にはすでに多くの聴衆が集まり開演を待っていた。私は聴衆席のほぼ真ん中に座った。舞台の中心には１台のピアノが据えられていた。彼女が演壇に姿を現すまでの15分ほどの間、私はじっとこの1年間を振り返っていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;開演時刻となり聴衆席の電灯は消され、舞台にスポットライトがあたった。会場がシーンと静まり返ると同時に、大きく腕を振りながら大股で舞台に姿を現したのはまぎれもなく１年前に顔を合わせた彼女であった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;彼女は一礼した後、無言のままピアノの前に座り、直ちに演奏を始めた。バッハであった。彼女の演奏が始まるとほぼ同時に、私は「えっ」という印象を抱いた。彼女の奏でるピアノの音色があまりに線の太いものであったからだ。「線が太い音」などという表現はわかりづらいかもしれない。しかし音楽の素養のない私にはこのような表現しかできない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私は時々、コンサートにでかける。音楽に耳を傾けている時間だけは日常の些事を忘れることができる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;しかしこれまで、演奏には上手下手しかないものと漠然と思っていた。演奏には個性があるのだということを感じたのは今回が初めてであった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;もちろん私が彼女の演奏に「個性」を感じたのは私が彼女を知っていたからなのかもしれない。どの演奏家の演奏にも個性があるのであろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;バッハの曲が２つ続いた後はハルトマンのピアノソナタであった。「1945年4月27日」という何ともいかめしい曲名がプログラムには書かれていた。私はこの曲を知らなかった。「作曲者であるハルトマンは、1945年4月27日と28日、自分の家の前を、何千人ものダッハウ強制収容所の囚人たちが、いつ果てるともしれない列をなし、足をひきずって死の行進をしていくさまを目撃した」と、この曲の説明の中の一節に書かれていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ドイツのミュンヘンに留学している時期、私はこの収容所を3回訪れたことがある。最初は私と家内の２人で、2度目は日本からミュンヘンを訪れた職場の同僚と、3回目は家内の家族とであった。最初にダッハウを訪れたとき、私はこの収容所跡が実に清潔に保存されているのに驚かされた。とともに、めまいと吐き気に見舞われた。死んでいった多くのユダヤ人たちの霊がいまもこの収容所の中をさまよっているためであろうと私は勝手に推測した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;彼女の奏でる旋律を聴きながら、私はいつしかこのダッハウ収容所を訪れたとき受けたショックを思い出し、沈欝な気分に捕らわれていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;現代音楽にはおそらく最新の音楽理論が取り入れられているのであろう。演奏も難しいのであろう。私はおそらくこの曲は彼女が自分のものにしようと全力を込めて取り組んだものなのだろうと感じた。「挑戦」という名にふさわしい、演奏の難しい曲であることは素人の私にもわかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;15分の休憩の後はシューマンの「謝肉祭」であった。この曲は比較的リラックスしながら聴くことができた。知っている曲であることもあったのかもしれない。美しいしかし力強い音色に耳を傾けながら私は彼女の指の動きをじっと見つめた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;演奏が終ると、割れんばかりの拍手が会場に鳴り響いた。この拍手は聴衆の心からの喜びを表現する拍手であった。彼女を讃える拍手であった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;コンサート会場では、アンコールの拍手は、儀式化・儀礼化されているといえなくもない。手を叩くのが儀礼だから拍手をする。このようなことも少なくない。また1曲でも多く曲を聴かせてもらって得をしようという打算があることもある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;しかし、今回、彼女に対する拍手は、まさに彼女の演奏を讃える聴衆の心からの喜びを表現するものであった。聴衆は誰もが満面の笑みを浮かべていた。私も手を叩かずにはいられなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;結局、アンコールに応えて彼女は3曲弾いてくれた。疲れているだろうにと私は彼女がかわいそうになった。アンコール曲は比較的ポピュラーな曲であったが、最後まで気を抜くことなく本格的な演奏を聴かせてもらった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;会場を去るとき、受付に山のような花束が届けられているのを見た。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;その晩、家族や仲間に囲まれ彼女は実においしい酒を飲み、それまで払ってきた努力に自らを褒め称えたことであろう。私にとって今回のピアノリサイタルは、音楽に奏者の個性を感じた初めての演奏会であった。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-6589458933196554102?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/6589458933196554102/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=6589458933196554102&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/6589458933196554102'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/6589458933196554102'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2007/10/blog-post.html' title='ピアノリサイタル'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-8057255194642873921</id><published>2007-08-05T21:02:00.000+09:00</published><updated>2007-10-02T13:04:01.611+09:00</updated><title type='text'>同窓会</title><content type='html'>毎年８月の第一土曜日に私の卒業した高校の同窓会総会と全員懇親会が開かれる。今年は私の学年が幹事役を務めた。親友が幹事と代表幹事を務めていたので私も応援のために出席した。夏に帰郷するのは１０数年ぶりのことであった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私の母校が発足したのはちょうど私が生まれた年である。だから今年、５０周年となる。私は１６期生。私の在学中はまだ第一期の卒業生もまだ３０歳そこそこであった。しかし、もう第一期生は６６歳になる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;高知市長も私の母校の卒業生になっていた。高知新聞社の社長も。そして私が在職する慶應大学医学部の元教授であり、現在、日本看護協会会長を務めている久常節子氏も私の母校の先輩であることを知った。（私の母校は男女共学である。男女ほぼ同数。）今の高知県を支えている多くの人材が私の母校出身者であることを同窓会会場で聞かされてうれしい限りであった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;全員懇親会のあと同期である１６期生だけの同窓会が開かれた。６９名が集まった。２年前の正月には１２０名集まったので少し寂しくはあったが、お盆の直前ということを考えれば、よくこれだけ沢山の同期生が集まったものだともいえた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;１６期生全員の同窓会がお開きになった後、クラスメートだけでの同窓会となった。高知に住むクラスメートが行きつけのラウンジに私たちを案内した。多くのホステスに生まれて初めて囲まれ、クラスメートの女性たちは大喜び。なんとその店のホステスの一人に母校の後輩がいた。和服がよく似合う女性であった。彼女は私たちの１０期後輩ということであったのでもう若くはない。しかしまだ３０歳前後にみえた。高校を卒業と同時に夜の仕事についたという。私の母校の卒業生はほぼ全員が大学に進学する。だから大学に進学しなかったというだけでも驚いたが、卒業と同時にこの道に入ったというのも驚きであった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;四次会はバーで。ここもクラスメートの行きつけの店であった。静かで清潔な店であった。そこではスナックとバーとの違いは何かといった基本的なことも知らない私たちを相手に、クラスメートが一所懸命説明してくれた。カクテルの話も聞かせてくれた。彼は地酒の醸造会社の役員を務めている。学生時代からまじめ一本の男である。カクテルの話もほんとうに一所懸命、夢中になって話してくれた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;最初に座ったテーブル席から全員が途中でカウンター席に移動、彼の勧めに従って「バー」の雰囲気をゆっくりと楽しませてもらうことができた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;解散したのは午前１時過ぎであった。同窓会総会の開始時刻から既に９時間以上経過していた。ふだんほとんどアルコールを口にしない私も昨日ばかりはかなり飲んでしまった。ホテルに戻った後、心地よい疲労感に襲われすぐ眠りに落ちた。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-8057255194642873921?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/8057255194642873921/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=8057255194642873921&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/8057255194642873921'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/8057255194642873921'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2007/08/blog-post.html' title='同窓会'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-1040586644724621893</id><published>2007-07-07T00:18:00.000+09:00</published><updated>2007-10-02T13:47:00.074+09:00</updated><title type='text'>1977年7月7日</title><content type='html'>午前０時を過ぎた。2007年7月7日になった。7が3つ並ぶ。きょう結婚届を出そうとしているカップルが多いと聞いた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ちょうど30年前のきょう、つまり1977年7月7日、私は大学2年生であった。雨が朝から一日中降ったことを憶えている。この日の朝、クラスメートの一人から、その日の夜開かれるパーティに来ないかと誘われた。7が4つ並ぶ日を記念してフェリス女子学院の学生がパーティを開催するという。欠員ができたので来ないかということであった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;パーティは横浜の元町で開かれた。私が会場に到着したときには既に多くの男女が集まっていた。女性はすべてフェリス女子学院の学生であった。男性は半分が他大学の医学部の学生であった。彼らは私たちよりも２〜３学年上であると聞いた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;パーティでは「牧子さん」と呼ばれていたフェリスの女子学生が進行役を務めた。今いう「コンパ」でも「合コン」でもなかった。文字通り、７が４つ並ぶ日を祝うパーティであった。ある店のワンフロアーを借り切り、部屋の周囲に椅子が並べられているだけの簡素な部屋の中で会は進行した。田舎者である私はその会場の華やかな雰囲気にのまれてパーティが終わるまでずっと片隅でじっとしていたに違いない。そのパーティがどのように進められたのかとんと思い出せない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;一次会が終わり、二次会の会場に移動することになった。二次会の場所は渋谷であった。東横線に乗って移動した。その電車の中で隣同士になったのが「みどりちゃん」と呼ばれていた女性であった。彼女は群馬県の前橋市から出てきたということであった。人懐っこい女性であった。彼女を挟んで隣の隣には他の大学の医学部生が座った。彼は私よりもずいぶん年上に見えた。彼女と私とはその後数年間この医学生にずいぶんと可愛がってもらった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「みどりちゃん」とはその後、グループでよく会うようになった。彼女は同じフェリス女子学院の同級生と３人で一軒家を借りきって住んでいた。この家には誰も使っていない部屋が一部屋あった。私はアルバイトの帰りにこの家に立ち寄り、何人かの友人といっしょにこの部屋で何度か寝泊まりさせてもらった。布団がなかったので、いつも炬燵の中に足を入れて雑魚寝であった。この部屋にはテレビが置いてあり、全員揃ってテレビを観ることもよくあった。小さな炬燵を囲んで膝をぶつけながら食事をし酒を酌み交わしながら夜中まで騒ぐことも珍しくなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;程なく私は専門課程に進みキャンパスが彼女たちの家から遠くなった。自ずと彼女たちからは縁遠くなった。しかし、その後、この家には私の友人が連れてきた男連中がたくさん出入りするようになったようだ。なんと私のクラスメートの一人は、この部屋で一ヶ月間ずっと寝泊まりしながら大学に通っていたということをずっとあとになって彼自身の口から聞かされた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;彼女たちが大学を卒業するまでの間、彼女たちと彼女たちの家に出入りしてくる大学生たちの間ではさまざまな人間模様が繰り返されたようだ。恋愛関係になったカップルもあったと聞いた。しかし、私だけはそのような世界からは無縁であった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;この「みどりちゃん」の結婚式にはこれらの仲間が集った。そしてその数年後の私の結婚披露宴にも彼らは集まってくれた。「みどりちゃん」は今、埼玉県に住む。３児の母だ。たまに電話で話すことがあるが、声もしゃべり方も30年前と全く変わらない。当時、「みどりちゃん」を介して知り合った「のりこさん」という女性ともまだ親交がある。彼女は私よりも１歳年上である。知りあった当時、彼女は食道がんでお父様を亡くしたばかりであった。いつもどこかに暗さを持つ女性であった。彼女の持つこの暗さは今も変らない。なぜか私は彼女よりもむしろ彼女のお母様から慕われた。「みどりちゃん」と「のりこさん」はこの30年間、実に対照的な人生を歩んできた。いま大学時代のことを振り返ると、ふたりがその後担うべき運命は既にその時期から定められていたようにも感じる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;二人は今も私にとってかけがえのない異性の友人である。1977年7月7日。30年も前のことである。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-1040586644724621893?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/1040586644724621893/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=1040586644724621893&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/1040586644724621893'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/1040586644724621893'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2007/07/197777.html' title='1977年7月7日'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-3993382247097666099</id><published>2007-06-07T19:46:00.000+09:00</published><updated>2007-06-07T20:09:10.355+09:00</updated><title type='text'>犬山城</title><content type='html'>&lt;a onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}" href="http://1.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/RmfnCALvSDI/AAAAAAAAAWg/4Of_688uM7g/s1600-h/P1010388.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://1.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/RmfnCALvSDI/AAAAAAAAAWg/4Of_688uM7g/s200/P1010388.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5073277526851143730" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}" href="http://3.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/Rmfm3gLvSCI/AAAAAAAAAWY/UGQZyFPJb8g/s1600-h/P1010398.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://3.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/Rmfm3gLvSCI/AAAAAAAAAWY/UGQZyFPJb8g/s200/P1010398.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5073277346462517282" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;5月29日から6月1日まで名古屋に行った。学会出席が目的であった。学会の合間を縫って6月1日の午前に犬山城を訪れた。名古屋駅から名鉄とタクシーを使って約35分。一人旅であった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;犬山城は織田信長の叔父にあたる小田信康が築いた城だ。1537年に築かれたという。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;犬山城の天守閣に登ると南方に名古屋の街が見える。その手前に小高い山がある。犬山城の職員に尋ねるとその山の頂上に小牧城があるという。小牧といえば家康と秀吉が戦った場所だ。秀吉は犬山城に陣取った。小牧城には家康が陣を敷いた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;北西には岐阜城がある。残念ながら肉眼で岐阜城を確かめることはできなかった。岐阜条は10年ほど前に訪れた。やはり学会の期間中であった。「岐阜」という地名は信長が命名した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;犬山城から見渡す濃尾平野は、長かった戦国時代に終止符を打った数々の英雄を産んだ地だ。人間の情熱と欲望が煮えたぎった戦国の世の中心舞台となったこの平野を眺めながら、私はまたしても芭蕉の一句を思い浮かべていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;夏草や&lt;br /&gt;つわものどもが夢のあと&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-3993382247097666099?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/3993382247097666099/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=3993382247097666099&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/3993382247097666099'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/3993382247097666099'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2007/06/blog-post_07.html' title='犬山城'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://1.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/RmfnCALvSDI/AAAAAAAAAWg/4Of_688uM7g/s72-c/P1010388.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-3370462314612130390</id><published>2007-06-05T17:16:00.000+09:00</published><updated>2007-06-06T00:29:04.958+09:00</updated><title type='text'>湯川ふるさと公園</title><content type='html'>&lt;a onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}" href="http://2.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/RmV-UwLvSBI/AAAAAAAAAWE/L-zcVccNUv8/s1600-h/P1010405.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://2.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/RmV-UwLvSBI/AAAAAAAAAWE/L-zcVccNUv8/s200/P1010405.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5072599450299353106" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}" href="http://4.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/RmV-NQLvSAI/AAAAAAAAAV8/TKp9Iste6sY/s1600-h/P1010406.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://4.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/RmV-NQLvSAI/AAAAAAAAAV8/TKp9Iste6sY/s200/P1010406.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5072599321450334210" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}" href="http://3.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/RmV-GALvR_I/AAAAAAAAAV0/FJE6NtVyNQY/s1600-h/P1010408.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://3.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/RmV-GALvR_I/AAAAAAAAAV0/FJE6NtVyNQY/s200/P1010408.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5072599196896282610" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;中軽井沢に湯川という小さな川が流れている。この湯川を挟むように広大な緑が広がる。ここが湯川ふるさと公園だ。中軽井沢はよく訪れるが、こんな身近な場所にこれほどまでに広い公園があったとは・・・。全く気づかなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;川縁には樹木が生い茂っている。小川のせせらぎと小鳥のさえずりを聞きながら川縁を歩いていると釣り人に出会った。岩魚と山女を釣っているのだという。川を横切って向こう岸に行こうとしたが橋がない。結局、森を抜けて新幹線の線路近くまで出てやっと橋を渡ることができた。橋を渡るとたくさんの子供たちが滑り台やブランコで遊んでいる姿が見えた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私たちは息子を遊ばせるために、これまで軽井沢でいろいろの公園を訪れた。しかしこれほどまでに広く美しい公園は他にない。旧軽井沢からも近い。大発見であった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;息子が遊んでいる間、私はひとりで川縁に降りていった。降りていく途中、イタドリを見つけた。そのイタドリを見つけた瞬間、私の頭の中には幼なかりし時代の思い出が次から次へと湧いてきた。川縁を散歩しながら、いつしか私は幼年時代を過ごした郷里のことばかり考えていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ワラビ、ゼンマイ。春になると、私は山菜を採るために学校から帰ると毎日のように裏山に駆け登った。少し生臭いような新緑の香りが鼻をついた。6月になると山桃採りにも行った。秋になると、アケビ採りと山芋掘り。アケビはほとんど種ばかりである。その種は噛むと苦い。しかしべとっとしたゼリー状の部分はわずかに甘みを持ち独特の香りを放つ。掘ってきた山芋は大根おろしで擦ってとろろ状にし、醤油をかけて生のままで食べる。手や口のまわりがかゆくなるが、まだ若かった私にはそんなことは一向に気にならなかった。冬は裏山にワナをしかけて鳥を捕まえる。学校から帰ると鳥が捕まっていないかどうかを見に行く。翼をばたつかせて逃げようともがいている鳥をぐっと両手でおさえながら自宅に帰ると、祖父がその鳥の名を教えてくれた。ツグミやヒヨが捕まることが多かった。メジロが捕まったこともあった。祖父が料ってくれた鳥の丸焼きに私は無心になってかぶりついた。焼かれた鳥がかわいそうにも思えたが、こおばしく実にうまかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私は根っからの野生児であった。そして今も、多分。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-3370462314612130390?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/3370462314612130390/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=3370462314612130390&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/3370462314612130390'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/3370462314612130390'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2007/06/blog-post_05.html' title='湯川ふるさと公園'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' 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height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-3635565704811838050?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/3635565704811838050/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=3635565704811838050&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/3635565704811838050'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/3635565704811838050'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2007/06/blog-post.html' title='オナーズヒル軽井沢 その2'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-5202934161349050008</id><published>2007-05-28T03:12:00.000+09:00</published><updated>2007-05-28T03:44:54.137+09:00</updated><title type='text'>ホナーズヒル軽井沢</title><content type='html'>&lt;a onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}" href="http://2.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/RlnRnu90agI/AAAAAAAAAVk/MdJfuisC8Gk/s1600-h/P1010358_2.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://2.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/RlnRnu90agI/AAAAAAAAAVk/MdJfuisC8Gk/s200/P1010358_2.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5069313336134625794" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}" href="http://3.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/RlnRn-90ahI/AAAAAAAAAVs/PI9vtD2ccTc/s1600-h/P1010363_2.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://3.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/RlnRn-90ahI/AAAAAAAAAVs/PI9vtD2ccTc/s200/P1010363_2.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5069313340429593106" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}" href="http://3.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/RlnRZ-90afI/AAAAAAAAAVc/uwKpqrIvgrM/s1600-h/P1010355_2.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://3.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/RlnRZ-90afI/AAAAAAAAAVc/uwKpqrIvgrM/s200/P1010355_2.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5069313099911424498" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;国道18号線の追分の信号から車で10分足らず下ったところに「オナーズヒル軽井沢」という小さな温泉旅館がある。ここにはレストランもあり、浅間山を遠くに眺めながら食事をとることもできる。私たちがこの施設を訪れるのは昨日が初めてであった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;宿泊のための部屋はわずかに4部屋。しかし建物は新しく清潔で、職員の応対もいい。私たちはここで昼食をとり、30分ほど山歩きをした後、温泉につかった。ゆっくりと心身の疲れを癒すことができた。おそらくこれからはたびたびこの施設を訪れることになろう。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-5202934161349050008?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/5202934161349050008/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=5202934161349050008&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/5202934161349050008'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/5202934161349050008'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2007/05/blog-post_28.html' title='ホナーズヒル軽井沢'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://2.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/RlnRnu90agI/AAAAAAAAAVk/MdJfuisC8Gk/s72-c/P1010358_2.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-398817001629378795</id><published>2007-05-25T09:12:00.000+09:00</published><updated>2007-05-25T14:34:15.954+09:00</updated><title type='text'>息子が生まれた日</title><content type='html'>今朝6時過ぎに鳴った電話の音で目が覚めた。きょう予定されていた息子の遠足が天候が悪いために中止になったという父兄からの連絡であった。まだ雨は降っていなかった。電話を切った後、家内はぼやいた。「ゆうべ遅くまで折角準備を整えたのに・・・。」しかし、その30分後に雨が降り始めた。間もなく本格的な雨になった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;息子が生まれた日もきょうのようにはっきりしない天候であった。もう9年前になる。その日の朝5時過ぎに私は家内のささやき声で起こされた。これから病院に一人で行ってくるという。家内はその数日前から入院の支度を整えていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私はすぐに起き上がり、急いで身支度をした。そしてタクシーを拾うために家の外に飛び出した。当時、私たちが住んでいた家の向いは病院であった。したがって常時タクシーが停っていた。しかしそのときに限っては1台のタクシーも停っていなかった。午前5過ぎという時刻もタクシーを最も拾いにくい時間帯であった。またその日はちょうど祭日でもあった。私は走って大通りまで出た。しかしタクシーがなかなか来ない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;やっとタクシーを拾ってそのタクシーに飛び乗り、自宅の前にタクシーを着けたのは、15分ほど後であった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そのタクシーの運転手は病院までの道順を知らなかった。地方育ちの私も都内の道路はほとんどわからなかった。お腹をかかえながら家内がナビゲートしていった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;病院に着いたのはちょうど午前7時であった。病院の救急外来は静かであった。産科の当直医がほどなく診察をしてくれ、すぐに入院ということになった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;案内された病室はいつ建てられたのかもわからない古い病棟の4階にあった。部屋に入ると湿気のためにむっとした。エアコンをつけようとしたが壊れていた。家内はすぐに陣痛室に移動した。残された私は蒸し暑く狭い病室のなかでじっと時間が経つのを待った。外は曇り空であった。時折、霧雨が降った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;午後4時頃であっただろうか。家内が分娩室に移ったとの連絡があった。男である私には出産に対する現実的な感覚が全くなかった。その報告を聞くと間もなく眠りに落ちた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;どれほどの時間、眠っていただろうか。電話の鳴る音で目が覚めた。分娩室からの電話であった。子供が生まれたという。私は急いで5階にある分娩室に駆け上がった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;分娩台にはまだ家内が横たわっていた。しかし苦渋の表情はなかった。傍にいた助産婦がタオルケットにくるんだ生まれたばかりの赤子を私に手渡した。男の子であった。私はぎこちない手つきで息子を受け取った。息子は私の手に移ると泣くことなく、いったいどこにいるのだろうという表情を浮かべてキョロッ、キョロッと左右に目を動かせた。「目と目が離れたずいぶん垂れ目の赤子だなあ」というのが私の第一印象であった。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-398817001629378795?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/398817001629378795/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=398817001629378795&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/398817001629378795'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/398817001629378795'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2007/05/blog-post_25.html' title='息子が生まれた日'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-6798361312833625063</id><published>2007-05-21T12:10:00.000+09:00</published><updated>2007-05-21T12:31:41.448+09:00</updated><title type='text'>ちんどん屋</title><content type='html'>&lt;a onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}" href="http://1.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/RlESme90aeI/AAAAAAAAAVU/56z6plc4qR8/s1600-h/P1010311.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://1.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/RlESme90aeI/AAAAAAAAAVU/56z6plc4qR8/s200/P1010311.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5066851508125198818" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}" href="http://1.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/RlESge90adI/AAAAAAAAAVM/15BhqFePwhU/s1600-h/P1010312.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://1.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/RlESge90adI/AAAAAAAAAVM/15BhqFePwhU/s200/P1010312.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5066851405045983698" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}" href="http://4.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/RlESJO90acI/AAAAAAAAAVE/iNYYmJrZZb8/s1600-h/P1010313.jpg"&gt;&lt;img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;" src="http://4.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/RlESJO90acI/AAAAAAAAAVE/iNYYmJrZZb8/s200/P1010313.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5066851005614025154" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;私の自宅の近くにある巣鴨地蔵通商店街は、週末は大勢の人手で賑わっている。きのうの日曜日、この商店街で巣鴨商人祭りが開かれていた。天気がよかったので息子と一緒に祭りに出かけた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;息子の目的はスタンプラリーであった。商店街の７か所に設置された中継所でスタンプをもらうとともにクジを引く。当たりクジを引くとそれぞれの中継所で記念品がもらえる。スタンプが７つになると最も高価な記念品が用意されているクジを引くことができる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;商店街を息子とゆっくり歩いていると前方から奇妙な音楽が流れてきた。太鼓とトランペットの音色が聞こえる。ちんどん屋であった。彼らは巣鴨商人祭りの宣伝用のプラカードを胸から下げていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;この辺り一帯は戦災を免れたのであろうか。古い街並みが今も残る。まだ街全体が生きている。人情もある。車の通りの激しい白山通りのすぐ裏で日本の伝統が生き続けている。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-6798361312833625063?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/6798361312833625063/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=6798361312833625063&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/6798361312833625063'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/6798361312833625063'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2007/05/blog-post_21.html' title='ちんどん屋'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://1.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/RlESme90aeI/AAAAAAAAAVU/56z6plc4qR8/s72-c/P1010311.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-8127607289785279357</id><published>2007-05-17T10:00:00.000+09:00</published><updated>2007-05-17T10:35:59.719+09:00</updated><title type='text'>いい言葉</title><content type='html'>1週間ほど前、大学時代のクラスメートに電話をかけた。ちょっと頼みたい用件があったのだ。大学では彼女と私とは出席番号が近いこともあってグループで国家試験の勉強を一緒にしたこともあった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;その日は用件だけ告げてすぐに電話を切るつもりであった。しかし思わず話がはずみ長電話となった。彼女とは数年前からたまに話すことがあったが、近況を簡単に告げる程度であった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私は、大学卒業後、彼女がどのような人生を歩んできたのかほとんど知らなかった。その日、彼女が経験してきたいくつかの挫折を聞かされて驚いた。人生は過酷だ。男女を問わず、次から次へと新たな試練が襲ってくる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;その日、彼女の話し方はいつになく穏やかであった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;電話を切る直前、彼女は次のようなフレーズを私に告げ、「いい言葉でしょう」と笑った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;"When one door closes, the door on the other side opens."&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;彼女は海外留学のために旅立つ飛行機の中でこのフレーズを目にしたという。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-8127607289785279357?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/8127607289785279357/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=8127607289785279357&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/8127607289785279357'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/8127607289785279357'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2007/05/blog-post_17.html' title='いい言葉'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-2679224666819809582</id><published>2007-05-16T22:53:00.000+09:00</published><updated>2007-05-16T23:25:34.082+09:00</updated><title type='text'>あきみ</title><content type='html'>私には「あきみ」という名の従兄がいた。私はこの従兄を「あきちゃん」と呼んでいた。「あきみ」と漢字でどのように書くのかは知らないままで終わった。この従兄は10年ほど前、膀胱ガンで亡くなった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;この従兄の父つまり私の伯父は、終戦の1か月前にフィリピンのレイテ島で戦死した。この伯父が出征したとき、この従兄は生後2週間にしかならなかったという。従兄には自分の父親の思い出は全くなかった。母は再婚し父が異なる妹がひとり生まれた。しかしその義理の父親もすぐに病死した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;この従兄は中学校を卒業すると同時に大阪に働きに出た。生まれ故郷に帰ってきたのは30歳近くになってからであった。そして結婚した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;いつだったか、この従兄が自分の妻と3人の娘を連れて私の実家を訪ねてきたことがある。そのとき5分ほどであったが立ち話をした。その際、その従兄は私に向かって次のようなことを言った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「わしは子供のころひとりでさびしかったけんのう。ほんで子供を3人つくった。貧乏じゃけ3人の娘には何もしちゃれん。けんど親の愛情は子供に伝わるけんのう。」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;こう話しながら、この従兄は自分の幼かりし昔を思い出したようであった。空を見やりながら心なしか涙ぐんでいるように見えた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;戦死した伯父の墓はわが家の墓地にある。この従兄は、私の家から10数キロ離れた、別の墓地に埋葬された。従兄の娘たちは県外に嫁いで皆ばらばらになった。従兄の母親はまだ存命。しかし従兄の母親が死ねば伯父の死を知る人は私の父親だけになる。私の父親の死とともに戦死した伯父の記憶はこの世から消え去る。永遠に。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-2679224666819809582?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/2679224666819809582/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=2679224666819809582&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/2679224666819809582'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/2679224666819809582'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2007/05/blog-post_16.html' title='あきみ'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-9113354644075979563</id><published>2007-05-13T15:05:00.000+09:00</published><updated>2007-05-15T22:24:00.513+09:00</updated><title type='text'>グミ</title><content type='html'>&lt;a onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}" href="http://1.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/RkavVb9TnII/AAAAAAAAAU8/nyYvSd7Y52o/s1600-h/P1010281.jpg"&gt;&lt;img style="margin: 0pt 10px 10px 0pt; float: left; cursor: pointer;" src="http://1.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/RkavVb9TnII/AAAAAAAAAU8/nyYvSd7Y52o/s200/P1010281.jpg" alt="" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5063927613841710210" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;div style="text-align: justify;"&gt;グミのことを私の郷里では「しゃしゃぶ」とよぶ。私が高校を卒業する頃まで実家の庭先にグミの木が植えられていた。毎年、梅雨が明けた頃に真っ赤な実をつける。少し渋味はあったが、甘くて美味しかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私が高校を卒業し東京に出てきてからも夏が来るとしゃしゃぶのことをよく思い出した。しかしつい数年前まで東京でしゃしゃぶを見ることはなかった。何度か「しゃしゃぶを食べたい」と人に話したことはあったが、だれもしゃしゃぶを知る人はなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私が東京でしゃしゃぶを見つけたのは偶然のことであった。職場の敷地のなかにある花屋さんで真っ赤な実をつけた鉢植えのしゃしゃぶが売られているのを通りすがりに見つけたのだ。その鉢には「グミ」という札がつけられていた。そのとき初めて、しゃしゃぶのことを東京ではグミとよぶことを知った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;しかしそのときは買いそびれた。その鉢植えのしゃしゃぶの木はいつの間にか店頭から消えてしまっていた。１年待って昨年の夏、やっと鉢植えのしゃしゃぶの木を手に入れた。そして自宅の庭に植え替えた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;一昨日の朝、出勤する際に、そのしゃしゃぶの木が３個の実をつけているのを見つけた。まだ青く、注意して見ないと見逃してしまう。しかしあと１か月もすればこれらの実は赤く熟し、私の目を楽しませてくれるに違いない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-9113354644075979563?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='related' href='http://tack7.fc2web.com/kotoba/kotoba02.html' title='グミ'/><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/9113354644075979563/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=9113354644075979563&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/9113354644075979563'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/9113354644075979563'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2007/05/blog-post_13.html' title='グミ'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://1.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/RkavVb9TnII/AAAAAAAAAU8/nyYvSd7Y52o/s72-c/P1010281.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-376794660345777303</id><published>2007-05-10T21:57:00.000+09:00</published><updated>2007-05-11T22:11:38.621+09:00</updated><title type='text'>海のマリー</title><content type='html'>&lt;a onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}" href="http://2.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/RkRrVL9TnHI/AAAAAAAAAU0/3dnrWgRTXi4/s1600-h/P1010258.jpg"&gt;&lt;img style="margin: 0pt 10px 10px 0pt; float: left; cursor: pointer;" src="http://2.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/RkRrVL9TnHI/AAAAAAAAAU0/3dnrWgRTXi4/s200/P1010258.jpg" alt="" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5063289892802632818" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}" href="http://4.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/RkRrGr9TnGI/AAAAAAAAAUs/BIvmODQn3pA/s1600-h/P1010257.jpg"&gt;&lt;img style="margin: 0pt 10px 10px 0pt; float: left; cursor: pointer;" src="http://4.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/RkRrGr9TnGI/AAAAAAAAAUs/BIvmODQn3pA/s200/P1010257.jpg" alt="" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5063289643694529634" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}" href="http://1.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/RkOS1L9TnDI/AAAAAAAAAUU/I_sff3fJv-4/s1600-h/%E6%B5%B7%E3%81%AE%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%BC.JPG"&gt;&lt;img style="margin: 0pt 10px 10px 0pt; float: left; cursor: pointer;" src="http://1.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/RkOS1L9TnDI/AAAAAAAAAUU/I_sff3fJv-4/s200/%E6%B5%B7%E3%81%AE%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%BC.JPG" alt="" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5063051848535219250" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;北軽井沢の交差点から数百メートル北に行ったところに「海のマリー」という名のレストランがある。軽井沢に行った際には、よくこのレストランで昼食をとる。ここでは上品な老婦人がおいしい食事と暖かいもてなしで私たちを迎えてくれる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;この夫人のご主人に会ったこともある。二人はご主人の定年後にいま住む北軽井沢に移り住んだという。老婦人は自宅の広い庭で花を育てるのが楽しみだそうだ。ご主人は今も仕事を持ち、高崎で働いている。週末だけ北軽井沢の自宅に帰ってくるという。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;先日の連休にこのレストランを訪れたときには、食事の後、大分から届いたばかりだという新緑茶を私たちにふるまってくれた。私は日本茶はほとんど飲まないが、ここでいただいたお茶は甘味があり風味も最高であった。料理はいつも薄味。四国で育った私は、この薄味にはほっとさせられる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;浮世を離れたような静かなこのレストランでこの老婦人と会話を交わしながらとる昼食は最高である。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-376794660345777303?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/376794660345777303/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=376794660345777303&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/376794660345777303'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/376794660345777303'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2007/05/blog-post_10.html' title='海のマリー'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://2.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/RkRrVL9TnHI/AAAAAAAAAU0/3dnrWgRTXi4/s72-c/P1010258.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-7708373275149246214</id><published>2007-05-01T21:36:00.000+09:00</published><updated>2007-05-17T10:41:11.349+09:00</updated><title type='text'>久しぶりの飛鳥山公園</title><content type='html'>&lt;a onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}" href="http://2.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/RjdAwb9TnBI/AAAAAAAAAUE/sNDhWki4gks/s1600-h/P1010212.jpg"&gt;&lt;img style="margin: 0pt 10px 10px 0pt; float: left; cursor: pointer;" src="http://2.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/RjdAwb9TnBI/AAAAAAAAAUE/sNDhWki4gks/s200/P1010212.jpg" alt="" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5059583907256835090" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;一昨日の日曜日は朝から快晴であった。昼食をすませた後、自転車に乗って息子と近くの飛鳥山公園に出かけた。息子と飛鳥山公園に行くのは3年ぶりであった。多くの家族連れで賑わっていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;3年前の夏には、夜、ふたりでよく飛鳥山公園に行った。ほとんど人はいなかった。薄暗い公園のなかで二人っきりということも珍しくなかった。午後8時5分前になるとノクターンの音楽が流れ始める。そして午後8時ちょうどに公園内の照明が消える。それまで公園内にあるコンクリートの山に登ったり、すべり台を滑ったりして息子と遊んだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;その頃、息子は小学校受験を目前に控えていた。息子に公園で遊ばせることによって少しでも息子の運動能力を高めること。父親である私ができることはそれぐらいしかなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;家内は息子がずっと幼い頃から小学校受験をさせる心づもりであったらしい。息子が3歳になったころから代官山の塾に週一回息子を連れていっていた。しかし家内は、私にはそれが塾であるとは言わなかった。ただ、幼児教育に優れたノウハウを持っているところとだけ行った。私も特に詳しく尋ねることはなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;息子に小学校受験をさせたいと家内が私に最初に言ったのは、受験の年の8月であった。私は驚いた。最初、私は反対した。しかし息子に小学校受験をさせるという家内の決意は固そうであった。すでに模擬試験も受けさせたという。しかしその模擬試験の成績はさんざんであったらしい。訊いてみると、何と27人中24番であったという。下から4番目だ。家内はひとりで頭を抱えていたようだ。通わせていた塾ではどうも学業は習っていなかったらしい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私は「それは大物だ」と家内に言った。私のなかに変な闘志が湧いてきた。くだらぬ受験技術を身につけていない息子をそのまま伸ばし、試験に合格させてみたい・・・。私は家内に「もし縁があるなら合格するだろう。もし縁がなければどんなに能力があっても合格はしない。受験するだけさせてみてもいいのでは」と答えた。それから息子の本格的な「受験勉強」が始まった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;息子は目を見張るほど急激に成績を上げていった。試験の直前にはどの模擬試験でもトップクラスの成績をとるようになった。大人にも難しい問題をすらすらと解いていく息子の姿を見て、ひょっとしたら息子は学問で生きていくこともできるかもしれないと感じた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;わずか3か月間ではあったが、息子の受験勉強の期間中、私と一緒に毎晩のように飛鳥山公園に出かけてきたことを息子はまだ憶えている。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-7708373275149246214?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/7708373275149246214/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=7708373275149246214&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/7708373275149246214'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/7708373275149246214'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2007/05/blog-post.html' title='久しぶりの飛鳥山公園'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://2.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/RjdAwb9TnBI/AAAAAAAAAUE/sNDhWki4gks/s72-c/P1010212.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-8354361440519101374</id><published>2007-04-24T17:05:00.000+09:00</published><updated>2007-04-25T09:11:43.305+09:00</updated><title type='text'>のりたま</title><content type='html'>「のりたま」といえば昔からある有名なふりかけだ。私が物心ついたときには既にあった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;この「のりたま」を１週間前の朝食時に家内が出してきた。私が「のりたま」に何らかのこだわりを持っていることをあたかも知っているかのごとく、「はい、のりたま」と言って、袋を私に差し出した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私は何も言わず「のりたま」の袋を受け取り、開封した。「のりたま」を口にするのは何時以来であっただろうか。記憶がない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私が子供の頃、わが家にとって「のりたま」は高級品であった。掌に少し乗せた程度の量で150円ほどした。当時のわが家の食卓に「のりたま」がのったことはなかった。代りに、「のりたま」の数十倍の量が入っているにもかかわらず、それよりもずっと安く売られていた、おかかのようなふりかけを母親がよく買ってきた。大きな袋にはち切れんばかりにふりかけが詰め込まれていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;対照的に、隣の家の食卓には、いつも「のりたま」がのっていた。その家には、私より一歳年下の幼友達が住んでいた。私が「のりたま」の味を憶えているのは、その家で何かの折りに「のりたま」を食べさせてもらったことがあるからに違いない。「のりたま」は当時の私にとって富の象徴そのものであった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そういえば、当時、わが家にはテレビもなかった。一週間に二度ほど祖母につれられて近所にテレビを観せてもらいにでかけた。「事件記者」という番組と「お好み新喜劇」という番組を祖母は好んだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;隣の幼友達の家でもテレビを観せてもらうことがあった。「風のフジ丸」というアニメ番組であった。幼友達とテレビの前に並んで座り一緒に観た。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;しかし、幼友達のお父さんが帰宅して私たちがテレビを観ているのを目にすると、必ずといっていいほど黙ってテレビを消してしまった。私へのいやがらせであった。いつしか私は、隣の家でテレビを観せてもらうときには、幼友達のお父さんの帰宅を無意識に恐れるようになった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;その家には卓球台もあった。私とその幼友達とはその卓球台を使って、よく卓球もした。しかし、その幼友達のお父さんが帰宅すると、いつも私はラケットを取り上げられた。そして親子で延々と卓球を続けた。私は黙ったまま、ずっとその親子の遊ぶ様を傍らで見ていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私は子供心にその幼友達のお父さんを憎んでいた。ただし、まだ幼かった私には、その当時、私が抱いていた感情が「憎しみ」といえるものであるという自覚はなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私が幼い頃、わが家には親子で遊ぶということはただの一度もなかった。父親は仕事をしているか、気難しい顔で考え事をしているかのいずれかであった。家族に怒鳴り散らすこともよくあった。父親が笑っているのを見た記憶はない。私にとって父親は恐怖の対象でしかなかった。そのためか、私の幼友達とそのお父さんが卓球をしながら会話を交わしている姿は、一面では、私にとって憧れであった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;その幼友達のお父さんは20年ほど前に交通事故で亡くなった。即死であった。そして、その幼友達も数年前から大病を患っている。彼は離婚し、子供もいない。住む家もシロアリの巣となり、今にも崩れ落ちそうだ。それに引き換え、私の父親はまだ元気だ。母親も自由のきかない身体になっているが、命には別状がない。人生はわからないものだとつくづく思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「のりたま」のことを考えているうちに、思わぬ方向に考えが逸れてしまった。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-8354361440519101374?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/8354361440519101374/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=8354361440519101374&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/8354361440519101374'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/8354361440519101374'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2007/04/blog-post_24.html' title='のりたま'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-2634994909632278682</id><published>2007-04-16T11:15:00.000+09:00</published><updated>2007-04-16T11:37:29.355+09:00</updated><title type='text'>高校時代のクラスメート</title><content type='html'>昨日の日曜日、高校時代のクラスメート3人と会った。東京から出張してきた一人が会おうという連絡をよこしてきたのだ。昼食だけの予定であったが、話がはずみ、結局、別れたのは午後８時過ぎになった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;3人のクラスメートのうちの一人（女性）とは高校を卒業後、一度も会うことがなかった。なんと32年ぶりの再会であった。彼女は歯科医。大学時代の先輩と結婚し、都内でご主人と一緒に歯科のクリニックを開業しているということであった。子供も3人いるという。一番下の子供が高校2年生になり、やっと自分の時間が持てるようになったと言っていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;途中から一人のクラスメートの奥様も加わった。その奥様は私も昔からよく知っている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;話は各自の近況や各自が知っている同期生の状況から高校時代の思い出までめまぐるしく変わった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私の母校は、高知市内にある私立の中高一貫教育校であった。私たちは最も多感な時代を共に過ごした。私自身はこの歳に至ってもこの母校が私のアイデンティティーそのものである。そしてその時代をともに過ごした友人は私の人生の生き証人である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私たちの人生も、もうそんなに長くはない。少なくとも自由に体が動き、健康でいられる期間は・・・。自分に残された生が短くなるにつれて、もう一度、十代に描いた夢を純粋に追い求めてみたいという欲求が強くなってきた。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-2634994909632278682?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/2634994909632278682/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=2634994909632278682&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/2634994909632278682'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/2634994909632278682'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2007/04/blog-post_16.html' title='高校時代のクラスメート'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-1666740686409671203</id><published>2007-04-13T17:38:00.000+09:00</published><updated>2007-04-13T18:15:18.270+09:00</updated><title type='text'>なぜ人は日記を晒すのか</title><content type='html'>講談社から「ブログ進化論　なぜ人は日記を晒すのか」という新書が出ている。私も購入し読んでみた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;しかし、この種の命題に唯一の回答などあるはずがない。ブログを書く理由は各人各様ではないか。少なくとも私自身は自分の日記を他人に晒そうとしているつもりはない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私が私自身のこのブログを読んでもらいたいと思っているのは我が一人息子である。つまり私は息子を仮想的な読者としてこのブログを書いている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私の息子はまだ８歳である。私自身の年齢を考えると、息子が成人になったときには私はもう既にこの世にいないかも知れない。しかし、小学校３年生になったばかりの息子に私自身がたどってきた人生をいま話すことは無意味である。息子は何の興味も示さないであろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;息子が成人になったとき私は生きているだろうか。社会人になり、さまざまな苦難に遭遇したとき私は傍にいてあげられるであろうか。まだ無邪気な笑顔を見せる息子の顔を眺めるたびにこんな思いが湧き上がってくる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;父親である私が日々の生活の中で何をどう感じながら生きてきいたのか、その一端をこのブログから大人になった息子が知ることができたならば、たとえ私が既にこの世に存在しなくても息子を勇気づけることができるのではないか。漠然とではあるが、このようなことを考えながら私はキーボードを叩いている。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-1666740686409671203?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/1666740686409671203/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=1666740686409671203&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/1666740686409671203'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/1666740686409671203'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2007/04/blog-post_710.html' title='なぜ人は日記を晒すのか'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-3541485400454644039</id><published>2007-04-13T15:55:00.000+09:00</published><updated>2007-04-13T16:05:16.763+09:00</updated><title type='text'>祖母の死</title><content type='html'>&lt;p&gt;私の生まれ故郷は高知県の土佐市である。国道56号線沿いの四方を山に囲まれた農村で育った。私の生家には今も両親が暮らしている。もっとも母は昨年ほとんど入院していたが。&lt;/p&gt; &lt;p&gt;私は正月には必ず帰省する。両親に孫を会わせるという目的もある。しかし最も大きな目的は墓参りだ。&lt;/p&gt; &lt;p&gt;私の田舎ではごく最近まで土葬であった。ひょっとしたら今も土葬が行われているのかもしれない。私の祖父母も土葬であった。だから別々の墓石がある。&lt;/p&gt; &lt;p&gt;私の祖母が亡くなったのは私が小学校２年生のときの冬であった。１２月３０日に息を引き取った。脳出血で倒れ、ほとんど意識が回復することなく２週間ほどで亡くなった。&lt;/p&gt; &lt;p&gt;祖母が倒れた日はとても寒い日であった。その日、祖母は近所の家の農作業を手伝いに出ていた。金柑採りの手伝いだった。畑で突然倒れたという。祖母は高血圧であった。&lt;/p&gt; &lt;p&gt;一緒に農作業をしていた近所の人たちが祖母を家まで運んできてくれた。近所の医師を喚んだ。その医師は私の田舎で唯一人の医師であった。その医師は横たわる祖母を無言で診察した後、私の両親に何かつぶやくように話した後、すぐに帰っていった。&lt;/p&gt; &lt;p&gt;それから祖母が亡くなるまでの間、その医師は数回往診してくれた。しかし点滴一つすることもなかったように記憶している。ひょっとして祖母は少しは 食事摂取ができていたのだろうか。私の母がつきっきりで看病していたが、私が祖母のそばにいくと遠ざかるようにと指示された。いま考えると、おそらく祖母 の下の世話をしようとしていたのかもしれない。&lt;/p&gt; &lt;p&gt;祖母が元気だった頃、祖母と私の父親とは毎日のように家でけんかした。何が原因なのか幼い私にはわからなかった。激しいけんかであった。けんかの 後、祖父母はよく離れに布団を敷いて寝た。その離れを我が家では「鳥小屋」と呼んでいた。当時、我が家では鶏を飼っていた。まさに本当の鳥小屋だった。そ の一角にあった３畳ほどの畳部屋に布団を敷いたのだ。私も祖父母の間に挟まって寝た。&lt;/p&gt; &lt;p&gt;私には怒っていた父親の顔しか思い出せない。父はいつも家族に対して激しく怒った。幼い頃、私は常に父を恐れていた。そんな父親ではあったが、祖母が亡くなった後は、長い間、祖母の死を悲しんだ。&lt;/p&gt; &lt;p&gt;私が小学校３年生になるまで我が家は藁葺き屋根の家であった。台風が来ると大きく家が揺れた。祖母は呪文を唱えるかのように「ほー、ほー」と大声で うなり声をあげた。柱は虫に食われており、いろりの煙のため家中煤だらけであった。私はいろりの側で祖父の膝の上によく乗った。私が膝に乗ると、祖父は火 箸でいろりの灰に字を書いていくつかの漢字を私に教えてくれた。しかし祖父の書く漢字はいつも一緒であり、私が学ぶ漢字が増えることはなかった。祖父が好 んで書いた漢字は、「松」と「杉」であった。&lt;/p&gt; &lt;p&gt;そんな家を建て替える直前に祖母は亡くなった。祖母とけんかが絶えなかったことも父を更に悲しませた。藁葺き屋根の家の隣の土地に新しい家が完成し たのは祖母が亡くなった翌年の夏であった。その家が完成した夜、私と私の姉は、ふたりだけでまだ障子もない開けっぴろげのその家に寝かされた。それはどう も当時のしきたりであったらしい。&lt;/p&gt; &lt;p&gt;祖母は６３歳であった。早すぎる死であった。&lt;/p&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-3541485400454644039?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/3541485400454644039/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=3541485400454644039&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/3541485400454644039'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/3541485400454644039'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2007/04/blog-post_13.html' title='祖母の死'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-8283491927490983555</id><published>2007-04-06T14:23:00.000+09:00</published><updated>2007-04-13T15:43:12.427+09:00</updated><title type='text'>息子と英語</title><content type='html'>息子の春休みを利用して家族でバリ島に行ってきた。バリ島は初めてであった。１週間、家族揃って時間を過ごす機会はこうして旅行にでも出ない限りとれない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;今回の旅行は息子にとってもいい刺激になったようだ。今までの家族旅行は、息子にとって単なる「旅行」でしかなかった。しかし今回は少し違った。現地の人たちや他の観光客たちと自ら会話を交わしたいという強い欲求に駆られたようだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;現地で私たち夫婦がマッサージにでかける間、何回かホテルに息子を預かってもらった。これまでは、息子はこのようなときもいつも私たちについてきた。しかし今回はホテルで他の観光客の子供たちと一緒に過ごすことを選択した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;最後の晩のこと。私たちがマッサージからホテルに帰ると既に夕暮れになっていた。ホテルの託児所に息子を迎えに行くと、息子たちはプールサイドのレストランで夕食をとっているという。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そのレストランに行ってみると、息子はさまざまな年齢の子供たちに交じって食事をしていた。私たちは立ち止まって遠方から息子の後ろ姿をじっと見た。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;息子は他の子供たちに何か話しかけたくてしょうがないようであった。しかし言葉が通じない。身振り手振りでコミュニケーションをとろうとしていた。心なしか気後れしているようであった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;２０分ほどして食事が終り、プールサイドのレストランから託児所に戻ることになった。相変わらず息子は口を開かない。ちょっとかわいそうに思えた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私たちは子供たちの列を少し離れて追った。息子は最後尾を歩いていた。そしてその前を歩く２歳ほどの小さな子供にそっと追いつき、黙ってその子の右手を握った。その子の手をとりながら息子はホテルの中に入っていった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;帰国後、息子は、英語の習いたいと言い始めた。これまで、私たちがどんなに勧めても、どうしてもいやだと言い張った英語の勉強をしたいと息子自らが言い始めた。既に息子は並の中学生になら負けない日本語力を身につけている。ちょうどいいタイミングだと思う。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-8283491927490983555?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/8283491927490983555/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=8283491927490983555&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/8283491927490983555'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/8283491927490983555'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2007/04/blog-post.html' title='息子と英語'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-3397866624189677232</id><published>2007-03-12T19:41:00.000+09:00</published><updated>2007-03-12T19:55:26.984+09:00</updated><title type='text'>ある母と子</title><content type='html'>数日前の帰宅途中、心痛む出来事があった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;山手線の高田馬場駅で一組の母子が乗車してきた。母親は３５歳ほど。連れている子供は３歳ほどの男の子であった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;この男の子と母親とは立ったまま仲良く会話していた。私もかわいい男の子だなと思い、時々視線をその母子に向けていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;電車が池袋駅に止まろうとスピードを下げ始めたそのとき、母親が大声でその男の子にどなりつけると同時に左の頬をピシャリとぶった。私はその音の大きさにびっくりした。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;池袋駅のホームに電車が止まると、その男の子の腕をつかみ、引きずり下ろすようにして母子とも電車から降りた。開いたドアのすぐ傍で母親はしゃがみ、その男の子を大きな声で叱り始めた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「あなたはお金を払っていないのだから電車の中で座る権利はないの。他の人は一日中働き疲れているの。あなたは何もしていないでしょう。」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;どうもその男の子は池袋で座れないかと母親に言ったらしかった。男の子は「ごめんなさい。ごめんなさい。」と繰り返し母親に謝っていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;電車が発車しようとしたとき、その母子は再び電車に乗ってきた。そして私の傍に立った。母親は同じ言葉を繰り返していた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私は巣鴨駅で降りた。私が座っていた場所にその母親は座った。その男の子をどうするのかと見ていると、その男の子を抱き上げて自分の膝の上に載せた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;確かにその母親が言いきかせていることはことは正しい。しかし・・・。巣鴨駅から自宅まで歩きながら、私は複雑な気持ちにとらわれていた。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-3397866624189677232?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/3397866624189677232/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=3397866624189677232&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/3397866624189677232'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/3397866624189677232'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2007/03/blog-post.html' title='ある母と子'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-2986692069302616929</id><published>2007-02-03T08:25:00.000+09:00</published><updated>2007-02-04T00:00:05.224+09:00</updated><title type='text'>「女性は子を産む機械」発言をめぐって</title><content type='html'>ある大臣が「女性は子を産む機械だ」と発言したというニュースがマスコミを賑わしている。国会では野党が鬼の首を取ったかのようにこの大臣を追求し、審議拒否にまで入った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;確かに大臣のこの発言は心配りが足りなかったとしかいいようがない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;しかしこの発言は少なくとも心ある国民には意義あるものであった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;女性が機械でないのは明白である。こんなわかりきったことに目くじらを立てる必要はない。また、女性にしか子を産めないのも事実である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;今、声を大にして大臣批判を繰り返しているのは、子を産んだことのない独身女性ばかりである。私は大声で大臣批判を繰り返す女性には哀れを感じる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;何事であっても人によって価値観はさまざまである。皆が同じ考え方をする必要はない。しかし子を産み育てることが女性ばかりでなく男性にとっても人生の中で最も楽しく価値あることのひとつであるということには違いなかろう。戦後教育はこの最も根源的で重要な価値観を古い考え・国粋主義的な考え・男尊女卑として軽視し否定し続けてきた。しかし戦前教育が価値観の強制であっったならば戦後の教育も同様に価値観の強制である。子を持つことに誇りを持てなくなった若い女性はブランド物で身を飾り我が物顔で道を闊歩する。この国は衰退へとつきすすんでいる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;人口減少ばかりではない。日本国民のモラルの崩壊も著しい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;自分の子を抱き重い荷物を抱えながら歩いている女性。髪は振り乱している。化粧もしていない。しかしその女性がかもしだす母性の温かさは究極の女性美である。母性こそが女性の美の源泉である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;女性は、自分が女性として生まれたことに誇りを持たなくてはいけない。女性であることに劣等感を感じ男に対する対抗心をむき出しにする女性に与する必要はない。彼女らは気の毒な人たちなのだから。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-2986692069302616929?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/2986692069302616929/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=2986692069302616929&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/2986692069302616929'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/2986692069302616929'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2007/02/blog-post.html' title='「女性は子を産む機械」発言をめぐって'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-1073197580519358471</id><published>2007-01-28T20:37:00.000+09:00</published><updated>2007-01-28T20:47:32.647+09:00</updated><title type='text'>日比谷公園の梅</title><content type='html'>&lt;a onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}" href="http://4.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/RbyNTLTB0ZI/AAAAAAAAARM/sDtz2ypZaqk/s1600-h/P1000546.jpg"&gt;&lt;img style="margin: 0pt 10px 10px 0pt; float: left; cursor: pointer;" src="http://4.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/RbyNTLTB0ZI/AAAAAAAAARM/sDtz2ypZaqk/s200/P1000546.jpg" alt="" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5025046644828262802" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;a onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}" href="http://1.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/RbyNTbTB0aI/AAAAAAAAARU/eWLgRI0JNNw/s1600-h/P1000549.jpg"&gt;&lt;img style="margin: 0pt 10px 10px 0pt; float: left; cursor: pointer;" src="http://1.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/RbyNTbTB0aI/AAAAAAAAARU/eWLgRI0JNNw/s200/P1000549.jpg" alt="" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5025046649123230114" border="0" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;きょうは日曜日。朝からいい天気であった。昼に銀座のアップルストアにでかけた。セミナーを受講するためだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;帰る道すがら、日比谷公園に立ち寄った。私は毎週火曜日に内幸町に来ている。その際、この公園のすぐ脇の道を歩く。しかし公園内を散策するのは久しぶりであった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;薄桃色の梅の花が目に入り、しばし立ち止まった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「春」。この言葉が急に私の脳裏に浮かんだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そういえば、１０日前には神田橋の袂にある寒桜も見事な花を咲かせていた。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-1073197580519358471?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/1073197580519358471/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=1073197580519358471&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/1073197580519358471'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2839855985692765748/posts/default/1073197580519358471'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/2007/01/blog-post_5172.html' title='日比谷公園の梅'/><author><name>Takanobu Kunihiro</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://4.bp.blogspot.com/_49aYdsemBGg/RbyNTLTB0ZI/AAAAAAAAARM/sDtz2ypZaqk/s72-c/P1000546.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2839855985692765748.post-3729039693298498182</id><published>2007-01-28T08:14:00.000+09:00</published><updated>2007-01-28T08:23:03.339+09:00</updated><title type='text'>息子の作文　ー原文通りー</title><content type='html'>「三部武勇伝でやった事とその感想」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　僕たちは、三部武勇伝で、なわとび、ロッックソーラン（踊り）、二人三脚、リレーを教わりました。一番おもしろかったのは、二人三脚です。なぜおもしろかったかというと、二人三脚は、最初は難しかったが、最後はできて、&lt;br /&gt;「やった。」&lt;br /&gt;と言えるからです。&lt;br /&gt;　一月二十六日（金）は、三部武勇伝佐野後の日のような事をやりました。二人三脚があったらいいな・・・・・、と思ったが、二人三脚はありませんでした。&lt;br /&gt;　でもリレーとなわとびはありました。&lt;br /&gt;　リレーの一回目は一位でよかったです。二重回しの生き残りリレーは四組中三位でした。&lt;br /&gt;（もっと頑張ればよかった。）&lt;br /&gt;と、思いました。三部武勇伝で、ろいろな事を覚えました。これを、今年の運動会につなげていきたいと思います。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2839855985692765748-3729039693298498182?l=tkunihiro2.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://tkunihiro2.blogspot.com/feeds/3729039693298498182/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2839855985692765748&amp;postID=3729039693298498182&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' 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/&gt;両親はいつも仕事をしていた。毎晩、夜中の２時まで働いた。朝、私が目を覚ますと、母親は既に家事を始めていた。私には両親と一緒に寝た記憶がほとんどない。私は祖父と祖母の間に入って、祖父母と一緒に寝た。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私の祖父がかつて多大な借金をかかえていたことを知ったのは、祖父が亡くなってから１０年以上経ってからであった。私が何年か前に実家に帰省した際、私の生家の近くに住む老婆が私に語ってくれた。祖父はある人の借金の保証人になっていたという。その人が急死した。保証人になっていた祖父は、その人に代って莫大な返済義務を負った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私の祖父がその多大な借金を抱えたとき、近所の人たちは、これで私の祖父も終わりだとささやきあったという。しかし祖父は、長い年月をかけて誠実に借金を返済していったとその老婆は語った。そして我が家の今があるのは、私の祖父の人徳のおかげであるといって涙を浮かべながら私の祖父を褒めた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;今に至るも祖父が抱えた借金の話を家族の誰からも聞いたことはない。私も尋ねない。祖父はその苦労を自分の死とともにあの世に持ち去った。祖父は私の息子にとってはひじいちゃんになる。３代遡った自分の先祖の生きた道を私の息子は何一つ知らないまま一生を終えるであろう。私の息子がいささかでも私の祖父のことを思うのは、祖父の墓石のまえで意味もわからないまま手を合わせるときだけである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;夏草や つわものどもが夢のあと&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;温厚な人柄とは裏腹に、祖父は厳しい時代を生きた。生き抜いた
